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34年前の教護院⑪変化

2番手になってからは、
調理実習のメンバーに選ばれることが多くなった。
時々選ばれる食事当番は、部屋ごとで当番になり、作られたものを調理棟へ取りに行って、寮で配膳し、
終わった食事の入っていた鍋などを返しに行く。
それとは別で、調理実習は、
その名の通り作る側となる。
寮から離れるので、
2番手になると、行くことも多くなる。
私は調理実習が好きで、
選ばれる事が楽しみだった。
だって、楽しく調理師さん達と話せるからだ。

全国から生徒が集まる鬼怒川学院。
私はその中でも数少ない、
栃木県民であった。
鬼怒川学院とは、栃木県にある。
そのため、調理師さんは可愛がってくれ、地元の話なんかで盛り上がった。
おかげでキャベツの千切りは得意となった。
手に怪我をしていると、調理実習には行けないので、
私はいつも手を大切にしていた。
もしかすると、よく選んでくれたのは、私が実習に行きたがっているのを、奥さんは知っていたのかもしれない。

1年過ぎると、退院が待ち遠しい。
一緒に1年過ごした子が、
4室にはいる。それが自分も
近づいてきていると感じさせる。
4室は事務所から1番遠い部屋。
そこへ退院1、2ヶ月前になると、
1人で入る。
時期が重なれば2人だったりもする。
この頃になればもう、
逃げる心配も無いので、
先生達から目の届きにくい奥の部屋へとなるわけだ。

いよいよ退院間近となると、3週間ほど前から、専修科にはいる。
専修科と言うのは、寮の皆との行動から離れ、別行動で作業をする。
そこには、他の寮からも、退院の近い生徒が集まり、
各寮長とは別の先生が担当する。
ここへ入れば、退院は秒読み状態だ。

4室の子が退院する度、
部屋替えが必ず行われる。
部屋長に昇格する子
2番手に昇格する子
3番手に昇格する子。
この順番は、入院した順番で必ず決まっている。
ただ、問題がある子は、
4室に入ってからの退院が遅れる。

奥さんは生徒が退院すると、ホールの窓際の席に座る。
いつもの様に生徒達が集まる。
そこで初めて、
退院した生徒の事を褒める。
在籍中には、絶対褒めることは無い。
退院してから褒められても、
本人は聞くことは出来ないというのに。
私にも、先生や奥さんから見て
褒めるところは果たしてあるのだろうか。

私も2番手の中でも順番が上がっていく。
もうすぐ部屋長になるだろう。
ただ私に部屋長が務まるのだろうか。
部屋長になれば、当番という仕事もある。
緊張すればするほど、私は失敗する。
1年以上いると、新しかった頃とは別の不安があった。

誰かが怒られると、寮全体の作業に支障が出ることがある。
先生と奥さんが怒り出すと、
いつもの生活が機能しない。

その日もそれが理由で、洗濯物を干す時間が無くなってしまった。
とにかく他の子達は先に、
学校行事へ出かけることになり、
私が1人残り洗濯物を干すことになった。

いつもと違う極度の緊張。
寮には奥さんと自分だけ。
そのプレッシャーからなのか、
私は突然の尿意に襲われた。

どうしよう。
トイレに行きたいけど、
今言うのは言いづらい。

普段からトイレは、行くべき時にしか行けない。
それまでは、どうにかこうにか我慢しなければならないのだ。
だから、
今は言えない。

そう思い必死に堪えた。
下半身に力を込める。

しかし無情にも私の膀胱は耐えてはくれなかった。
一度流れ出したら全部排出した。
血の気が引いた。

15歳で漏らした。

この事実をどう、受け止めようか。

そしてどう、奥さんに伝えたものか。

きっとあの冷たい目で蔑まれるのだろう。
そしてみんなの前で、馬鹿にされ、
先生に退院するまで、小馬鹿にされるだろう。
叩かれるのも間違いない。

「奥さーん。」

「はーい」

「奥さんごめんなさい。お手洗いに行きたくて、漏らしてしまったのですが、着替えにお部屋と洗面所に入らせていただいてもよろしいですか?」

「はぁーい」
トーンの下がった声で返ってきた。

その後着替えをし、
汚した衣服の手洗い許可を得て、
何とか乗り切った。

奥さんが後からその事に触れることはなかった。
あの時、返事は低いトーンだったので、きっと呆れたのだろう。

緊張する程失敗する。
これが1番の良い例だ。
トイレに行きたいことを言わないというその判断が、間違っていた。
いつも後から気がつく。
そういう判断が出来ない。
それが私だった。

子供の頃からそうだ。
父と母が喧嘩して、母が夜出て行った時、私は母を探しに行き、
勤め先の隣の喫茶店で母を見つけた。
そして直ぐに、父へと報告した。
そのとき、出ていった母は悪いのだと思い、父に報告したのに、
それは正しくはなかった。
母は、少し落ち着いたら帰るつもりだったので、居場所を喋って欲しくはなかったのだ。
居場所を告げられた母は、父が酔っ払って喫茶店に来られては困ると、
直ぐに家に帰り、父に髪を捕まれ
床に叩きつけられた。
姉は必死に止めていたが、
私は何も出来ず、ただ泣いていた。
私が母の居場所を伝えたのが悪かったんだと、後悔した。

そういう事が私には分からない。
何が正しくて、何が悪いのか。

私がどんなに正当な理由をつけて家出をしても、それをしては行けないと言われる事が分からない。

そう、昔からの習性だ
上手くなんて、やれるはずが無い。

ここへ来て
変わったことといえば、
2寮にどっぷり染まって神経質になったことと、
小さな子供の相手が、
少しだけ上手くなった。
という事だけだろうか。

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