夫がフェミニストの本を買ってきた件
私の夫は「1日に」2~3冊の本を買う。大げさではない。義実家の夫の部屋に積み重なる本は、義姉の言葉を借りると「本で床が抜ける」というほど。その読書量を買われて、本職で会社を経営する傍ら、副業で雑誌に連載を持っているのだから相当のものだ。
結婚してからも夫の購買ペースは変わらず、年間で1,000冊ほどの本が増えていく。それのほとんどはミステリー小説だ。新刊もあるが、中には小さな虫がいそうなボロボロの中古本まで。価値の分からない私は毎日届く宅配を受け取っては無造作に本棚に積み重ねていくだけだった。
すると、今日新たに8冊の本が届いた。いつもよりちょっとだけ大きい段ボールを開封して本棚に並べていく。すると、ミステリー小説とは思えない1冊が紛れ込んでいた。
「フェミニスト」…? Amazonで間違えてクリックしたまま紛れ込んだのだろうか。夫が自ら進んで購入するとは思えなかった。
娘が昼寝をしている間に序章を読み始めた。「フェミニスト」や「ジェンダー」を巡る問題が自分にとっても無縁ではないだけに、思った以上にスラスラと読破できた。著者のトークショーを書き起こしたものだというが、その内容は非常に分かりやすく、納得のいくものだった。
印象的な部分をいくつか引用したい。
ジェンダーについて話し合うのは容易ではありません。そこにいる人たちが落ち着かなくなったり、ときには苛々したりすることもあります。(中略)なぜなら現状変革について考えるのはいつだって居心地の悪いものだからです。
たしかにSNSで「フェミニスト」の話題が出ると、荒れるイメージがある。それは私個人の気のせいではなくて、日本以外、世界でも、オンライン・オフラインを問わずそうだったのだ。そして、変革期にあり個々が答えを模索するからこそ生まれる“ぶつかり”だったのだ。
そして、読み進めていくうちに、私は自分の抱いていたジェンダー論にも間違いを見つける。それは、冒頭に書いた「夫がフェミニストの本を買ってきた」ことに対する懐疑心だ。
「男なのに何が気になったのだろう?」と、クリックの間違いで届いた本だとばかり思っていたが、これこそが私の考えの至らない部分だったのだ。
本書はそもそもタイトルで訴えていた。
「男も女も みんなフェミニストでなきゃ」
振り返ると、わが家では休みの日は夫が料理を作ってくれることがある。…言い直そう、料理を「作ること」がある。「作ってくれる」ということこそが、私が無意識に“料理は女の仕事”だと思っているということを露呈している。
結婚を機に、私が仕事を辞めたときもそうだった。「辞めてもいいし、辞めなくてもいい。任せるよ。」と。私にとっては全く不自然さを感じなかったのだが、これをサラッと言えるということは、なかなか理解があるということなのだそう。
なぜなら、「辞めてもいいよ」も実は間違いで、「辞めなくてもいいよ」も間違い。それは、“家庭”の決定権は夫ではなく夫婦2人にあるから、どちらかの選択肢を推すのではなく「私に判断を任せる」が正しいのだと。
本書は世界27か国で刊行されているようで、Diorは本書のタイトル「男も女もみんなフェミニストでなきゃ」と書かれたTシャツを着てランウェイを歩いたそうだ。Dior化粧品の愛用者ながら、知らなかった。今後男と女の双方が話し合っていかなければいけない課題のひとつとして、世界ではこうした様々な場所で声が上がっている。
私が子どもの頃には、今ほどフェミニストについて考えることはなかった。女性の在り方や立場の変革期に生きる今。本書の印象的だった言葉を引用して、締めくくろうと思う。
私たちの娘を違うやり方で育てなければいけないのです。
私たちの息子もまた違うやり方で育てなければいけないのです。
夫と結婚して、良かった。明日も夫と育児をがんばろう。
2020/04/14 こさいたろ