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【#自己紹介】50代でアニオタでガーデニング好きの女のつくり方

自己紹介がnoteの企画になっている、と書いてあるので、はてどうやって書こうかと迷った。
迷いすぎて、起きてから30分以上、自分の祖父母の経歴に至るまで思いを馳せることになった。
自己紹介って、何を、どこまで書いたらいいんだろうか。
「今野綾子です。よろしくお願いします」
これでは、お仕着せの会社の研修の自己紹介だ。名前以外何も分からない。
「私の父方の祖父は〇〇で、母方の祖母はこういう経験をしたのち、父と母が生まれ……」
こっから始めて行くくらいだったら、「30万円で自費出版でもしてこい」と読み手様に毒づかれて別のページに移動されてしまうのがオチだ。
どうでもいい他人の「自分語り」ほど聞き手(読み手)にとって面倒くさいものもない。
そんなのは、仕事の窓口や電話で一定確率で遭遇してしまう年金生活者の話を聞くので十分だと思っている方々も多いだろう。
(給料もらえるから我慢して聞いてるけど、そうじゃなかったらこんな電話切ってやる。こんなジジイは窓口から追い出してやる。こっちはサービス残業までしてくたくたなんだ)
そんな経験、社会人の皆さまなら一度や二度以上はご経験済みかと思う。
せっかくのプライベートタイム、そんなつまらないものに大切な自分の時間を費やしたくはないだろう。

じゃあ、自己紹介って何を書いたらいいの?
ウェブで文章を書く、というのは、ヒミツの愚痴吐きサイト、などを除けば、少なからずとも「他人様に読んでいただく」ことが前提になる。当たり前の話だ。
だから、自己紹介というのは、「自己陶酔」のために書くのではなく、あくまでも「読み手」のために書くのが本来の目的ということになる。

では、何を書いたら良いのか。
長すぎては飽きる。短すぎても訳がわからない。
という訳で、ここでは今まで私が何となくnoteに書いてきた記事の傾向をまとめ、「なぜ私がこういう類の記事を書く人間になったのか」を、できるだけかいつまんで説明していこうと思う。

今まで書いたnoteの記事により、私から浮かび上がるイメージは、以下のような傾向に箇条書きできると思われる。

・アニメが好き
・家庭菜園やガーデニングが好き
・美青年のアバターを作るのが好き

では、なぜそういう記事を書く人になったのか、について順を追って説明してみようと思う。

  1. アニメが好きになった理由

  2. ガーデニングが好きになった理由

  3. 美青年のアバターを作る理由

1.アニメが好きになった理由
 幼少期の頃のことはよく覚えていないが、おそらく読み聞かせはよくしてくれたのだろうと思う。小さい頃は母に連れられて図書館に本を借りに行った記憶はある。
 あまり社交上手ではなかった私は、授業が終わると自宅に帰って、おやつを食べながら新聞を読むのが好きな子だった。
 そして、当然ながら漫画も好きだった。
 「子供文学全集」という、毎月1冊届く児童文学の分厚い本を読むのを楽しみにしていて、夕飯の声がかかってもなかなかキッチンに来ない子供だった。漫画は、当時「なかよし」を買ってもらっていた。「キャンディ・キャンディ」が全盛の頃だ。
 そんな風に、自宅で何かを読むのが好きな子供だった。
 あの頃は、帰宅から夕飯終わりころまでの時刻には、子供向けのアニメが沢山放映されていた。
 今と違って、選択肢も少ないし、田舎で当時、NHKの2チャンネルと、民法が2チャンネルくらいしか無かったから、選ぶ余地は少なかった。
 だから、宇宙戦艦ヤマトも花の子ルンルンも妖怪人間ベムも見たしヤッターマンシリーズももちろん見た。(ヤッターマンのある回で途中でリアルの地震が起こって家の外に逃げた記憶もある)キャプテンハーロックとブラックジャックは、私の小学生時代の脳内の「アコガレのカレシ」だった。もう少し後からはガンダム(1st)や銀河旋風ブライガーも見た。
 一時期、アニメから離れた時期もあったのだが、現在の夫が私以上に律義なアニオタで、新着アニメの録画を欠かさない男であったため、二人で暮らすようになった20歳代後半からはまた、せっせとアニメを見るようになった。子供も結局作らなかったため、ずっと食事タイムの娯楽は録画しておいたアニメ視聴が習慣となり、今に至る。

