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「珈琲を読み、本を飲む」

寝ぼけたような言葉がずっとメモに残されてる。

どういう意味なのか、ただ単に響きが気に入って書き残したのか、ここしばらくもやもやと考えていた。

本を読むように飲む珈琲ってあるか?

まあ、ロースターで丁寧に説明を受けながら、感じて欲しいであろうフレーバーを探すように飲むことはそれに近いかもしれない。

あるいは、カフェのカウンターでバリスタさんの今までの紆余曲折を聞きながら、人生って難しいよね〜って言い合いながらゆっくりと飲む珈琲は確かに読書に近かった。

「珈琲を読む」っていうのは、珈琲を通してその奥にいる人と考えを共有すること、なんて言えるかもしれない。

じゃあ「本を飲む」ことはあるのか。

これはもう、めちゃくちゃある。

よく好きな作家で挙げるのは高校生のころから森見登美彦だったけど、自分にとっての森見作品とはグビグビと飲むコーラのような本である。

だいたいの話がもてない大学生のああでもないこうでもないという詭弁がつらつらと並んでいて、それを喉越しよく飲み込む。
心の中でゲップもでる。

細かいストーリー覚えてないけど、それは特に大した問題じゃなくて、ただ喉をシュワシュワさせたくて読むのが自分にとっての森見登美彦だと思う。

ストーリーがうろ覚えだけど笑ったのは覚えてる。

最近は短歌も飲み物のように読む。

これは良いお茶をゆっくり味わうように読む。

この前「雪のうた」という100人の作家によるアンソロジーの短歌集を、大事にひと口ずつちびちびと読んだ。

「白ければ雪、透明ならば雨と呼ぶ
わからなければそれは涙だ」 鈴木春香

食べ物みたいな本もそれはもうたくさんある。

スルメのように何回読んでも旨味を感じる本もあれば、めでたい日のご褒美みたいにタイミングを見てほくほくと読むデザートのような本もある。

「本を飲む」どころじゃなく、食べる時もあるし、確実に何かしらの栄養を摂取している。

買うだけでも、本棚に積んでいるだけでも摂取することができる。

あと本屋の空気中にしか存在しない元素っていうのは確実にある。
あります。

「珈琲を読み、本を飲む」

これを書き残したきっかけは本当に分からないけど、気持ちや行動を何かに変換したり、翻訳するような作業が好きなんだと思う。

明日はどんな珈琲を読んで、どんな本を飲むのか。

本の飲み放題とか、なんか魅力的だよね。

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