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東京とバブル

先日、世田谷文学館で開催されている『イラストレーター安西水丸展』に行ってきました。三回目の緊急事態宣言の中、美術館などは営業を再開したとのことでやっとこ行けたこの展示、とても考えることが多かったです。

イラストレーターの安西水丸は私にとってはガロに掲載された作品の単行本『青の時代』の印象が強く、後のへたうまに繋がるスタイルの作品を発表した人、或いは村上春樹の小説の表紙でお馴染みの人、といった印象でした。展覧会を見て感じた印象は、ああなるほど…安西水丸もその手の作家の一人か、といったもので、何のこっちゃと思われるかもですが最近私が特に考えなければいけないと感じている物事のその中心人物の一人だったのだな、ということです。

私が考えねばならないと思っていることは、自分が漫画という仕事をする上で避けては通れないことで、一言でいうならバブルの東京が作り上げた文化や価値観に対する自分のスタンスや距離感のことです。

戦前という時代の大阪を舞台にした漫画『エコール・ド・プラトーン』という作品を描いて思ったことは、近代以降日本の文化の中心地は基本的に東京で、明治維新以降東京は西洋列強に対抗するべく様々な新しいものを輸入し古いものを捨て去り、急速にその形を刷新して形を変え発展していった街だということ。そして、その後の地震や戦争により二度も大きな変化を余儀なくされた街でもあるということです。日本において地方は常に東京と相対する形で文化や経済は発展していき、一方東京はある時期ではドイツやロシア、ある時期ではフランスやアメリカといった諸外国と対峙することで発展していった経緯があると思います。

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1942年生まれの安西水丸は戦後千葉に移り住んで幼少期を過ごします。その後日大芸術学部、電通、NYでの仕事を経て70年代に平凡社勤務になりデザイナーからイラストレーターに転向します。戦中生まれではありますが、49年生まれの村上春樹の表紙を長く担当したことからもわかるように、所謂団塊の世代に属する人だと思います。その戦後世代が強烈に憧れたもの、それはアメリカ文化です。リッチでカラフルでパワー溢れる自由の国、アメリカ。

展示の中で、当時水丸が学生時代に憧れたものはベン・シャーンと雑誌LIFEの表紙だったとあり、大学での卒業制作は『オーシャンと11人の仲間たち』のレコードジャケット(?)制作でした。この世代特有のアメリカのポップカルチャーに対する憧憬は、その後の制作活動にも多大な影響を与えています。村上春樹が最初小説を書き始めた時に一旦英語で書いてそれを日本語に直して発表したというような逸話がありますが、まさにそれが体現するように、アメリカの文化をいかに自家薬籠中の物にするかが大きなテーマだったのかもしれません。

展示の最後のゾーンで水丸のコレクションの数々が展示されているコーナーがありました。おもちゃ・民芸品・旅のグッズ等々。そこに、こけしや伊万里焼の染付皿の隣に民藝運動の大家、柳宗悦の本が並べられていました。柳宗悦は雑誌『白樺』の同人で、日本の美術史の中では欠くべからざる人間です。日本各地の伝統的な職人の仕事を工芸や民芸といった言葉で表し、朝鮮や台湾や沖縄の文化保護にも働いた偉人です。安西水丸の作品の中にはこけしやその他の玩具などが良く出てきます、しかし私は水丸の作品に柳宗悦的なスピリットを感じたことはありません。それは何故なのか。

彼らが一番華々しく活躍し日本が豊かだった時代、80年代のバブル経済の中で、彼らが表現し体現した豊かさとは何だったのか。私は今回の展示で再確認しましたが、安西水丸の仕事で好きなものは70年代の漫画作品、80年代の広告、そして彼が描く寂寥感に包まれた素朴なイラストでした。逆にプロダクトやテキストはそんなに良いと感じません。スノードームやアメリカ製のブリキそれに民芸品と極私的なセンスでまとめられたそれらを、素朴な線で大胆にイラストにするのが水丸の良さですが、その中にあるのは文脈や歴史性を漂白したエキゾチズムとでも言えばいいのか、平たく言うととっつきやすいオシャレなセンスです。

いわば80年代面白主義ともいえるこの価値観は、イケてるかイケてないか、面白いか面白くないかがその価値観の至上の命題です。東京のバブルが生んだ価値観だと思います。

私が彼らの作る作品に対して最後のところでズレを感じてしまう原因は、これに尽きると思います。自らを相対化する批評的な目線が感じられないそれらに、どうして自己を同一化できようか、というのが率直な感想です。80’Sブームが流行って久しい昨今ですが、それに対して私はいつも懐疑的な気持ちがあり、あえて言葉にするならこういうことが原因なんだろうと思いました。

私は80年代の東京が作った価値観を出来るだけ相対化したい、そういう思いを常に忘れずにおくことが指針の一つにもなっていますが、本展はその事柄を再度考えさせる展示となっていました。

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戦後世代が戦中派やそれ以前の価値観をダサいものだとして否定したときに、見えなくなった歴史の連続性があります、それは明治期の近代化を早急に成さねばならなかった時代、江戸以前にこの国が育んだ文化や価値観を野蛮なものであると切り捨ててしまったことに似ています。そこに、あったはずの歴史の連続性を、先人たちの培った文化を繋ぎとめて伝えることが必要です。大正末期や昭和初期のモダニズム文化とはまさにそのようなものだったのではないかと思います。柳宗悦が地方や東アジアに独特の美意識を発見したこともその証左だと言えるのではないでしょうか。しかし、それも戦争の始まりによって国粋的なプロパガンダに取って代わられその精神は雲散霧消してしまいました。

80年代の東京のバブルが生んだ価値観は一見するときらびやかでエネルギッシュですが、その後の急転落はまだ記憶に新しいところです。そこから先の我々世代の記憶にあるのはテロや戦争や不景気といった暗い時代の雰囲気でした。時代や風土が生んだ様式や芸術に関して、私は私たちの持つルーツを立ち止まって今一度考える時間が必要だ、そういう思いをずっと持っています。

と、ここまでが私の感想ですが、展示を一緒に見に行った恋人は本展にいたく感銘を受けていました。彼女は東京出身で父親が所謂団塊の世代なのですが、彼女が受けたこの展示の感想は私とはまた少し違ったもののようでした。話していて気が付かされたものの一つとして、私が先述した安西水丸に感じる漂白されたエキゾチズムといったモチーフや彼の一見素朴な文章が、彼女には得も言われぬノスタルジックなものに見えているようでした。

私のまわりにいる東京出身者の多くが細野晴臣氏を敬愛しており、私は彼の音楽について今まであまりピンとくることがなかったのでそんなに深堀していないのですが、友人たちの話を聞くとそこに私が感じえない何某かのノスタルジーがあるようで、それは安西水丸作品とも共通の何かであると考えられます。ですが今私に理解できるのはここまでです。

時代によって幾度も姿を変える運命にある、翻弄される街、東京。その街がもつ特殊な郷愁というものも、もう少し理解しないといけないように感じます。今現在、感染症とオリンピックという変化の只中にある街東京に住んで、そういう思いを強くしました。

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