第八回「訳詞をするとき」~創作ノート~TARRYTOWNが上演されるまで
こんにちは!TARRYTOWN翻訳・訳詞・演出の中原和樹です。
前回の記事では台本を翻訳するという過程での思考を書いてみましたが、今回は「歌詞(楽曲)の訳詞」という作業にスポットを当ててみたいと思います!
※今回に関してもあくまで私の観点での作業プロセスなので、これが正解!であったり、こうした方がいいよ!という記事ではないことをご了承ください。
曲をたくさん聞く
これはあくまでサウンドトラックやキャストレコーディングのデータがある(楽曲を聞ける)ことが前提ですが、まずは楽曲をたくさんたくさん聞きます。
私の場合、音楽を専門にやってきたわけではないので、楽曲分析を精緻に出来るわけではありませんので、まず楽曲を知るという意味でも、ただひたすらに聞き続けます。
その際に重要なのが「訳詞をしよう」と思って聞かないことだと思っています。
最終的に観客のみなさまのもとに届く作品であるからこそ、いつでも観客としての目線は大切だと思っています。だからこそ早いうちから訳詞をする前提で聞いてしまうと、その楽曲を素直に聞いた際に感じ取ることが零れ落ちてしまうような感覚があるんです。
もともとの言葉は英語なので、聞くだけでは分からない部分も出てくるのですが、それも含めて楽曲全体が音楽としてどう自分の心に響くか、自分がどう感じるか、自分の中にどういった感触・風景・匂いなどが立ち上がるか・・・
楽曲が持つ触感と言えばいいのでしょうか、そういったものを大事にして聞きます。
これは台本を最初に読むときと近いのですが、分析したり、訳詞をしたりすればするほど、この感触は薄れていってしまうことがあるのです。そうなる前に、楽曲が持つこの感触との出逢いを大事にします。
この最初の時間は私の中で大変に大きな割合を占めていて、
なんだか、楽曲とただただ向き合って出会い続けるような感覚なんです。
台本の歌詞を調べる① 核となる内容
次に、楽曲そのものから離れて、台本上の歌詞を調べていきます。
台本を翻訳している際にも歌詞を調べるということは行いますが、楽曲をたくさん聞いたあとにも、また改めて歌詞に戻ります。その際、この楽曲における核となる内容を探すということをします。
英語から日本語に訳詞をする場合、一音に入る単語数が減ってしまうため(英語だと音符の一音に一単語入ることもざらですが、日本語だとなかなかそうもいかないです)、歌詞が表している内容はどうしても減ってしまいます。そのため、
必然的に歌詞に入れる内容の取捨選択が必要となってきます。
歌詞の中には、英語だと面白いダブルミーニング(同じ単語/熟語に、違う意味があり、それが隠れた意味として分かるとより面白い)や、ちょっとしたジョーク、キャラクターを表すような言い回しなど、役が伝えたい直接的なメッセージ以外にもたくさんの要素が隠されているので、そのどれを残し、どれを削るかを決めるのは、大変悩ましく難しい作業です・・・。
その取捨選択するための基準として、まずは楽曲のメッセージの核を探す、ということをするのです。
例えばTARRYTOWNの場合、登場人物の一人ブロムが、妻のカトリーナを久しぶりのデートとしてリンゴ狩りに誘う「apple picking song」という楽曲が登場するのですが、このapple pickingにもリンゴ狩り以外の意味が隠されていたりします。(最近ではアップル製品の盗難、という意味もあるそうですが、この場合は違います笑)
もしご興味ある方いらっしゃいましたら、ぜひ調べてみてください!
ただ、そういった英語としての特性みたいなものは、なかなか訳詞に反映するのが難しいというのが正直なところです・・・。
台本の歌詞を調べる② 韻を探す
そして同時に、歌詞で韻を踏んでいる箇所を探します。
韻そのものを訳詞にそのまま載せるためというより、ミュージカルの楽曲そして、その歌がどういった歌詞と音楽の絡み合いと流れを持っているのかを把握するヒントにするイメージです。
説明が難しいのですが、ミュージカルにおける楽曲には「流れ」というようなものが存在すると私は感じていて、それは例えば、
といった、複数の要素が絡み合って創られているように思います。
韻の部分を探すというのは、この「流れ」のようなものを理解すること、そしてひいては訳詞をした上で(日本語になった上で)、どうその「流れ」を創るかということに大いに関わるのです。
英語の場合、文章はほぼ必ず(例外もありますが)単語で終わります。
~~~ to him とか、何でも良いのですが、文章が単語で終わる以上、
ある文章の末尾の単語と、次の文章の末尾の単語を対応させて押韻する(脚韻)ことがやりやすくなります。
①~~~to him
②~~~ in gym
などです。
(全然意味のない例ですが、なんとなく思いついたので・・・笑
この場合は、①ヒム②ジムの単語で、韻が踏まれています)
これに対し、日本語の場合、文章の終わりとして、
①体言止め(名詞・数詞・代名詞で終える(止める)ような文章です)
②用言止め(動詞、形容詞、形容動詞で終えるような文章です)
のどちらを選ぶかという観点も、
どう韻を踏むか、そして「流れ」をどう創るかに関わってきます。
①の例 僕が好きなものはコーヒー。
②の例 僕はコーヒーが好きだ。
①の場合、「コーヒー」という単語に韻を踏ませることが可能です。
コーヒーは体言止めですが、二行目以降は用言止めとなっています。
名詞でもそうでなくても韻は踏めるということです。
なんだか歌詞だけ見ていると、ラップのようになっていきますね。
逆も然りで、用言止め→体言止めの中で韻も作れますし、用言止め→用言止めの中で韻を作ることも可能です。
②の例でいくと
韻を踏むメリットは、音楽の流れの中で、韻が踏まれている言葉が一つの流れを作りやすいこと、そして逆に言うと、韻から外れた言葉の印象を強くすることが出来るということです。
上記の例で言えば、
・あの過去へ
・降りしきる中で
という言葉が効果的に響くようなイメージです。
ただこれには、歌詞たちが音楽的にどう割り振られているかも重要で、音楽として全く対応していない部分や、かなり離れた歌詞同士で韻を踏んでも効果を生み出せません。やはり韻は連続した一定の流れの中で聞いて、そしてそこから外れる言葉があって活きるものではないかなぁと思っています。
訳詞は大変な作業ですが、私自身が大好きな創作でもあるので、どんどん書き進めているうちに長くなってしまいました・・・
分かりづらい部分もあったかと思いますが、楽しんでいただけたら嬉しいです。
本当はもっとたくさん訳詞にまつわることを書ききろうと思っていたのですが、
残りは次回にとっておこうかなと思います。
次回は、実際に楽譜に言葉を当てはめていく作業で重要だと思う事柄を挙げ
ていこうと思います。
今回書いたような、核となる内容にまつわる単語をたくさん挙げることから始まり、訳した日本語のイントネーションと楽譜上の音符の運びとの対応であったり・・・
ちょっとマニアックかもしれませんが・・・
またお読みいただけましたら幸いです。
中原和樹
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