霞 第二章(01)
こんにちは、初めまして。東郷緋乃と申します。この第二章は私が担当です。正直なところ、彼ったら真面目でおりこうさんにしか書かないから面白くなかったでしょ?私はもうちょっと掘り下げて書いてみたいと思います。
では、
”おはよう”から”こんにちは”に挨拶が変わる頃、空は一面に青く晴れ渡り鳥の声が響く。新緑の並木を渡ってきた葉ずれの音は、少し遅れて来る柔らかな風とともに肌に心地よく触れ去っていく…
って、気取り過ぎてて鳥肌が立っちゃった。でも正直、車の中にいるより外は気持ちいい。朝の天気予報では25℃を超えると言っていたけど、高原のここではきっとそこまでは上がらない。このくらいが温泉に入るにはいい気温じゃない?
それにしても、見える範囲には休憩所みたいなものと長屋作りの建物が二棟見えるだけ。どこにもお風呂らしきものは見えないんだけど。
「露天にする、内湯にする?」
「露天に決まってるじゃない。せっかく来たんだから。」
「だよね。」
受付から振り向いて声をかけてきた彼。初めのうちはここ〝はげの湯〟を『なんか、あまり気乗りのしない名前だな。』と言っていたくせに、評判だけは覚えていたようで、私の誘いに二つ返事で付いてきた。じゃなくて、私を連れてきてくれた。彼を待っている間、目の前にそびえる湧蓋山を眺めながら去年のドライブを思い出していた。雪国かと思うほどの風景、初めて陽の光の中で一緒に入った露天風呂、乳白色の温泉、美味しいおそば、搾りたての牛乳でできたソフトクリーム。そう言えば彼、朝一番で行った温泉で湯あたりして具合が悪くなったっけ。そして…。目の前の湧蓋山のさらに先、くじゅう連山の麓〝赤川温泉〟で出会った河野一家。とても仲がよく気さくで、この辺の温泉は行き尽したと言ってらした。その折奥様から、『温泉だけでなく、プラスアルファの楽しみがあるのよ。』と勧められ、ここ”はげの湯”に来たというわけ。それにしてもあの奥様、凛としてとても素敵な方だった。自分の行動を冷静に分析して、何が原因だったのかを突き止めようとする。私にはとてもじゃないけど無理な話。
”プラスアルファの楽しみ”というのは、入浴者限定の”地獄蒸し”。受付の向かい側に並んでいる”窯”で楽しめる。釜は私の太ももくらいの高さのコンクリート製の筒で、その中に蒸気の噴出口がある。釜に据えられた網カゴの中にざるを据え、食材を入れ筵(むしろ)をかける。後は釜の外にあるバルブを開け、蒸しあがるのを待つだけ。サツマイモなどの硬いものは30~40分かかるので、お風呂に入る前にいれておけば、上がってくるころにちょうど良く出来上がっている。卵なら5,6分かな?そのほかにも、お肉、海産物、葉物などお好みの素材を持ち込んで調理、好きな味付けで食べることができるから、お昼過ぎになると無料休憩所はさながら新鮮食材を食べられるビュッフェレストランのよう。何と言ってもおうちで料理するような手間もかからないし、面倒な洗いものも最小限で済むから主婦にとってはいいことばかり、と以上受け売りだけど。
彼に指示された通り、一番右の窯の中に食材を入れていく。そのほとんどは、インター近くのコープで仕入れた。産地が近いせいか、野菜はとっても安い。帰りに買いこんで帰ろうかと思ったほど。まずサツマイモとじゃがいも、それに何やらアルミホイルに包まれた塊を入れた。かぼちゃとシイタケは早く蒸せるから後でいいんだって。飲み物は、ノンアルコールビール。本当はビールを飲みたかったけど、いくら強気の私でも彼だけにノンアルコールで我慢させるのは気の毒。
「お待たせ、”なでしこ”だって。」
「あら、私にぴったり!」
「はぁ~?自分の性格忘れてない?」
「あ、言われた通り、食材を蒸し釜に入れといたよ。」
「じゃなくて、その変な自信、どこから来るわけ?」
「どこにあるの、お風呂?」
「聞こうよ、人の話。」
「いいお天気でよかったね。」
「…はぁ。」
ふふっ、ほら黙っちゃった。気に入らない彼の言葉は無視する。そうすればそのうち静かになるから。
地獄蒸し釜の横に階段があって、露天へはそこを降りていくんだって。さっき見えていた建物は、内湯の家族風呂。そうそう、ここは家族風呂つまり貸切風呂しかない。気の置けない仲間、家族、特にお忍びで温泉を楽しみたい人にはうってつけ。
「階段が急だから、気をつけて。」
いつもより低いところからそう声が聞こえた。降りきったところは左右に屋根付きの廊下が伸びていて、それに沿って五棟のバンガローのような建物が建っている。それぞれのバンガローは真ん中で区切られ、左右に入り口が。”なでしこ”は、降りてすぐ右のバンガローの左側。受け取った札を裏返し、“入浴中”にしてドアノブに掛ける。もちろん部屋の中からは鍵はかかるけれど、変に邪魔されないようにってことかな。靴を脱いで一段上がると、そこは洗面台、木製の長椅子の置かれた脱衣所。その奥のガラス戸の先の湯殿は、一段下がって外が見渡せる広い半露天岩風呂。でも、湯船は空っぽ。
「ねえ、お湯が入ってないよ。」
「あ、よかった脱ぐ前に思い出して。お湯は買わなきゃいけないんだ。」
「買う?どこで?」
販売所か何かあるの。でも、そんなもの見た気がしないけど。
「ここで買うんだよ。」
「えっ?」
いぶかしがる私にニヤッと笑いかけると{彼が時々するこの笑い、バカにされたみたいで嫌いなんだけど}壁に備え付けの両替機みたいなのにコインを入れ始めた。
「えー、つまりですね。ここにコインを入れる、湯船の横の蛇口から、いやパイプからお湯が出始める、すぐ横にある蛇口から水を同時に出して温度を調節する、服をゆっくり脱ぐ、そうこうしているうちにお湯が貯まる、という嗜好でございます。」
最後のコインを入れ終わると、確かにお湯が勢いよく流れ出る音が聞こえ始めた。
「へぇー、よく知ってるわね、ってさっき受付で…」
「やばい!」
と言うと血相変えて、湯船に走った。
「なによ、自分も人の話聞かないじゃない。」
「ごめんごめん、栓するの忘れてたから。」
濡れて肌にぴったりと張り付いたジーパンを脱ぎながら、
「色っぽい?」
「わけないじゃない。いい歳したオジサンの下着姿なんて、色気よりグロ気だよ。」
「うまいっ!じゃなくて、そこまで言わなくても。濡れるの気にせず急いで飛び込んで…」
後のぶつぶつは聞いてないよ、無視無視。
服を脱ぎ終わって髪を束ね湯殿に入っていくと、お湯はまだ勢いよく出続けている。体を流し湯船に入っても、やっと膝を越えるくらいしか溜まっていない。正面の大きく開いた窓へ歩いていき、膝立ちで枠に腕を組んで顎を乗せる。目の前の小さな尾根の上に真っ白い雲がぽっかりと浮かんでいる。真っ青な空との対比で、目が痛いくらい。ほんとにお天気でよかった。雲が流れていくのをぼんやり眺めているうち、お湯が湯船からあふれ始めた。ただ、ちょっと…