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お金がない!からのミニマリストへ〜結果ダイエットに成功&意識改革で幸せ人生【自己紹介文】

どうも!フリーランスとして音楽を作ったり、MIXエンジニアをしたり、イラストを描いたり、アート作品を作ったり、コンテンツビジネスのコンサルやカウンセリングなんかもしている倹約系ミニマリストのタスケン(本名:鈴木タケオ)と申します。

初めてのnoteへの投稿として、自己紹介させてください。
(実は、別垢でもnoteを運用しているんですが、ミニマリストとしての記事は書いてなかったんで、お初という事にさせてください)

お金がない!という事から僕のミニマリストとしてのキャリアは始まりました。

その結果、気が付いたら7Kgほどダイエットでき、身体の調子も良く、日々快適に過ごしております。

どういう事かご説明しますね。ちょっと長文になりますが、どうかお付き合いくださいませ。

ブラック企業でのサラリーマン時代

僕はもともとプロミュージシャンとして活動していたのですが、色々な事情が重なり、音楽を辞めてしばらくはサラリーマンとして過ごしていました。

サラリーマン時代は、それなりの地位にもつき、年収もそこそこ(700万円近く)。住宅ローンを組んで家を買ったり、外車に乗ったり、ハイブランドの服や靴、時計などを身につけたり、外食で平気でカロリーの高いものを食べたり、高いワインを飲んだり・・・結果、かなり贅肉のついただらしない身体・・・ぷよぷよのお腹、毎日がだるい感じがして、休みの日はゴロゴロ・・・こう書き出しただけで目眩がしてくるのですが、当時はそれが当たり前というか、そういうものだろうという感覚でした。

そして、仕事もいくつか転職を繰り返し、最後に転職した会社が、いわゆる隠れブラック企業でした。

それは医療系だったのですが、一時期労働基準局に目を付けられて、少しは良くはなったのですが、幹部になっていた僕には改善の恩恵はなく、幹部は残業代無しでもいくらでも働けるよねっていう空気の中、馬車馬のように働いていました。ストレスは溜まる一方で、ストレスを解消するために暴飲暴食したり、買い物しまくったり。

そんな中、母親が統合失調症になってしまい介護が必要になってしましました。(父親は既に65歳で癌で他界)

この頃、結婚はしていましたが子供は無し。母親を引き取って3人で暮らしていたのですが、その時の奥さんは同居に耐えられず、結果離婚。

離婚と親の介護に加え、ブラック企業での仕事で段々と精神が削られ、とうとう僕もうつ病になってしまいました。

結果、会社の仕事を投げ出し、しばらくニート生活をしていました。

実は、この時すでに再婚をしてまして(汗
会社を辞める前に、諸事情から家を購入していたのでした。
(奥さんの実家に近い所に住んで安心させたいという一心でした)

ある程度、貯蓄はあったので、すぐに生活に困ることはなかったのですが、ニート生活は2年ほどにもおよび、段々と少なくなる貯蓄に不安を抱える日々。

しかし、奥さんは何も言わず、黙って支えてくれました。
この時奥さんがいなかったら、母親は弟に任して自分は・・・なんて考えていたかもしれません(あ、弟が一人います)。それほど精神的に追い込まれていました。

奥さんに支えられ、母親の介護にも慣れてきた頃、うつ病の症状も段々と良くなり、仕事を再開しようとなった時、ほぼ貯蓄が底を尽きかけていました。

お金がない!住宅ローンやばい!

と、なった時に救世主が現れます。

実は、奥さんが救世主だったのです。

家のお金の管理は、僕が取り仕切ってたのですが、奥さんから見たらどんぶり勘定そのものだったようです。

ただ、僕に遠慮して、任してくれていたようなんですが、家庭の危機に際し、自分が家計の一切合切を仕切る!と奮闘してくれたのです。

今の奥さんは、超がつくほどのケ、あ、いや、倹約家で、付き合い始めた当初、散財する僕を見て目を丸くしていました。よく結婚してくれたものだと思います(汗

徹底した月々の無駄な出費の一切合切の見直し。

ハイオクガソリン食いだった、愛車のMINIクーパーSコンバーチブル(オープンカーになるやつ)も手放し軽自動車に替え、ハイブランドの時計、靴、洋服なんかも処分。

いつか使うだろうと取ってあったDTM関連の機材、カメラなんかも処分。

コレクションしていたレコード・CDもほとんどを処分。その他、普段使わないよねっていうものをガンガン処分していきました。

すると不思議と、物を持たなくても普通に生活できるよねって事に気付かされました。

食費もギリギリまで切り詰め、1円でも安いスーパーで食品を買い、外食は記念日のみ。ただ、奥さんが倹約レシピを研究していてくれた上に料理が上手だったので、とても助かりました。週末はワンコインのワインを買ったりなどして、なんだかんだと楽しみながら倹約生活を送っていました。
(チリ産のワンコインワインは結構美味しいですよ)

