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【性別適合手術と妻へのプロポーズ6】男と女、どっちに見える? 見える方でいいよ!

このnoteでは、LGBTQ当事者として、福祉の現場に立つ者として、「生」「性」そして「私らしさ」について思いを綴ります。自己紹介はこちらからご覧ください。
自分は男性だと思いながらも、一体何者かわからずに生きてきた私。戸籍も男性として生きていくと決め、私はついに性別適合手術を受けることを決意します。前回に続き、現在につながる男性ホルモン注射による治療や性別適合手術、そしてそんな転換期にはどのような仕事をしていたのかを綴ります。(本シリーズはこちらから)

27歳の時、これからは男性として生きていこうと決意した私は、性別適合手術を受けることを念頭に、男性ホルモンを打ち始めました。そして、学童保育支援センターに男性として雇ってもらいました。

私の仕事は、学童保育の現場を調査し、ガイドブックにまとめることでした。それまでは地域任せの面もあった学童保育の質の向上を図ることが目的でした。

たくさんの現場を回り、放課後児童指導員、そして子どもたちと話をしました。 ホルモン療法を開始してまだ1年も経っていなかったので、私の見た目は女性にも男性にも見えたはずです。実際、子どもたちから「おとこなの?おんななの?」とよく聞かれました。

「男、女、どっち?」と率直に疑問をぶつける子どもたちに、私は「どっちに見える?」と尋ねました。そして子どもたちの答えが男であっても女であってもこう言いました。「見える方でいいよ」と。

「男、女、どっちに見える?」という私の問いかけに、子どもたちが「男!」と答えてくれたときは、ホルモン療法の効果が出ているんだとうれしくなりました。反対に、「女!」という答えが続くと、「まだやっぱり女性に見えるんだ」と落ち込むこともありました。

私と同時期に採用された20代前半の女性支援員に「まだ女性に見えるんだって」とこぼしたこともあります。彼女は「もともと女なのだからしょうがないじゃないですか! いつまでもぐずぐずいっているから男になれないんですよ!」と言い放ちました。でも、なぜか腹も立たず、「そうだよな」と思いました。

初めて男性的なあだなをもらったのもこの時期です。今までは「ちー」「ちーちゃん」でしたが、学童保育支援センターでは「おにいちゃん」と呼ばれました。男の人のあだなをもらったのはうれしかったのですが、しばらくの間は「おにいちゃん!」と呼ばれるたびに、自分のことではないような、不思議な気持ちを感じていました。

学童保育支援センターの任期は2年間でしたがお金はなかなか貯まりませんでした。また仕事のほとんどは調査や分析で子どもと接する時間も多くはありませんでした。もっと子どもと一緒の時間を過ごしたいと考えた私は、以前働いていた就職した児童発達支援センターの園長に相談に行きました。そこで児童発達支援センターを卒園した子どもたちの保護者が、障害のある子どもたちの居場所として放課後等デイサービスを行う小さな事業所を立ち上げようとしていること、そこで働く保育士を探していることを知りました。私は転職を決意しました。

事業所に入職する際には、理事長に「お金を貯めて性別適合手術を受けたい」と明かしました。理事長は私のことを気にかけて、しょっちゅう「お金貯まっていますか?」と声をかけてくれました。おかげでそれまでにはないほど「貯金」への意識が高まりました。

それから2年ほどで、目標の200万円には届かないけれど、ある程度まとまったお金を貯めることができました。理事長との出会いがなければ、これほど順調に貯金することは絶対にできなかっただろうと思います。

男らしい外見が早く欲しかった私は、約50万円をかけて乳腺除去手術、おっぱいを取る手術を受けることにしました。

次回は乳腺除去手術についてお話しします。

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