きのう何食べた?性とかなんとか、そんなことより人との繋がり
*この記事にはネタバレを含みます
先ほどTwitterに
なんて書いたので、本当はこの映画のレビューを書こうかと思ったけど
本当に書きたい映画を観ていたのを思い出し、こちらを書くことに。
この話、言わずと知れた西島秀俊さん扮する、筧史朗さんこと「シロさん」と、内野聖陽さん扮する、矢吹賢二さんこと「ケンジ」の2人が、いろいろありながらも、美味しいご飯を食べて、働いて、暮らしていく物語。
最初は全く興味なくて、話題になっても見向きもしなかった。
それは別に偏見でもなんでもなく、単に本当に興味がなかったのだ。
それがyoutubeのテレ東公式で、たまたま配信されていて、よくyoutube
を見る私は、本当にたまたま目について見てみることにしたのだ。
そしたらまあ、なんと、はまることはまること😊💕
早く次、早く次って一気にどんどん見ちゃって、毎回出てくる
とにかく美味しそう~~~~な、シロさんのレシピもメモして
すっかりドはまり。
何がいいって、毎回毎回、ケンジがとにかく美味しそう~~~~に!
シロさんのご飯を食べるんだなあ~😁💕
「ん~このご飯、本当に甘くてつやつやしてて、いくらでも食べれちゃう~♡」「このお野菜も、本当に新鮮で、お醤油が染みてて美味しい~~~」
とかって聞いてると、本当に本当に美味しそうだし、食べたくなるし
またそのケンジの顔を、にこにこしながら見てるシロさんの顔も
いいんだよね~~😍
とにかく、ほっこりするドラマ。でも、ちゃんと自分たちの置かれてる状況や、家族の事、自分自身に対する悩みなんかも織り交ぜられてる。シロさんは、自分がゲイという事は周囲に隠したい。
方やケンジはオープン。隠したいシロさんは、一緒にいても男同士と思われようとするし、手もつながない。一方でケンジは、手も繋ぎたいし、イチャイチャもしたい、本当に女子だし乙女。
でもシロさんを慮って、極端な駄々をこねたり我がままを言って自分を通したりしない。それは、シロさんの気持ちも痛いほど分かるから。そんなケンジが健気で本当に泣ける。
でもついに、意を決してシロさんは家族にケンジを「大切な人」だと紹介しに行く。ケンジは嬉しくて嬉しくて、やっと認められたようなそんな気持ちになる。でも、シロさんのご両親はやはり心中は複雑で、考えに考えた挙句
「もう連れてこないでほしい」とシロさんに伝える・・・
この話をケンジにした時の、2人の静かだけど辛そうな顔。
こんな画像の様に大泣きする訳でなく「わかった」っていう、ケンジの
静かな悲しみがとても伝わってきて、泣けたなあ
やっぱり、私は(ゲイは)認めてもらえないんだろうなあ~って、
どこかで諦めていても、家族に紹介するって言ってくれたシロさんの気持ち
本当に嬉しかった!なのに、、、って
仕方ないって思っても、悲しくて、切なくて、やりきれない。
でもね、そんなケンジの気持ちを、シロさんはちゃんと理解してる。
「もう連れてこないで」なんて言われたら、すごく切ないよな・・・
本当にごめん、ケンジ!って、シロさんもすごく悩む。
これはもう、ゲイとかどうとかっていうより、愛し合ってる2人の
人間と人間の話しだし、周囲との人間関係含め、思いやりや、優しさ
もちろん、人としてのアイデンティティや生まれや育ちや、そういった
色んなことを含めて「人間」という大きなテーマにしたドラマ
そこに美味しく食卓を囲む2人。美味しいご飯を食べて、幸せな気持ちに
なろっ♡まあ、いいじゃないか、とりあえず悩みは置いといて、ね?
だってケンジの、美味しそうに食べる顔って本当に幸せになるんだもん
そんな2人が京都に旅行に行く、劇場版。嬉しくて嬉しくて、たまらないケンジ。人がいないところでは、手も繋いでくれるシロさん。はしゃぐケンジ。かわいくてかわいくて、乙女のきゅん♡がつまってる。
だからシロさんは、もう実家には帰らない宣言をするんだよね、ケンジの為に。そして実家に行って、ご両親に「もし、ケンジが俺の嫁さんだったら、もうここには来ないでくれなんて、残酷な事言わないよね」と伝える。
すごく素直で、飾ってない。男性同士の恋愛で、周りには理解されなくても俺たちだけが愛し合っていれば、それでいいなんて世界でもない。
理解できない人を排他する描写もないし、これが現実かもしれないと思わせてくれるリアル。
やっぱり、男だから女だからという区別関係なしに「人として」どう付き合うか、それが本当に重要だと思う。ご両親だって決して差別主義とか、決めつけで言ってる訳ではなく、どうしても相いれないものがあるというだけ
なのだ。例えそれが、自分の大切な息子の幸せになるかもしれないという事でも。
最後に、シロさんとケンジが幸せそうに花見するシーンなんて、本当に見ていて幸せな気持ちになれたし、思いが通じ合ってるなら、花見なんて、こんなに幸せなイベントないよねっていうくらい、美しいシーンだった。
でもこうして、こんな何でもないシーンを「よかったね。幸せだね」と思うということに、幸せって〝日常に何でもないシーンこそが幸せ”なのではないか、とも考えさせられる。
美味しいご飯を食べること、好きな人が笑っていること、健康で毎日過ごせること、花見に行けること・・・
私たちは、小さな沢山の幸せであふれてる中で、暮らしているのだ。