茶ノ湯の掛物;005 大道透長安
大道透長安
だいどうちょうあんにとおる
「全ての道はローマに通ず」みたいなイメージでしょうか。
この語には次のような背景があります。
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ある修行僧が、趙州禅師に「如何なるか是れ道(=仏の道とはどのようなものですか)」と尋ねると、趙州禅師は「@外底(=道なら垣根の外にありますよ)」と答えました。
?!
僧は食い下がります。
「いえ、その道ではありません。仏法の大道のことです。」
すると、
趙州禅師は「大道、長安に透る(ああ、大道か。大道は長安に続いてるじゃないか)」と答えたそうです。
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大道、自分の志す「道」とやらは、そんなに大それたものではなく、日々の一歩一歩が道となる。今あなたが立っている、そこに道がある。
そもそも、自分の志す大道を人に聞いているようではぬるいのかもしれません。
あなたの行きたいところへ、自分の足で歩いていく、
どんなに険しい道だろうと、
泥だらけになりながら、
鼻水を啜りながら、
途中けがをするかもしれない、
道半ばで進めなくなるかもしれない、
それでも、
鋭く光る眼光だけは、道の先を睨みつける、、、
その先に長安があると信じて、、、
もしかしたら既に長安に着いているかもしれないし、
長安から一番遠いところへ着てしまったかもしれません。
しかし、
どんな遠回りに見えても、
「全ての道が長安に通じている」のであれば、
道半ばであきらめる必要はないと思います。
道を志すと決めた時、
心に携えたい語であります。
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