同属嫌悪からのファン化
ファンビジネス、ファンを作ろうというワードを頻繁に聞くようになっている昨今、それを否定するつもりもないし、そうだなとしか思わない。この文脈だと、ファン=熱狂的な何か、ある種盲目的なニュアンスも含まれているような気がする。何かのきっかけを与えることで、ファンになってもらうような意味合いだと認識している。
この文脈とは全然逆の方向性で、僕はオードリー若林氏のファンになった。
M1で初めて見てその後も、色々なTVなどで出ているものの、なぜか若林氏のことが苦手だった。特に苦手意識を抱いたのが、セブンルールという番組でMCをやっているのを見た時だ。
なぜかこの番組を見て、すごぐ苦手になった。理由がわからないものの、なんとなく若林氏の番組を避けていた。
なぜかは明確に覚えていないが、たしか朝井リョウ氏のコメントをtwitterで見たかで、この本を読んだのがきっかけで、若林氏の著書も買ってみた。
そして、この本を読んだことで、なぜ苦手意識を抱いていたかを理解した。それは、自分と同じ人種の存在のような気がして、知らず知らずに避けていたのだ。人見知りの人間が活躍している姿を見て、目を背けていた。でも、この本を読んだってことは、「あれ人見知り治ったのかな」とも思った。
そして、この本も買って読んだ。若林氏も人見知りを克服し、一方で独身貴族になっている。寂しい独身生活で、僕と同じだ。あぁ、ここも同じじゃないかと思い、そしてそこには嫌悪感はなく、勝手に仲間意識があった。それを思ってから、オードリーのANNも毎週聞くようになり、今ではただの若林ファンだ。今まで好きな芸能人や文化人などは、最初から好きだった。苦手から入りファンになったのは、初めてかもしれない。おそらくこのまま、毎週ANNを聴き続けるだろうし、新しい本が出たら買うだろう。完全にファンである。嫌いから好きになる構図を作り出せればビジネスとして新しいということをなんとなく感じた出来事である。
ちなみに今苦手な有名人は、DJ松永である。
彼も自分と似たようなオーラを持っているから。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?