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#忘れられない旅 第9話 1992年頃 横浜

 人生は旅のごとし。ということで、古い話が多くなり恐縮ですが、「旅」の思い出として人生を振り返ります。

#忘れられない旅
第9話 1992年頃 横浜

 人生のほとんどを福島県郡山市で過ごしていますが、 1988 年 4 月から 1993 年 3 月までは「横浜税関で勤務」していました(東京 8 ケ月、横須賀1年、横浜3年4ケ月と住まいは転々としていました)。この5年間というものは長い旅をしていたような気がします。

 横浜時代の拠点だったのがサムネ画像の「横浜税関 西戸部寮」になります。マンションタイプの狭い4畳半、押し入れ付き。風呂、トイレ、洗濯機、台所は共用でした。遊びに来た友人が
「狭っ!」
と絶句したこともありました。サムネ画像の上から2番目、一番左端の角部屋に3年4ケ月住んでいました。エレベーターはなく毎日階段でした。20歳から23歳の若者でしたので、階段は苦になりませんでした。

 ただ、遅い時間のお風呂のお湯が汚いのには辟易しており、湯舟に浸かることなくシャワーが多い日々でした。
 寮母さんが「朝・晩の食事」を提供してくれること、家賃が格安なのが大変有難く、平成初期ですが1ケ月の寮費(食事・光熱費込み)で2万円くらいだった記憶があります。周辺の月極め駐車場が1ケ月1台3万円くらいでした。
 西戸部と言ってもピンとこない方が多いと思いますが、現在「横浜ランドマークタワー」がある「みなとみらい地区」から徒歩20分(ただし山の上)、JRの最寄り駅は桜木町になりますが、横浜駅や関内駅からも徒歩30分圏内という好立地でした。

 また、桜木町駅近くの「野毛」という昔の闇市から生まれた安い繁華街も近い場所でした。ただ、出不精なこと、夜間大学に通学していたこと、遊ぶ金が少ないことなどがあり、「寮でスーパーファミコンや麻雀」をしている時間が多く、派手な遊びには縁遠い時期でもありました。

 私が住んでいた頃も既に老朽化していることを感じていましたが、数年前に訪問した際(サムネ画像の写真)には、既に役割を終えており廃墟となり、公売にかけられていたようでした。
 あの頃、独身寮で共に過ごした仲間がどのように暮らしているか露ほども知りませんが、幸せでいて欲しいものです。

 退職後、数年間は偶に連絡をしたりしていましたが、5年前の「入関(いわゆる採用です)30周年」の同窓会で顔を合わせた後は、コロナ禍もあり、私の体調不良もあり縁が途切れてしまっているのが少し残念です。
 とはいえ5年前も文化の違いを強く感じてしまいましたので、かこに感謝しつつも、私たちの景色が重なり合うことが無いのも必然かもしれません。

 一方で、もう二度と会えないとしても、共に過ごした時期がありましたことは「確かな幸せ」として、心に有り続けるような気もしています。

 金は無いけど若さと夢があったあの頃。戻りたいとは思わないけど、あの旅があったから今の自分がいる。旅をすることができて良かった。
 素晴らしい旅を共にしてくれた友に、永遠に感謝したいと考えています。

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