見出し画像

精神的、肉体的体力の違いは周知されていない

※投げ銭制です。全文無料です

未だに世間で言う「鬱は甘え」論者の猛攻が絶えない。
私の父なんかがそうで「気合だ!!」ってタイプの人間だからか、がむしゃらに毎日生きては「気の持ちよう」といって精神的不調には目をつぶる。
この間は「ツライという言葉をありがとうに変えましょう」みたいな紙を渡してきて白目をむいた。

私はずっとそういった論調に対して疑問を感じてきた。
その人達に言いたいのだ「いま100mを9秒台で走れますか?」って
当然だがその人達はNOと言うだろう。なぜだろうか
それはおそらく「アスリートは才能に恵まれた人間が最適なトレーニングを積み重ねる事で初めて偉大な記録を成し遂げることが出来るのだ」という認識があるからだろう。
さらに聞きたい「その才能のある人たちは今までたくさんいたはずなのになぜ10秒の壁を超えられなかったのか」と
そこまでの才能がなかった、トレーニング不足だった。色々理由があがるだろう。

最後に聞きたい

「結果が出なかったのは甘えだとは思わないのか?」

スポーツなどにおける身体的な個人差は、トレーニングなどでいくらか補正は可能だが、著しい結果が出るほどの能力向上は無理だ。可能なら陸上選手は皆9”98で100mを走れていることになる。私だって11"70で止まった。ちくしょう!!

さて、それを知ってか知らずか世間的には「しょうがない、その人の全力を出しきったんだ。よく頑張った」と結果を出せなかった人を擁護する動きすらある。

対して精神的な体力はというと、なぜか上記と同じプロセスを経ることはない。
結論から言えば「俺ができたんだからお前も出来るはずだ」という論調が未だ世間のほとんどを占めている。
肉体と同様にある程度のところまでは精神的体力もトレーニングによって向上可能だ。
しかしその人が持つ体力の限界値は変化することはない。どれだけ社会に揉まれようとイジメに遭おうと耐えられる人は耐えられるし耐えられない人は耐えられない。その閾値を超えてしまえば心は体のように故障してしまう。
至極当然な話なのだ。「体と同様に個人差があります」と
それだけの話なのになぜか精神的不調への風当たりは未だ強い。
「これしきのことで………」とか「俺もそんな感じだったよ」とか平気で言ってくる。アスリートと同じだ。全力を出し切ってそれでもダメだった。
なのになぜまだ動かそうとするのか。

理由としてはおそらく「精神は体調不良などの表面化、または言語化をしない限り可視化出来ない」ということが挙げられるだろう。
例えばラグビー部出身ですという筋骨隆々な男性がいれば大抵の人は
「体力ありそうだな。力が強そうだな」
と思うし、実際にそういう場合が多い。視覚的にその人の身体的な体力をある程度推し量ることが可能なのだ。
精神は目で見ることは出来ない。筋骨隆々で気弱な人もいれば、華奢な姿で鋼の精神を持ち合わせている人もいる。
性格、という点では個人差があるというのは当たり前だがその「体力」となると難しい。
ツライと思っていても自己申告するか、鬱や自律神経に異常をきたすなどの体調不良が起きないと可視化できない。
また、ツライということをやっと可視化しても今度は「鬱の閾値」が可視化出来ない。
第三者はその人の閾値を判断することが出来ない以上「自分の閾値」で判断する。
判断するような人は自分の感覚や他人の様子を見てしか判断できないので、自然と「俺が(または周りが)出来たんだから出来るだろう」という無責任な結論に至る。

私の感覚としてこれらは完全に思考停止だ。
日頃から「お客様のことを思って~」とか「思いやりを~」とか言っている人でさえその共感力を発揮しようとすらしない。
発揮するという選択肢すらないのだ。

これがタイトルにある「精神的、肉体的体力の違いは周知されていない」という事実につながる。
精神的、肉体的体力には個人差がある。この事実を頭に入れておくだけでも違うはずだ。

私は運良く思いとどまっているがそれでも年間3万人は自殺するんだ。
思いとどまってる人も含めればもっと多いだろう。
そんな人達はこういうちょっとした意識が広がっていないせいで、悪意のない「俺が出来たんだから云々」なんて言葉にボロボロにされていくんだ。

お願いだから、簡単なことだから、頭に入れておいて欲しい。
それで世界が変わることだってあり得るんだ。
誰に向けているのかよくわからなくなってしまったが、本当によろしくおねがいいたします。
最後だけ敬語

※一応追記しておくが、メンタルヘルスにおける現状、及び対処法などは多岐にわたるため必ずしも今回の話が特効薬となるわけではない。
少なくともとどめを刺すことは減らせるかもしれない。
マネジメントする側であれば早く気付くことができるかもしれない。
そういう話だ。くれぐれもご承知おきを

ここから先は

0字

¥ 200

こんな感じでつらつらと書いていきます。 どれも投げ銭制の記事なのでなるほどと思っていただければ購入したりサポートしていただけると幸いです。 サポートしていただいた分は書籍などのインプット代として使わせていただきます。