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これからの人間社会について考えてみた
お盆が近くなってきました。今年もまた、精霊送りは中止となり、精霊棚のお供物なんかは、全てゴミの日に出すことに。なんとも言えない気持ちです。
ゴミという表現に良いイメージは無いし、取るに足らない存在という意味にしか取れません。ゴミ人間とか聞きますけど、えげつない表現だなーと思います。
あと、クズとか、カスとか、下品な表現は結構あります。
無駄を減らすという傾向と合理的な社会の形成は、精神的な部分をどう捉えていくのかというのは、非常に関心のある所です。人間の存在意義とか生き方の定義とかそんな部分を問われる感じがします。まさに生きる価値が無い=ゴミという扱いは、人権とか言う以前に社会が生み出してきそうな感じです。
私はそれに加えて、亡くなった人の人格、もしくは霊格というものは、人間社会にとって果たしてどんな意味があるのか、そこを考えます。
死んだら終わり、と考える人が増えれば間違いなく仏教は終わるでしょうし、魂は存在して、人格尊重と同じく霊格尊重と言えば仏教の教えも、生きてくると思います。
これだけは言えることは、今まで無茶苦茶やってきた時代かも知れませんが、今までは宗教が人間にとって大きなウエイトを占めてきました。故に人類がここまで続いてきたとも言えますし、それは関係ないとも言えます。でも全くないと言えないことも事実です。
様々な事象を多面的に見て考えていくことの大切さ。
私は、全身全霊でもって仏教繁栄=人間繁栄と伝えて参ります。