2,ガーデニングが好きな理由
 起源は、親の職場の小さな官舎から、一戸建てのマイホーム(親にとっての)に引っ越した小学生の頃に始まる。
 その頃、母は西側の庭で野菜を育てることに熱中していた。
 大きく育ったトマトに、大きな虫食い穴が空いたのを見た記憶がある。
 おぼろげながら、ジャガイモも採れた記憶がある。
 ただ、その後西の庭には小さなアパートが立ち、野菜は作れなくなった。
 南側にも庭があったが、母は当初、カキや梅も植えていたが、いずれも「毛虫が出る。世話が面倒くさい」という理由で果樹は撤去して、カイヅカイブキだけを植えるようになった。
 その後は、2度ほど、第三者からのご厚意で、「家を建てる前の土地」を借りて、野菜を作った。1回は母と共に腰を痛めながらナス畑を作ったが、作り過ぎて一斉に収穫期を迎えて食べきれなかった記憶がある。二回目はもう母はガーデニングに興味を示さなかったので、私だけが土いじりをした。
 現在住んでいる貸家は、もう20年位住んでいるが、庭があるのでやはり雪が解けると何かしら植えてみたくてそわそわしてくる。
 平成28年頃、心身症で全ての事にやる気が無くなり、ただひたすら部屋で寝ていた頃、知人が「植物を育ててみるのも、気晴らしになるよ」と勧めてくれた。その時は100均一で小さな多肉植物を購入した。
 そこからまた、ガーデニングに少しずつ意欲が復活し、ぼうぼうにしていた庭の雑草も、前よりは抜くようになった。
 仕事から帰り、庭の手入れをしていると、不思議と心が落ち着き、満たされる感じがした。
 また、雪の季節も何かしら植物を部屋の中で育てたくなった。

カランコエ。挿し木が増殖した。

2020年秋に、黄色と赤のカランコエを、冬の茶の間のにぎやかし用に購入した。春に花が終わったので、強剪定をして、剪定した枝が勿体ないので、挿し木をしたら順調に育ち、短日処理と液肥を与えたら花が咲いた。今も20鉢ほど部屋の中にある。全鉢に花が咲いている。
昨年から今年の冬の室内は、花に彩られた。
ただし、どうにも作り過ぎてしまった感があるので、次は室内でも冬場は「成長したら食べられる」植物の栽培を試行錯誤していこうと思っている。
平成28年に購入した多肉植物は、徒長ぎみだがまだ健在である。

