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10万円のクワガタと幼い早大生

ノンフィクションです。ぜひ、「わたし」の心情を、ある変化を踏まえて読み取ってみてください。


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わたしはやや田舎よりの都会で生まれた。家の目の前を電車が通り、線路沿いには草木が、その向こうには川が流れていた。

7歳になった春、両親と牧場に行くことになり、そこで福引きを引いた。見事一等賞で、薄汚いボトルに入った、お世辞にもかわいいとは言えないクワガタの幼虫を貰った。私が一等を引き当てたのを見て、後ろに並んでいた5歳くらいの男の子が泣き出した。他にも景品のクワガタはいるのにどうして泣くのだろうと思い、壁に貼ってあった、一等の説明文を読んだ。


なんとかかんとかクワガタ
値段:2〜10万円


ええ!?
わたしが当てた一等のなんとかかんとかクワガタは結構レアなクワガタだったらしい。




7歳のわたしは突然、10万円引換券を手に入れた。このお世辞にもかわいいとは言えないクワガタの幼虫を、成虫になるまで育てて売れば10万円になるかもしれない。両親は後ろの男の子に譲ってあげなさいとしきりに言っていたが、値段を見た瞬間、そんな声は聞こえなくなった。


帰り道、虫かごと昆虫ゼリーを買い、その日から育てることになった。名前はクワちゃんと名付けた。といっても、成虫になるまで何もしなくていいのでしばらく放っておいた。クワちゃんはある日さなぎになり、とうとう成虫になった。

さぁ、売りに行くぞ!と思ったが、せっかく虫かごと昆虫ゼリーを買ったから、もう少し育ててみようと思った。



虫かごの中でゴニョゴニョしているクワちゃんを見て、最初はかわいいと思った。最初の10分くらいは。でもなかなかゼリーを食べてくれなくて、だんだん飽きてしまった。

毎日土に霧吹きをかけてあげることや、食べた様子のないゼリーを交換してあげることに、意味はあるんだろうか。少しでも生き物を育てている実感が欲しくて、クワガタを素手で掴んではゼリーの中にぶち込んだ。


そうして見向きもしなくなった秋の終わり頃、それは動かなくなっていた。いつから動いていないのかわからない。からからに乾いた土の上で、夏から交換していないオレンジ色のゼリーを見つめながら、ひっくり返って動かなくなっていた。


わたしはそれを川のほとりに埋葬してあげることにした。


父親と一緒に河川敷に向かい、父が石を退けて穴を掘るのをじっと待った。

そして完成した穴の中にそれを埋めて、また土を被せて、その上に石を置いた。


最後のお別れの時だ。


父親は気を利かせたのか、急に川の流れが気になったフリをして、わたしのそばを離れた。わたしは1人でお別れの言葉を言うことになった。


「さようなら…、××××…?」


これ以来、わたしは生き物を育てたことがない。



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※文中における、「わたし」のクワガタに対する呼び方の違い



「お世話にもかわいいとは言えないクワガタの幼虫」
(福引き直後)

「なんとかかんとかクワガタ」(値段判明時)

「クワちゃん」(値段判明後〜)

「クワガタ」(育成に飽きた時〜)

「それ」(動かなくなった時)

「××××?」(埋葬時)




最後はもう、名前すら思い出せないほどクワガタへの興味を失っていたということです。

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名前はクワちゃんだった気もするし、グワちゃんだった気もするし、フワちゃんだった気もする(ない)



わからないので、表記が××××?となりました。



今でもクワガタの値段は覚えているのに、名前や正式名称は思い出せません。クワガタを蔑ろにしてしまってから、自分には生き物を育てる資格も責任感もないと思ったので、それ以来生き物は育てていません。


特に、体温を感じる生き物は、その温かさがなくなってしまうのではないかと思うと怖くて触れないです…。


でも、もしかしたら体温を感じない生き物の方が育てるのが難しいかもしれませんね。体調が分かりづらい気がします。あのクワガタもなぜゼリーを食べてくれなかったのか不明です。


気になったので、先日父に聞いてみたところ、「足が折れてゼリーにたどり着けなくて餓死したんじゃないか」とのことでした。

ほう…?よく知ってますね…。



もしかして、埋葬する時に父がわたしのそばを離れた理由って………。

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