第九回「訳詞をするとき②」~創作ノート~TARRYTOWNが上演されるまで
こんにちは!TARRYTOWN翻訳・訳詞・演出の中原和樹です。
前回のノートで訳詞にまつわるコトを書き連ねましたが、今回は訳詞前に歌詞を調べるという作業から、実際の訳詞作業に移ってきます。
便宜上、見出しごとに整理していますが、一つずつの作業を終えて次の作業にいくというより、実際は以下の作業の中を行ったり来たりするイメージです。
楽曲の核となる内容を表す単語をたくさん書く
これは前回の記事で書いた「韻を踏む箇所」という事柄に通じるのですが、まず、楽曲として大事にしている内容を表す単語をずらずらっと挙げていきます。その際にはなるべく同じ韻の言葉をまとめておきます。
例えば、TARRYTOWNの劇中に「History」という楽曲があります。
ブロムがソロで歌う、ブロムの心中や人物像、そして何を抱えて生きているのかが垣間見える、素晴らしい楽曲です。
歴史学教授であるブロムならではでありますが、楽曲の中でブロムは何度もHistoryという単語を使用し、「歴史」とは文字の羅列であり、そこには純然たる事実が積み重なっている(ようにブロムには見える)ため、推測や気遣いが必要ない、ということを歌います。
カトリーナとの夫婦生活において、カトリーナがどう感じて何を考えているか推し量り、不安を抱えながら生きてきたブロムが、自身の安定と安心のために求める価値観が「History」という単語に集約されていくのです。
この楽曲の訳詞の場合、Historyという単語に何を当てはめるかが、まず私の中での焦点となりました。
・(そのままカタカナ語として)ヒストリー
・歴史
という選択肢がすぐ出た上で、さらに近い韻のものを探していきます。探す単語自体は、前回のノートに書いた、楽曲の大事な内容に関係するもの(Historyという単語だけではなく、他の内容も踏まえて)という観点から考えます。
この楽曲の場合、
・事実の蓄積(ちくせ「き」が韻)
・駆け引きは文字にはいらない(母音の「い」)で韻を踏んでいます)
などです。
この「言葉探し」のようなものが、たまらなく楽しいのです・・・
もちろんすごくすごく大変なのですが。笑
韻を踏みつつ、後述するような、楽譜の音形にはまり、かつイントネーションも日本語としてばっちりな単語や文章になってくると、何か新しい一つの生き物が生まれてくるような感覚があります。
それが完成して、俳優の力で立ち上がる瞬間はたまりません。
楽譜上で、核となる内容が表わされる部分を探す
楽譜上で何度も出てくるフレーズであったり、その楽譜上での最高音であったり、ロングトーンであったりと探し方は様々ですが、ありていに言ってしまうと、その楽曲の中で一番心揺さぶられ、キャラクターの内面が見えるような、楽曲の核となる箇所を探すという作業をします。
音楽的にも盛り上がりがあったり、逆に一気に静かになったり、ドラマ性が見えてくる箇所でもありますが、その重要な楽譜上の部分をどう訳し、言葉の運びを乗せていくかということを考えます。
同時に、音楽的にもどういう工夫や仕掛けがあるかなども見ていきます。
楽曲の核・中心となる部分の音楽と言葉を、どう混ぜ合わせていくか、共存させていくか、掛け合わせるか、そういったことを追求していくイメージです。
楽譜を頭から訳していく
ここでやっとこの作業に至ります。最初から楽譜を訳していくことは私の場合あまりありません。
なぜかというと、上記した作業をしないまま、つまり楽曲の一番核となる楽譜上の部分を探したり、そこに当てはまりそうな言葉の候補を探すという作業をしないままで楽譜の頭から訳していくと、楽曲の一番重要なメッセージを取りこぼしてしまう可能性を感じるからです。
この段階でも楽譜上の仕掛けや音形の変遷など、言葉と音楽をどう繋いでいくかに苦心します。
もちろん原語歌詞の意味をベースにしていくのですが、そもそもの言語体系が違うので、全く同じにすることは(ほぼ)不可能です。
そのため、私の場合、特に時間を掛けて探求する観点として、以下のものがあります。
①日本語イントネーション問題
これは言語の特性の違いですが、英語は俗にストレスベースの言語(ストレスアクセントの言語)であり、日本語はピッチベースの言語(ピッチアクセントの言語)と言われています。
英語で言葉を発する場合、その単語のどこにアクセントがあるか、音の強弱が重要となり、音の高低は比較的自由です。
一方、日本語は音の高低が重要となります。音の強弱も関係しますが、高低ほどではありません。
「はし」という単語などは分かりやすい例ですが、
端、橋、箸など、、、
音の高低(+文脈)がないと、単語の意味が分かりづらい、というより分からないのです。
ミュージカルの場合、音楽として音の長さや高低、強弱が記されていますが、聞いている人にとって、やはり音形の運び、つまり高低がどう変遷していくかということが大きい要素です。
英語の場合、単語の強弱がきちんと聞こえれば、音が高くなろうが低くなろうが、理解しやすい場合がほとんどです。そして、一音の中に一単語を入れることも可能なため、英語はミュージカルにおいて有利な言語(こういう表現で良いのか分かりませんが)だと感じます。
一方日本語は、一音の中に一単語を入れることが難しい(不可能ではありませんが)ため、その単語のイントネーションと、当てはめる楽譜の音形がマッチしないことが多々あります。