3.美青年のアバターを作る理由
 これが一番、説明が難しい。
 ただ、できるだけ簡単に言えば、私は「女に生まれてきた事を損」だと思うようになり、「男に生まれてくれば良かったのに」と思うようになっていった子だった。
 それは、同性愛者である、ということではない。
 人間、100%同性に興味が無いかと言えば、そう断言するのも難しい。
 私も、「仲の良い女友達に、性的快楽を含む接触をしてみたら、どんな反応をするだろうか」と夢想することは何回かあった。
 ただ、女子校に入ることも無く、いわゆる「百合文化」の渦中に突っ込まれたことも無かった私は、相手に嫌われたり疎遠になられたりするのも嫌だったので、そういう小さな好奇心は心の中にしまっておいた。
 しまっておかなければ、バイセクシャルだったのかもしれない。
 ただ、圧倒的に好きなのは男性だった。
 子供時代、私の目に映った光景は以下のようだった。
 電車で、大股を広げていびきをかいていても、男性は許される。
 女性が同じことをしたら、社会的な批判を浴びる。
 損だと思った。一事が万事、そんな風に思っていた。
 父親に、「私、男に生まれてきたほうが嬉しかった?」と聞いた記憶がある。父親は「どちらかと言えば肯定」していたような気がする。
 小学生の頃、親友と心の願望を打ち明けあった。
 親友は、「獣医になりたい」と言っていた。
 私は、「子宮を取り去りたい」と言っていた。
 私のこの、「自分が女に生まれてきてしまった自己嫌悪」は、思春期に入るとさらにこじらせていき、「せめて見た目だけでも男性に間違われてみたい」と、背が伸びる薬を漫画雑誌の広告を見て小遣いで買ってせっせと飲んだりしていた。それはただのカルシウム剤で、10歳で初潮を迎えて身長153センチで成長が止まってしまった私には、1ミリたりとも効果を及ぼさなかった。「ならば髪型だけでも、少しでも背を高く見せたい」と、高校の頃は「エコー&ザ・バニーメンのイアン・マッカロクみたいな頭頂部をふわりとカールして立たせた髪型なら身長も少し高く見えるのでは」と思い、美容室に写真を持参して行ったら、ただのパーマになり、手入れをサボったらパンチパーマのおばちゃんみたいになって、恥ずかしい思いをした記憶がある。(当時のイアン・マッカロクは甘いフェイスのイケメンでした)
また、「少しでも男性に間違われるために、文系ではなく理系を選びたい」と、得点科目が英語(父が英語教師でスパルタ教育を受けた)と現国(本好きだったので勉強しなくても解けた)で、数学と物理はいくら勉強しても低空飛行だったのに、そういうこじらせのため、頑固に理系選択を選び続けた。大学受験はそんな訳で、一次試験はともかく、二次試験は旧帝国系の国立大は全て落ちた。受かったのは、二次試験が小論文だけという、地元の農学部だった。一次試験の成績は現役の時と10点位しか違わなかったので、親に浪人1年分の学費と生活費を損させてしまったことになる。
今までのエピソードで、私の中途半端(本人は当時は必死)なジェンダーの形成がおぼろげにでも見えてきただろうか。
簡単に言うと
性自認:男性
恋愛対象:男性
な人であった。
もう、高校生頃には腐女子になっていたので、(当時は腐女子という言葉すらまだ創出されていなかった)「受けの美少年か美青年になりたい」というのが総合すると自分の希望ということになる。
しかし、アナルは痛そうだし、脱腸になっても困るし、ヴァギナ感覚のほうが強力な快感だったので、リアルの身体は女性のままが良かった。
簡単に言えば「『風と木の詩』のジルベールか、映画『ベニスに死す』の中のビヨンド・アンドレセンか「禁じられた色彩」を歌っていた頃のデヴィッド・シルヴィアンみたいになりたい」みたいな感じだ。

私が、「美青年になる」方法は2つ。
ひとつは、「美青年が出てくる二次創作小説を書く」こと。(一次創作小説は難しくて今もなかなか書けない)書いている最中は、登場人物の気持ちにならないと書けないタイプなので、書いている瞬間は、私は脳内で「美青年」や「美青年を抱くイケメン」になれる。
また、それを読み直している間も、感情移入できるので、「男」になっていられる。(あくまで脳内でだが)
私は50代なので、ファミコンと出会ったのは20代の大学生の頃だ。
当時はファミコンだったし、キャラメイクするほどの自由度は無かったので、普通に遊んでいたが、2000年代あたりからは、「オンラインゲーム」が台頭するようになり、それと同時に「キャラメイキング」もできるようになった。
これは、私にとって大いなる福音だった。
これでやっと、画面の向こうだけど、「美青年」として自分が歩いたり、チャットで喋ったりできるようになる。
当然ながらハマった。
最初に自分で作ったキャラは、PSOで白髪のポニテの男で、名前を「セフィロス」にした。その次は、オレンジのツンツン頭で、名前は「カズマ」にした。(「カズマ」は1年以上、カミングアウトするまで中身が女だというのは、プレイヤー仲間にはバレなかった)
まあただここでも、私は自分が他者と比較して「ゲームが下手」であることを自覚せざるを得なかった。
オンラインゲームは、一定以上の上手いプレイヤーをターゲットとして、飽きさせないために次々に難易度を上げた新しいシナリオをリリースしていく。
いくつかのオンラインゲームを渡ったが、自分以外の人たちからいつも追い抜かされていく絶望感を常に最後には抱いてそのゲームを去ることになっていった。
という訳で、現在は「MMORPG」は現役プレイしているものはない。
ただ、「美青年(美少年)」のアバターメイキングだけは好きなので、これは今後も、形を変えつつも続けていくのではないかと思う。

#自己紹介 #LGBTQ

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