"本物の大人"になるためには?
こんばんは。
休業生活2日目。今日も読書に没頭した一日になりましたね。
ただ、ずっと同じ体制で本を読んでいると背中がカッチカチに固まってしまうので、一日一回は運動して全身の筋肉をほぐすようにしています。
最近は運動として、バットを持って素振りしたり、近くの公園の壁に向かって投球練習をしたり、とにかく一人でできる野球の練習をしています。
やっぱり運動すると気持ち良いですし、良い気分転換にもなりますからね。
さて、休業生活2日目ということで、今回もブログを更新していきたいと思います。
今回のテーマはですね、「"大人になる”ためには?」
これについて書いていきたいと思います。
なぜこのテーマに決めたかといいますと、今日はですね僕の愛読書の一つであるこの本を読んでましたので、この本の内容と僕の経験から大人になるなるためには何が必要なのか論じていきたいと思います。
今回紹介する本はコチラ!
『本物のおとな論』外山滋比古 著 海竜社
著者は日本が誇る名著『思考の整理学』で有名の外山滋比古先生です。
この本は以前、東大生に一番読まれている本として再び脚光を浴びましたが、これはもう大学生が絶対に読むべき本の一つですね。
刊行から今年で35年を迎えながら、今でも多くの人に読まれている"The 名著”ですね。
本は一年に約75,000冊が新たに発売されているのですが(出典:総務省統計局ホームページ 2017年)、これほどたくさん新たに出版されていると何を読めばいいか分からなくなってしまうのも無理はありません。
75,000冊も出版されているので、正直言うと本も玉石混交が甚だしく、質もピンキリと言っても良いでしょう。
そのなかで、僕は何を基準に本を選んでいるかといいますと、「10年後も読まれているか?」これを考えて買うようにしています。
まあ、この話をするとこのテーマだけでブログが一つ書けてしまうので、これについてはまた別の機会に述べたいと思います。
とにかく、ここでは『思考の整理学』は名著で大学生は絶対読むことを薦めるとだけ知っていただければ充分です。
ちょっと話がだいぶ脱線しましたが、今回紹介する本はその『思考の整理学』の著者として著名な外山滋比古先生が、本物の大人とは何ぞや?大人になるためには何が必要なのか?について論を展開されている内容となってます。
この本で外山滋比古先生がの主張していることと、僕の実体験から大人になるためには何が必要なのか、ここで論じていきたいと思います。
"リスク”という重荷を負って、険しい"階段”を登る
結論から言うと、真の意味で大人になるには上述のように、"リスク”という重荷を背負って、険しい"階段”を登る。
これが、外山滋比古先生の主張と僕の実体験から得た答えです。
身軽な状態で安易な道を易々と進んでいるようでは、生涯を通じて真の意味で大人になることは有り得ないと僕は確信を持っています。
本書は、外山先生も日本には本当の意味での大人が少なくなってきている。大人になることは難しいものだと嘆息されるところから始まります。
確かに、今の社会情勢を見ていると、モノを買い占めたり店員に八つ当たりしたりなど、自己中心的で子どもがすることを平然とする大人が増えているなと感じます。
人は困難に直面したときにその本質が出る生き物ですが、新型コロナウイルスの蔓延という混乱のなかで、報道やSNSを見るたびに子どものような大人がこれほどいるのかと嘆息してしまいます。
真の意味で大人になれてない人が多い中で、果たしてどうすれば本物の大人になれるのか?
この疑問を胸に、本棚に眠っていた本書を手に取った次第です。
さて、本題に戻りましょう。
本物の大人になるためには、「リスクという重荷を負って、険しい階段を登る」と述べました。
これについて詳しく解説していきましょう。
1. リスクという重荷を負うとは?
まずリスクという重荷を負ってとは何か?これについて説明していきます。
まず外山先生は、本書の第6章「大人の育成」で、大人を育てるには、苦労をさせることが不可欠だと主張されてます。
これに関しては僕も甚だ同意します。
小さい頃からずっと温室で何不自由なく育ってきた人が、この社会の厳しさに耐えれるのか甚だ疑問です。
今の学校教育はとにかく、知識の習得に偏向していて"人格の形成"という教育の本質から外れていると先生は言います。
本物の大人を育成するのであれば、イギリスのパブリックスクールのように親元から離し寮で質素な生活をさせて苦労させる。イギリスのジェントルマンはこれで育ってきた、ジェントルマンのような真の大人を育成したいのであればこのように育てるのが良いと言います。
これについても僕は同意見です。高校を卒業するまで実家で過ごしてきた僕からすると、小学校の頃から寮生活で同世代の子どもたちと共に集団生活をして育ちたかったなと今になって思ってしまいます。
こうして小さい頃から贅沢をさせず苦労を積ませることが、本物の大人をつくるうで不可欠ではありますが、僕はもう一つ大事な要素があると思ってます。
それはリスクを負ってチャレンジする経験を積むことです。
危険があると分かっていながら、その恐怖に打ち克ち、チャレンジする。
これを一番手っ取り早く実現するには、一人旅、できれば海外を一人旅させることですね。
僕も国内外問わず、一人旅をした経験はそこそこありますが、経験した身から言うと、一人旅はリスクに溢れてます。
特に海外は日本と比べ物にならないほど治安が悪いので、そのリスクは日本の数倍に上ります。
気を抜けばスリに遭い、乗るはずだった電車は運休になる。物乞いに絡まれる。クレジットカードは盗まれる。。。
海外を一人旅していれば、こんなことは常に起こりうる訳ですから、もうリスクだらけです。
それでも、そのリスクを承知の上で自分の足でまだ見ぬ世界へ歩を進めると、世界の美しさをこれでもかと言うほど実感するでしょうし、旅のなかで、本人が気づかぬうちに大人の階段を一気に登っているものです。
リスクを負ってチャレンジする。。。
これを一言で言うなら"投資"であると僕は思います。
資本主義社会では、投資をすることで社会が成長し、豊かになっていきますが、これは人間にも当てはまると思ってます。
人も投資をしなければ成長することはない。リスクを負ってチャレンジを積み重ねてきた人と、ずっと苦労なく温室でぬくぬくと育ってきた人。
将来どちらの人が本物の大人になってるかと聞かれると、僕は迷うことなく前者を選びます。
投資の例として、僕は一人旅をすることが一番手っ取り早いと言いましたが、別にこれ以外にも投資の手段なんていくらでもあります。
本物の大人になりたいと願うのであれば、こうした投資は避けて通れないので、自分にとって何が投資になるのか考えてみることをお勧めします。
2.険しい階段とは?