例えば、Historyの楽曲の場合、
historyという単語にもともと当たっている音形は、
ヒス(低い音) ー ト(中くらいの音) ー リー(高い音)
となっています。
これに「歴史」という単語を当てはめると、
れ(低い音) ― き(中くらいの音) ー し(高い音)
となりますが、これは歴史という単語が持つ日本語のイントネーションと比較的近いものです。
れ(低い)・き(「れ」より高い音)・し(「き」と同じ音)
これが、例えば
れ(高い音) ー き(中くらいの音) ー し(高い音)
とかになってしまうと、歴史という単語には聞こえない、もしくは違和感を感じてします。
どうやら私自身は、翻訳ミュージカルの歌詞を聞く際に日本語イントネーションとの整合性がかなり気になるタチらしく、自分の中でかなり明確に違和感を感じる/感じないのラインがあります。
もちろん全てが理想通りになることはなかなかありませんが、「日本語イントネーションを守る」ということは、私の中での優先度として高い位置にいるのは事実です。
これが聞こえる(つまり違和感なく聞こえる)ことが、歌詞の意味を届けることに大変重要だと考えているということです。
②ラストの伸ばす(音価が長い)音符をどうするか問題
英語の場合、よく楽曲のラストに来るキメのロングトーンに単語が当てはめられていることが多々あります。
日本語の場合はそうもいかないため、どうしても助詞でロングトーンを歌うことが多いように感じますが、本来の意味合いで行くと、長い音符のところはエネルギが―高い部分であることが多いため、
が~~~~~
に~~~~~
などだけでは表せない部分です。
そうなると必然的に、ロングトーンに当てはまる助詞の前の単語をどう選ぶのか、どうロングトーンに繋げていくのかが重要となってくるように感じます。
愛が~~~~なのか、
君に~~~~なのか
それとも単語がうまくはまり、
ゆく~~~さ~~~~~き~~~~~~!(行先)
とかなのか。
上記のように、ロングトーンの音が、一単語の中の最後の文字(つまり助詞ではない)の場合と、助詞の場合とで、また聞こえ方、ひいては俳優の表現の創り方が変わってきます。
前回のnoteに書いた、体言止めと用言止めとも関わってくる観点です。
特に楽曲の一番ラストに来る部分の場合、その楽曲の終わり方、終着点に
も関わるので、何が良い表現なのか、慎重に考えます。
③音楽としての切れ目と、訳詞文章の切れ目をあわせる問題
音楽としての切れ目やリズムと、訳詞文章の意味の切れ目、言葉の切れ目をあわせていく(探していく)ということもします。
これもなかなかに大変な作業なのですが、サントラがある場合、英語の文章の切れ目もヒントとなります。(戯曲上の原語歌詞もヒントです)
文章の切れ目、意味合いが変わる部分と、音楽の切れ目や展開には、密接な関係があるように思えます。
音楽が持つダイナミクスというか、展開というか、流れというものと、言葉が持つ流れがうまく混ざり、相互に関係してよりドラマティックな流れが作れるかどうか、そこに違和感がないかどうか、これも重要な観点です。
歌詞の整合性を確認する
最後の調整のような作業です。
歌詞を部分部分で捉えるのではなく、文章全体を通じて、歌詞の整合性、戯曲との整合性、歌詞として観客に届く際に違和感が無いか、そして何より、「その楽曲を歌う登場人物の言葉」としての整合性を確認してきます。
その人物が言いたい内容、胸に秘めていること、抑えきれない想いなど、歌として人物の内面が発露される道筋はたくさんありますが、必ず歌詞は「登場人物の言葉」でありたいという願いからきています。
(もちろん楽曲によって例外はありますが、人物・状況・タイミングなどの要素が絡まる、必然性のある言葉になりたい、と言い換えても良いかもしれません・・・!)
・このタイミングでこの言葉を言うのか
・この言葉、文章の展開がその登場人物の生理にあっているのか
・この言葉遣いを本当にその人物は使うのか
・楽曲の始まる前のお芝居から始まり、楽曲が終わった後のお芝居にきちんと繋がるのかどうか
こういった観点で、文章を微調整していくこともあります。
その場合、また上記したような作業に戻り、違う言葉や文章の入れ替えなどを検討するということです。
いつにもましてたくさん書いてしまいました!
自分の作業を全部網羅出来ているかは分かりませんが、
こういった観点で訳詞をやっているんだなぁと、面白く見てもらえたら嬉しいです。
自分でも作業を見直してみて、こんなプロセスでやっていたんだなぁと、再発見に近い想いでした!笑
もちろん稽古場で実際に出演者の方々に歌っていただいて気付くこともたくさんあり、また、音楽の専門家と歌詞を検討するというプロセスも入ってきます。
その上で最終的に上演に向けて生み出された戯曲・訳詞というのは、手塩を掛けて育てたような、宝物です。
それが作品として立体化し、観客の皆さまのもとに届けられる至福は、何にも代えがたいものです。
長々とお読みいただき、ありがとうございました!
次回は、実際にTARRYTOWNの翻訳・訳詞を行ってみて感じたこと、気づいた発見などをつらつらと書いていきたいと思います。
またお読みいただけましたら幸いです。
中原和樹
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