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【公タマ伝R】半端な句読点の挨拶状

 少し苦言のような話を綴りますが、誰かを責めるということではなく、一つの蘊蓄として読んでいただけたらと存じます。

 ある施設から、施設長交代の挨拶状(ハガキ)が届きまして、法人の代表者、旧施設長、新施設長による三者の挨拶文が並んでいたのですが、代表者の文章には「句読点」が無く、新旧施設長の文章には「一部だけ句読点」が記載されていました。

 ここで蘊蓄です。いつもどおりエビデンスはありませんが
「賞状など格式の高い文章には、句読点を付けないのが礼儀らしいです」
 もともとは、句読点は存在しなかったのですが、それでは読みにくいことに加え、意味が正しく伝わらない恐れがあるので、句読点を入れるようになったとの説がありまして、逆説的に、
「貴方のような立派な方は、高い識見をお持ちと存じますので、句読点を付けては失礼に当たると考え、句読点を付けていません」
というような考えがあり、
「格式高い文章には、句読点を付けないのが礼儀らしいです」
 現状では「表彰状・感謝状」「挨拶状」などにしか残らない、あまり一般的とは言えない文化かもしれません。

 今回の「挨拶状」を鑑みれば、「法人の代表者」が、そのような文化に則った内容でした。しかし、繰り返しになりますが「新旧施設長」を非難するつもりはないのです。想像になりますが、「新旧施設長」が一から「挨拶状」を作成したとは考えにくく、おそらくは「法人の事務担当」が、事務を行う中で、新旧施設長に対し
「これが前回の挨拶文になりますので、朱書き訂正して返送してください」
のような経過を踏まえ、修正原稿を印刷したと思います。
 なので、事務担当者からの
『新旧施設長に確認していただき、修正したとおりに印刷しました。私の間違いではありません』
という言葉が聞こえてきそうです。

 しかし、私はこのように伝えたいです。
「あなたの作業に間違いはありません。ただ、原稿を見て「一部にだけ句読点がある」、「法人代表の文章には句読点がない」ことに、違和感はありませんでしたか。そのことについて、これで良いか誰かに確認しなかったのですか。あなたの業務は「挨拶状の印刷・送付」ではなく、「適切な挨拶状を送付する」ではないですか。この「半端な句読点の挨拶状」は、法人の挨拶状として適切でしょうか」

 このようなことに限らず、間違いや失敗を咎めるつもりはないのですが、仕事に取り組む姿勢というものについては、少し苦言を呈したくなることがあります。
 拙著「恋する旅人」に収録している「水商売を始めた役場の話」の登場人物である村長が言うところの

「お前は、何を見て、何を考えて仕事をしている」
「知らないことは仕方ない。わからないことはある。しかしなぁ、知ろうとしない、わかろうとしないことは罪深いことだと思うぞ」

 とういうことになります。
 まだまだ、自分自身が未熟な存在ですので、他人に苦言を呈するのは恥ずかしいことではありますが、このようなことを文章化することも 
「気づき、学び、深め、生かす」という「4段階の思考法」の実践とも考えています。この「4段階の思考法」については「元宮ワイナリー黎明奇譚」で、『「伝えたい」に込めた思い』として収録しています。

 ということで、本稿の宣伝は「恋する旅人」「黎明奇譚」ということで、お願いします。


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福島太郎@kindle作家
サポート、kindleのロイヤリティは、地元のNPO法人「しんぐるぺあれんつふぉーらむ福島」さんに寄付しています。 また2023年3月からは、大阪のNPO法人「ハッピーマム」さんへのサポート費用としています。  皆さまからの善意は、子どもたちの未来に託します、感謝します。