【駄文】四谷の松屋(10年前)
10年前、東京の永田町駅近くで働いていた時、同僚4人で仕事帰りに四谷の「幸楽苑」に寄った。ラーメンと餃子と生ビールで1000円というキャンペーンを体験するために。その食後の流れで松屋にも寄った。
炭水化物+炭水化物の梯子という、医療関係者に挑戦するような暴挙とも言える。
カウンターに座り、食券を出した時、東欧系の旅行者と思われる家族連れが入店してきた。食券の自動販売機で戸惑ってるように見えたが、ワンオペの従業員の視界には入らないようである。上京したばかりの田舎のオッサンは、椅子から降りて自動販売機に向かった。
以下、実際には英語での会話になるが、日本語に翻訳してお伝えする。
私 「どうしました(メイ アイ ヘルプ ユーということです)」
欧 一万円札をヒラヒラさせている。
私 「千円札は無いの。一万円札は受付ないんだ」
欧 「ある。ところで、彼と同じ物を食べたいが、どのボタンになる?」
私 「(普通の牛丼だね)このボタンだよ」
欧 「スープも飲みたいんだ。スープはどれ」
私 「これに付いている。スープもついている」
欧 「ありがとう、チップは100円コインでいいか」
私 「チップなんか要らんがな、良い旅を」
自席に戻り、牛丼を食す。
実際のところは、スムーズな会話とは程遠く、お互いに片言の単語でのコミュニケーションだったけれど、目的を達成することはできた。同僚から
「太郎君は、英語ができるんだね」
と言われたことについて、曖昧に返したけれど、英語ができた訳じゃない。
ただ、少しだけ勇気を出しただけ。司馬遼太郎先生の「竜馬がゆく」に出てくる「相手は売りたい。こっちは買いたい。言葉なんかなくても何とかなる」という竜馬の台詞を思い出しながら、汗と恥をかくことを覚悟しただけ。田舎のオッサンは困っている人を見過ごすようなことが苦手なのですよ。
40歳から2年間暮らした東京では、駅の改札口、路上などで時折似たような状況に出くわし、比較的、時間に余裕があることが多かった私は、その度に、出来もしない英語とボディーランゲージ、時にスマホを駆使し、その方々と向き合った。時に、英語で道案内をすることができず
「あたしに付いてきな」
と、自分の目的地とは、全く違う方向に誘導したこともあった。
言葉なんかできなくても「伝えようとする気持ち」があれば何とかなることが多かった。
あれから10年、部下とのコミュニケーションでは、お互いに日本語ができるはずなのに、戸惑うことが多いのは何故なのでしょうか。
さて、昔話にお付き合いいただき、ありがとうございます。言い訳みたいな感じですが、自分の昔話を自慢したいのではないのです。ただ、先日「いつかの吉野家」という稿をあげたため、松屋についても語りたくなっただけなのです。
ちなみに、リアルの生活では「すき家」さんをよく利用しています。ゴルフに行く朝は、ほぼ必ず「朝定食」をいただいています。駅近くの飲み会の際には「なか卯」さんも利用します。娘が京都に居た時は、京都駅八条口の「なか卯」さんにもお世話になりました。朝から旅行者で賑わっていたのが印象深いです。
牛丼屋に係るお話は、多分、これで最後です。が、駄文屋と牛丼屋は相性が良い感じもするので、また稿を上げるかも知れません。お付き合いいただけましたら幸せです。