さて、次に進みましょう。ここでは後半の「険しい階段を登る」について説明していきます。
険しい階段を上る。。。
の前に、外山先生によると人間は大きく分けて2つに分類されると言います。
誰とは言いませんが、R〇LANDみたいに「俺か、俺以外か」ではありませんよ(笑)
外山先生の言う2種類の人間というのは、"エスカレーター"で登る人と"階段"で登る人。
この2種類に分類されるといいます。
まず、エスカレーターで登る人とは何かというと、これはそれに乗ってしまえば自分の足で歩かなくとも上に上っていく。。。
本書のなかで、今の教育をエスカレーターに例えて批判されてますが、余程のことがない限り途中でふるい落とされる心配はなく、そして最近までは会社に入っても余程がなければクビになることもなく、定年まで過ごすことができた。
そして、今の日本は一生エスカレーターに乗って過ごす人が半分くらいを占めている、極めて不自然、不健康な社会であると批判します。
特に人として苦労することなくとも高いところまで行けてしまう。その代わり、エスカレーターに乗っていると人間らしさ、苦労、生きがいというものとは縁が薄くなるものだそうです。
それに対して、階段で登る人は自分の足を使わねば上に登ることはできないというところで、前者と全くの対極です。
もちろん、自分の足で一段ずつ階段を登っていく訳ですから、エスカレーターよりも登る速度は遅く、大変です。
しかも、階段を踏み外してしまえば一瞬で階段を転げ落ちてしまいます。
そう考えると、自分の足で階段を登るということは大変なだけでなく、リスクを伴うものであると言えるでしょう。
ただ、外山先生は転んで痛い目にあって、立ち上がってまた歩きだす。。。
これが大人であると言ってます。
同時に、エスカレーターに乗って喜んでいるのは、物の分からない子どもであると言ってよいとも言います。
僕も全くの同意見です。
人生という階段は総じて険しいものだと思います。
自分の足で階段を登っていると、足を踏み外して転ぶこともありますし、最悪一番下まで転げ落ちることもあります。
それでも何度も立ち上がり、また一段ずつ階段を登っていくと気づかぬ間に本物の大人になっているものだと僕は思います。
3.最後に
本物の大人というのは、なろうと思ってなれるものではないと僕は常に思ってます。
それはリスクという重荷を負って、自分の足で人生という険しい階段を登っていると気づかぬ間に、人は子どもから本物の大人になっているものであると信じているからです。
なので、大人になりたいと思うのであれば、まずはリスクを負って何かにチャレンジする。そしてこれを繰り返して経験を積むのが一番だと確信を持っています。
もちろん、学校で知識を得て教養を深め、知性を養うことも本物の大人になるために不可欠なことです。
なので、僕は学校教育を否定することはしませんが、学校で勉強するだけでは足りないというのが外山先生と僕の主張であるとご理解いただければと思います。
最後に、僕の好きな言葉の一つで、本書のなかでも紹介されているイギリスの哲学者、トーマス・カーライルの言葉を紹介して締めに移りたいと思います。
「経験は最良の教師なり。ただし、月謝がひどく高い。」
苦労という月謝は非常に高いものだが、それは最高の教師となるということですね。
失敗、不幸、難苦といった辛い経験は人を大きく成長させる、人を真の大人に育てる。
これを経験しない限りは真の意味で大人であるとは言えないのではないでしょうか?
僕もまだまだ25歳と若いですが、同世代の人と比べると多くの辛い経験を積んできた自負はあります。
常に年上に見られるのは、それが顔に出ているのだと思うようにしています。
(でないとメンタル持たないというのもありますが…笑)
自分自身、本物の大人になれてないと思ってます。
25歳というものの、社会に出たばかりの何も知らない未熟者だと思ってます。
ただ、これまでリスクを負って自分の足で険しい階段を登ってきたと自負してますし、それは今後も命絶えるまで続きます。
階段を踏み外してしまうこともあるでしょう。もしかすると階段を一気に転げ落ちて最下層まで落ちてしまうこともあるでしょう。
しかし、そうなったとしても何度も立ち上がる力を僕は持ってるので、真の大人になる道はまだ道半ばですが、一段ずつ確実に登っていきます。
今回はかなり長くなってしまいましたが、これを読んで大人になるとは何か、どうすれば大人になれるのか考えていただくきっかけになれば幸いです。
4,600字、A4にして3ページに匹敵するほど長文になってしまいましたが、最後まで読んでいただいた方、誠にありがとうございます。
また明日も書きますので、次回もお楽しみにしてください。
それではまた👋
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