倹約系ミニマリストとしての目覚め

この頃、うつ病もほぼ良くなり、斎場の警備員のバイトを始めました。

一応、外に働きに出ることになるので、多少の交通費などかかるので、お金は幾らかはもらっていましたが、微々たるもんです。

もともと好き勝手に色々と散財していた僕です。最初は好きにお金が使えない事がとても辛かったんですが、しかし、お金がないのは自分のせいだから仕方がないと考えを改め、お金がなくても楽しんでやれという気持ちに切り替えました。

いわば、ゲームみたいな感覚ですね。

いかにお金を使わないで生活できるか。ゲームみたいに楽しんでやれと、半分やけくそ的な気持ちも混じってたと思います。

そうしていくうちに、段々と物のありがたみやお金のありがたみというものに気がつき始めました。

昔は人から缶コーヒーなんかを奢ってもらっても、ありがとうとは言いつつも、特に感謝の気持ちをそんなに深く持つことはなかったんですが、お金が無くなってから、奢ってもらった缶コーヒー一つにも深く感謝の気持ちを持つことができるようになりました。

とてもありがたいなぁという気持ちを持って感謝を伝えると、奢った方も予想以上に喜んでくれる僕に対して、定期的に奢ってくれるようになったりと、予想外の事もあり、物のありがたみを知ることはとても重要なことだなと身に染みて思ったりしました。

と、そういう流れで徐々に倹約というものが身につき始め、また物をあまり持たないミニマリスト的な生活を続けているうちに、ある事に気がつきました。

知らない間に痩せていたんです。

知らない間に7Kg減量

僕は身長173センチで、減量前は72〜3Kgありました。

まあ、それぐらいだったら割と普通じゃん?と思うかもしれませんが、当初はお腹周りが気になり、健康診断でメタボと言われ、体調不良、顔パンパンと、体重の数値以上に肥満っぽい感じで、痩せないとなぁと思いつつ痩せれないという時期があったんです。

それが、倹約系ミニマリストとしての自覚を持つようになってからは、気がついたら65Kgにまで減っていました。お腹周りがスッキリし、顔もシャープさ(笑)がでて、日々感じていたダルさも無くなっていました。

その時の生活スタイルですが、

●バイトへは30分かけて歩いていき、交通費を浮かす
●自販機やコンビニなどで缶コーヒーや買い物をしない
(バイト先のおじさんが缶コーヒーやお菓子を奢ってくれるので飲んで食べてましたがw)
●食事はお弁当を持っていく
●マイボトルにお茶
●間食はほぼしない
●夕食は早めの時間に食べ、寝る前には何も食べない
(お酒は嗜む程度)
●甘い物は、日中の時間帯に時間を決めて少量食べる
(実は甘党なんですw)

と、特に厳しいダイエットをしたというわけではありません。甘い物は控え、必要な分だけの食事と水分と適度な運動だけです。
この生活スタイルは今でも維持しています。
(バイトは辞め、今はフリーランスとして自宅で仕事をしていますが)

しかし、特に意識せず、ずっと継続していると如実に効果が現れるもんなんですね。継続は力だと本当に思いました。

その後、痩せれた事が嬉しくて、さらに食事制限などをして一時期61Kgまで痩せれたのですが、やはり無理をするものではないです。

過度な食事制限がストレスになり、またうつ病っぽくなってしまったので、これはまずいと思い辞めました。

その後は普通の食事量に戻したのですが、65Kgをキープできています。
これが自分の適正体重なのかなと思っています。

今は、ほとんど贅沢というようなものはしていませんが、物がなくても楽しく暮らせています。小さなことで幸せを感じられるようになり、毎日がとても楽しいです。

こういう生き方に出会えた事を今は感謝しています。

今後のnoteでの活動について

倹約系ミニマリストとして自覚を持つようになった僕ですが、それに至る経緯は上記の通りですが、マインド的なところでは、実は様々な書籍から得た知恵、知識など、尊敬できるような著者から得た考え方というものが大きいです。

今後、noteではそういったマインドや具体的なノウハウなんかを記事にしていこうと思っています。

ダラダラと長い自己紹介文となってしまいましたが、最後までお付き合い頂き誠にありがとうございます。

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