誰かの願いに思いをはせる
朝起きて、まずLINEを確認する。次いで、SNSのタイムラインを開いた。
すると、目に飛び込んできたのは無数の風鈴が輝く写真。
ー 行こう。
撮りたいときが撮りどき、いつだって即決断。天気予報は雨ときどき曇り。私は超がつくほどの雨女だが、娘はどうやら晴れ女。なんとかなるだろう。
娘のおやつ、オムツ、離乳食が入ったかばんに、さらにレンズ3本とカメラを詰め込む。こんなこともあろうかとバッテリー2本を常にフル充電している自分をほめたい。
同じフットワークの軽さで同行してくれた実母と、SNSで見た神社・太宰府天満宮へ足早に向かった。
結果、天気はお天気雨。控えめに言って最高である。
私自身が雨女であるがためにロケに雨はつきものなのだが、雨でぬれた地面に太陽が照り付けたときの光の輝きほど美しいものはないと思っている。
そうか、雨女と晴れ女の私たち親子が出かければ、どこでも絶好のポートレート日和では…!というのは今書きながら気が付いたことであって、現地ではとにかく暑くて頭が回らなかった。
「密でなければマスクは外してよい」とはよく言うが、外さないと死がチラつきそうなほどの暑さだった。現に、すれ違った親子はなにか飲み物を差し入れしたくなるほどに顔が真っ赤になっていた。
そんな熱風の中に鳴り渡る、風鈴。心地よい音色があたり一面に鳴り響いていた。
クーラーがないころはこの音色で涼を楽しんだというのだから贅沢な時代だ。少しでも故人の夏の楽しみ方に思いを馳せたいところだったが、全身から拭き出す汗が良くも悪くも私たちを現実に引き戻す。
娘は初めての浴衣姿だったが、帯の下は汗でびっしょりで終始水分補給をしながら歩いた。
これほどにクドく書くほどの酷暑だったが、「はしごしよう」と提案してきたのは実母。
風鈴で著名な寺が福岡県内にあるというので、十分すぎるくらいの休息を取り、いざ寺のある「小郡市」へ。
閉所恐怖症の私がつい立ち止まってしまうほど、無数の風鈴が並ぶ異空間がどこまでも広がっていた。
午後になっても相変わらず雨は降ったりやんだりを繰り返し、ロケーションとしては年に一度あるかないかというほどにキレイだった。
「シャッターが止まらない」という状況は私としても実に久しぶりだった。
それほどまでにしばらく娘の姿を撮り続けた。
ちなみに、こちらの風鈴にはひとつひとつに願い事が書かれている。感染症の終息を願う声、終息後にやりたいことの宣言など、願いは様々。
1,000枚ほどシャッターを切ったところで、汗をぬぐいながら知らない誰かの願いに思いをはせる。あたり一面セミが大きな声で鳴いているのに、願いごとを書いた人を想っている間は不思議と静寂を感じた。「夢は声に出すと強い」、というのはかの有名な少年ジャンプのキャッチコピーだったが、願いは文字にすると強かった。すべてが叶う訳ではないだろうが、少なくとも私はシャッターを切る手を止めてまで、知らない誰かを想った。
久しぶりに「これだ」と思う1枚が撮れ、どこにも公開することなくフォトコンテストに出してみようと思っている。今日はいい日だった。いや、今日もいい日だった。
ついでに、大きな声で言いにくいのだが3年ぶりに軽い熱中症になり(診察してもらったわけではないが、自覚症状的にそうだと思う)、これを書く今もとにかく水分をとりながら頭を冷やしている。時間を忘れるほどにいい日だった。これだから写真はやめられない。
娘も、道行く人皆から「可愛い」と褒めてもらって上機嫌だった。0才児でも表情や言葉のトーンで意思疎通はできるらしい。すっかりご満悦ですやすやと寝息を立てている。
風鈴の音色がすっかり気に入ってしまい、ひとつお土産に購入しようとしたら、「購入した風鈴は願いを書いてさげていくことで願いが叶います」とのこと。なるほど、きれいな景色に引き寄せられるほど、風鈴も増えていく。(現実的な話をするとSNSで急速に広がり続けているようで、風鈴を飾るコーナーを増設中だった)
音色の余韻に包まれて、しっかりと体力を回復しようと思う。
良い1日だった。
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