「厂」に涙す
自分でも予想していなかったタイミングで涙が溢れることがある。
仕事を終えて家に帰り、なんとなくテレビを点けて、なんとなく録画していたテレビ番組を観始めた。Eテレの『美の壺』。
現在、東京国立博物館で顔真卿の書が展示されていることにちなんでか、「番外編」として漢字にまつわる「ツボ」を1時間にわたって特集していた。
番組の後半、毛沢東が推し進めた簡体字の導入とその普及政策に話が至る。取材班は北京に飛び、陳章太氏という人物にインタビューをしたようだ。
中国では1950年代に、簡体字の開発をすることとなる「文字改革委員会」が発足し、1985年12月にはそれが改組されて「中国国家語言文字工作委員会」となった(※)。陳氏は委員会の副主任を勤めた人物とのこと。
(※)芝田稔「日中両国における漢字の異同について」(1986年)による。
https://kuir.jm.kansai-u.ac.jp/dspace/bitstream/10112/16028/1/KU-0400-19860331-04.pdf
番組では、簡体字の開発とその普及によって庶民まで読み書きができるようになった、ということを陳氏へのインタビューを交えながら一通り紹介する。視聴者である私は、「ほぅ、古の漢字辞典などにも当たって、それぞれの字の省略形を根拠づけていったんだな」などと感心させられる。
しかしながらその後、「だが、簡体字の行き過ぎた普及に後悔の念を覚える知識人もいた」といったナレーションが流れ、再び陳氏が登場する。
陳氏曰く、「あまりにひどい省略をし過ぎてしまった文字もある」。例として挙げられるのが「厂」(chang)。この字は、繁体字で書くと「廠」。日本でも「工廠」などで使う。
中身を取り去ってしまい、屋根だけが残ることとなってしまった。はたしてそのような、中身のない、屋根だけのものを工場と呼べるのでしょうか。
そう語る陳氏の言葉を聞いたとき、本当に予想だにしていなかったのだが、涙がこみ上げてきた。「感動した」とか「悲しくなった」などのように名状できるものではなく、何か心を揺さぶられるものがあったようだ。
(ちなみに、先に参照した論文にも「陳章太国家語言文字工作委員会副主任は,中央機関に対し第2次漢字簡略化方案(草案)の試用を停止する一方,当面社会に使用されている漠字の混乱状態を正し,これに干渉するようその早期決断を迫る要請を行なっている」との記述があり、番組の内容と一致している。)
もちろん、当時の政治的状況や陳氏の立場などを考えると、これを単なる「涙がこみ上げてきた話」で終わらせてはいけないのかもしれない。だが、「一人の日本語使用者である私がなぜか急に涙した」、そのことは間違いがなく、無性に書き残しておきたい気持ちに駆られたのであった。
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