茶ノ湯の掛物;007 春水満四沢
春水満四沢
しゅんすい したくにみつ
この語は陶淵明の詩の句だそうです。
春水満四沢
夏雲多奇峰
秋月揚明輝
冬嶺秀孤松
春夏秋冬、四季の美しさを悠然と表現しています。
春には、四方の沢に雪解け水が満ち溢れて
夏には、雄々しき峰のような入道雲が立ちあがり
秋には、名月がしなやかに光を放ち
冬には、極寒の嶺の中に、青々とした松がそびえる
という美しき感性の鋭い句です。
「春水満四沢」
乾いた人間関係、、、
寒々とした空気がなんとなく社会を満たす、、、
どことない閉塞感、、、
そんなそれぞれの目の前にある冬を、
1℃だけでも温めて、溶かすことができたら、
そして願わくば、
自分の人生が春水になれたら、
それは途轍もなく、価値のあることだと思います。
私もおこがましくも、そんな風に生きることができたら・・・
と思いながらも、、
せいぜい自分の手をこすり吐息を吹きかけて、
冬を耐え忍ぶばかりです・・・
ちなみに・・・
陶淵明は東晋〜宋の時代の六朝文化を代表する詩人です。
「帰去来の辞」など、自然を詠い田園詩人と言われています。
どのような人物かというと・・・
<井波律子『奇人と異才の中国史』岩波新書 2005 p.58>から引用させていただき、イメージしていただきたいと思います。
(引用)
「陶淵明は・・・少年のころから読書と農耕に明け暮れる日々をすごした。太元18年(393)、29歳で生活のために地方官の職について以来、出仕と辞任を繰り返す。
しかし、義熙元年(405)、41歳の時に、「五斗米の為に腰を折り郷里の小人に向かう能わず(たかが五斗の扶持米のために、田舎の小役人にへいこらできるものか)」と、彭沢県(江西省)の知事を辞任したのを最後に、故郷の柴桑県(江西省九江市)に帰り、死に至るまで二十年あまり、文字どおり晴耕雨読、貧しさと戦いながら、悠然と隠遁生活をつづけた。米酒を愛し、約百三十編の現存する彼の詩のうち、半数は酒を歌っている。・・・・
隠遁したとはいえ、陶淵明には妻と五人の息子から使用人まで、大人数の扶養家族があった。彼は息子はそろってできが悪いとか、食べるものがないとか、愚痴をこぼしながら、貧乏とひきかえに、暇さえあれば読書や詩作にふけるなど、何物にも拘束されない時間と精神の自由を獲得した。
現在のこっている陶淵明の詩は約百三十首。その半数には酒のことが歌われている。まさに“篇篇酒あり”である。」
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