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書評『人間関係 境界線(バウンダリー)の上手な引き方 』•余計なお世話からどう逃げるのか

境界線(バウンダリー)とは何か

バウンダリーとの言葉をご存知だろうか
近年日本に浸透しつつある言葉である


ありがたい親切、余計なお世話、過保護

古今東西、お節介な人はいなくならない

お節介が悪いわけでもなく
ありがたい親切だっていっぱいあるだろう

例えば、靴紐が解けてる時、カバンが空いてる時、服を裏返しに着ちゃった時
教えてくれる人はありがたい

では、自分が他人からの行為を
「親切」と感じる時と「余計なお世話」と感じる時の差は一体なんなんだろうか

余計なお世話は言い換えれば過保護な人と言える。あれもこれもとどんどん余計なことを言ってくるのでもうキリがない

宿題はもうやったの?と言ってくるなど、
親でもない他人があなたの行動に
細かくアドバイスをしてくるだろう

境界線(バウンダリー)

バウンダリーとは自分と他人にある境界線のこと

それってなに?と思われるかもしれないのが
詳しくは本書に任せることとしよう

自他境界が溶け合うこと、依存

誰かと依存的な関係になってしまうことは
きっと誰にだってある

例えば、自分にとって恋人はかけがえのない関係であったり
親や自分の子供が大切で
あるいは大事な大事な親友がいるかもしれない

よくあることだ

それは他人から見たら依存的な関係に見えるかもしれない
共依存だという人もいるだろう

自分と他人の境界線が曖昧になると
他者は自分と同じ考えをする「べき」だ
と、べき思考が発動し
自分のアドバイス通りに動かない
あるいは期待通りに動かないと
ヤキモキしたり、度を越せば
あなたのためなのよ!と怒り出す

共依存は悪いことなのか

お互いに依存的になり
なくてはならない存在となることは
悪いことだろうか
それで日々の生活や心が健やかに過ごせているなら悪いことではないらしい

問題なのは、その依存的な関係によって
生活や健康が破綻し始めることである

私とあなたの考えは同じであるべき
との罠に陥れば
自分と他人の考えの違いを受容できなくなる
他者に対して支配的となり
ともすればDVや洗脳と言われるものに発展するかもしれない

過剰なアドバイス

余計なお節介、過保護、過剰なアドバイスを浴びせられ続けると
自分の意思が揺らぎ始める

例えばあなたが、
仕事上で出来るようになりたいこと 
出世したい、なんてことすら反対される

出世したい願望を反対するやついるのか?!
と思われるかもしれないが
残念ながら、いる

親の過保護

さらにイメージしやすくるために
身近な例に落としてみよう

もしかするとあなたにも経験があるかもしれない
思春期のころに反抗し
親の小言が面倒に感じることが。
大人になるにつれてやがてそれは収まるかもしれないが、成人しても続いてるかもしれない

最もよく聞く親からの余計なお世話は
結婚はまだなの?子供は?
との質問責めかもしれない。

しかし、子の人生は子のものであり
結婚するか否かは、自分で考えることだ
親の問題ではない
これは超えてはいけないバウンダリー(境界線)となる

余計なお世話かどうかの違い

境界線(バウンダリー)を超えて余計なお世話をしてしまうことは
誰にでもあるはずだ

余計なこと言っちゃったかな…
と過剰なアドバイスを反省することが
あなたにだってあるだろう

でもそれは言うべきなのかそうじゃないのか
いつだって迷う

例えば、友人の恋人が明らかに犯罪をしてたり
借金オンパレードだったりしたら
別れなさいとアドバイスしてしまうだろう
それは余計なお世話だろうか

いつの日か大事件に発展してニュースにでもなったなら、余計なお世話だ思われてでも
言えばよかったと後悔するかもしれない

対等な会話ができているのか

相手のバウンダリー(境界線)を意識しつつ
話し合いで解決できるのなら問題はない
余計なお世話かもしれないが
その恋人とは別れた方が良いよ
と言っていいのだ

それでバウンダリーを超えられたと認識されて縁が切れてしまうかもしれないが
それはそれ。

余計なお世話(バウンダリーオーバー)から逃げる方法

距離を置く

細かなテクニックは本書に任せるとして
急場しのぎの方法をお伝えする

残念ながらシンプルに距離を置くしかない
なるべく喋らないを選択する

業務上関わりのある人で逃れられなくても
最大限の努力を持って喋らない
関わる量をとにかく減らすしかないのだ

アドバイスはクソバイス

そして、自分の心を守るために
忘れないでほしいことがある

「あなたのため」と言う人は
自分のために言っている

先の親が結婚はまだか?と聞くのは
決して子供のためではなく
親が安心したいがために言ってるだけだ

結婚がイコール幸せで安心であるかは
子供本人が決めることだ

アドバイスはクソバイスだと思っていい

課題の分離

アドラー心理学には課題の分離
との考え方がある

自分の課題は自分のもの
他人の課題は他人のもの

当たり前といえば当たり前だが
これを当たり前にするには
意外と意識していないとバウンダリーを超えてしまうのだ

結婚する、しない
出世したい、したくない

これは自分自身で決めることであり
他人が決める課題ではない

それなのに、ズケズケと
他人の課題に踏み込むやつは
余計なお世話なのであると心に強く持って
毅然と対応しよう

メサイアコンプレックス

残念ながら世の中には
他人を支援することで優位な立場にあると認識して快感を得る人
がいる

彼らの目的は周囲への協力ではなく
自分が他人より優れている
と認識するために支援をしている

だから支援と見せかけて
協力相手への成長や自立などではなく
逆に自立を妨げるような
アドバイスを送るのである

そのようなことをする人は自覚がない
純度100パーセントの善意である

こうゆう輩は
場合によってはきっぱりハッキリと拒絶すると
逆恨みですごいことをしてくる場合があるので
ゆっくりと後退りするように逃げよう

本書にあるように
徐々にバウンダリーを引きながら
相手との距離をとる

もうこれは野生動物との戦いだとでも思って挑んだ方がいい
相手に話が通じることはない

アイデンティティの不安

人間は自分が何者であるか、との
アイデンティティを持ちたがる
日本人であること、社会人であること、お金があることなど、さまざまだ

たとえそれが、ろくでもないアイデンティティであってもだ
例えば犯罪者であったり
病気でもないのに病気だと自己認識することによってアイデンティティを持ちそこに人生の揺らぎの不安を癒そうとする

他人を通じて自分を救う行為

誰しも大なり小なり自分の人生で
自分らしさが何か、価値がなにか
不安になる日もあるだろう

だから、
他人よりも優位でありたいと思う日がある
吾輩にもある

マウンティングするわけではなく
他人の支援者になることで
その不安の揺らぎを癒そうとする人がいる

多くは、支援職(医者、看護師、カウンセラー、福祉関係)の中にいて
自己のメサイアコンプレックスと向き合いながら業務に当たっている(と信じたい)

でも、他人を通じて自分を救うことはできない

他人に何かアドバイスを送る時
恐らくそれは
過去や今現在の自分への励ましでありアドバイスだ
でも他人は自分ではない

自己犠牲を伴う他者の支援は
結局のところ自分が疲弊してしまう

他人を救いたいという願望は
ただ自分が助かりたいだけだ

バウンダリー(境界線)を引こう
お互いのために

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