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再開すること

 来月頭に、3年半住んだ町から引っ越しをする。同じ区内での引っ越しになるため、それほど大きな変化にはならないと思う。しかし、個人的には4年ぶりの新刊の発売も控えており、一つの生活の区切りがつくという思いがある。

 それに伴って、今後の中長期的な目標は何だろうかと考えた。12月で40歳になる、不惑の年だ。出来るだけ長く今の仕事を続けたいという思いがある。そのためにやらなければいけないことは何かと言えば、それはもう仕事と生活を安定させる、これにつきると思う。

 4年前、初めての連載が終了し単行本2巻の発売日が丁度コロナの緊急事態宣言の真っただ中で、自著の宣伝なんて到底できる空気ではなかった。3巻で終わらせる予定のモノを2巻で終わらせなければいけないという現実も私には心底辛かった。家に籠って天井を眺めつつ酒をなめ続けていたら人生至上一番太ってしまい心身の不健康が極まり、黄色信号が点滅中という感じだったのでこのままでは駄目だと思い、止めていたジョギングを再開した。

 20代中盤で鬱病をやっており、体の調子を安定させる必要性と、心の調子も体に伴うという実感があり、散歩やジョギングはやるように心がけていた。しかし、初連載が単行本に纏まり1巻が出る直前、当時付き合っていた彼女に「私をあなたの都合のいい家政婦みたいに扱わないで」みたいなことを言われて三下り半を突き付けられた。本当にそんなつもりは毛頭なかったが、初めての連載で周りが見えなくなって彼女の気持ちを慮ることをなおざりにしていたのだと思う、自業自得だった。

 あの日のことはよく覚えている。喫茶店に呼び出され、別れを告げられた時、BGMで店内にレディオヘッドのクリープのボサノバカバーが爽やかに流れていた(僕がキモいから彼女は僕から去ってしまった!と悲痛に歌う曲の爽やかなボサカヴァー!!)。現実を受け止めきれないままにぼんやりと幾日か経ったある日、単行本の献本が家に届いた。一人で封を開けた、人生初の単行本を一緒に祝う人を失ってしまったんだという悲しみが実感と共に湧き上がってきた、あまりにも辛過ぎたので悲しい気持ちを振りほどくために走りに出ることにした。

 いつものコースをいつもの様に走った。井の頭公園までの住宅街の道のりを走り抜け、公園のトラックを5周して家まで帰る10キロのコースだった。走っていると自然と涙があふれた。平日の夕方のトラックは主婦や老人や子供たちがまばらにいた。そこを号泣しながら走っている奴はヤバ過ぎると思い、全力疾走で彼らを抜き去った。その瞬間膝からグキっと嫌な音がした。私はそれ以来走ることを封印していたのだった(ひざの痛みは3ヶ月くらいで治った)。しかし連載の打ち切りとコロナ禍での巣ごもり生活で太り上げてしまったので、1年強の封印期間を解きついにジョギングを再開したのだった。

 そして、色々あって新しい連載を始めるまでに3年もかかってしまった。週刊青年誌の若い編集氏が声をかけてくれたので、1年くらい連載に向けて企画を練ったが何も上手くいかなかった。コンテを持ち込みに行った月刊誌で、中堅の編集氏が見初めてくれ編集長を口説き落として連載の確約をつけたと言ってくれた。本当に嬉しかった。半年強の間で企画をブラッシュアップして、さあ連載を始めるぞとなった時に編集長が、これでは載せられない、そもそもこの企画はうちの雑誌向きではない、と手のひらを返して企画自体が消滅した。この頃半年の間、毎日蕁麻疹に悩まされ通院していたのが思い出される(今は回復している)。
 
 腹をくくってデッサン教室に通って石膏デッサンなどをした。画力の向上が課題だったし、友人の勧めもあった。新天地で新しい自分を試したいなと思っていたが諦めて古巣に戻り新しい企画を出した。当時と違って新しくなった編集長に面白そうですねと言われ、あっさりと連載は決まった。

 連載が始まるまでの間にやってよかったのは運動と絵の稽古で、これは新連載が始まって余裕が失われた今、出来なくなってしまったことなので、ようやく新刊が出せるところまで来たこの段階で、また再開しようと考えている。

 もっと言うと、私は去年の10月以降2か月に一回原稿を入稿するたびに風邪を引いて熱を出していた。1年間で都合5回だ。元々病気がちで体が丈夫ではないのに休みなく働き続け、漫画を描き上げるたびに体を壊したのだった。なんぼ何でもこれじゃあ長くは続けられへんよ、と思った。なので、体の調子を鑑みて週に1日は休日を作ることに決めた。引越しが済んだら新たな環境で再び運動(近所の学校がプールを開放してるらしいので今度は膝が痛まない水泳をするつもり)と絵の稽古を再開し休日をつくる。週一でそれらをやる、働きながら。

 例えば筋トレしてダンベル何キロ上げるとか、ジョギングなりのタイムを短くしたいとか、絵をいっぱい描いて個展をしたいとか、そういう欲は私にはない。ただ、続けることが目標だ。何かの結果を出すとか言うことではなく、私にとって最も大切なことは生活の基盤なのだと思っている。自分が頑張ってコントロール出来ることはそれくらいで、それ以外のことは天の采配に任せますという感じで40歳以降は生きていたい。



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