元宮ワイナリー 黎明奇譚(第1章)
はじめに
本書を開いていただき、ありがとうございます。
本書は「福島太郎」の著作としては、3冊目になります。先の2冊は「公務員のタマゴに伝えたい話」ということに主眼をおいた「実用書」に近い内容でしたが、本書は「公務員ファンタジー」とでも表現したくなる「ありえないような話」を基にした第1章と駄文を纏めた第2章による、少し不思議な話になります。
また、本書の題名でもある「第1章 元宮ワイナリー黎明奇譚」は、1冊目の「第4章 フロンティアミッション」、2冊目の「第2章 公民館物語」と併せて「お仕事三部作」のうちの1作という位置づけです。
「第2章 12人の優しいお役人」は、noteというサイトに投稿した原稿から拾い上げたショートショート作品を掲載しました。それぞれのエピソードには、何の脈絡も関係性もありませんが、福島太郎の「センスオブワンダー」を楽しんでいただきたいと思います。
第1章 元宮ワイナリー黎明奇譚
架空の都市である元宮市職員の大沼係長が、元宮ワイナリーのファン第1号を自称するまでの、異世界ではない「公務員×ファンタジー」のお話です。
プロローグ
平成23年3月の東日本大震災から3年余りを経過した4月のある日。
東北の中核都市である元宮市役所の5階にある都市交流課では、シティプロモーション係長の大沼が、新規事業の企画について頭を悩ませていた。
「大沼係長、ちょっとよろしいですか」
文化課 塙の声を受けて大沼は立ち上がった。
「どうしました。こんなところまで」
大沼は笑顔を浮かべながら話を促したが、普段は自室から出ない庶務担当者が他課に来るということは、電話やメールでは伝えにくい厄介な用件であることが予想できた。
「川内部長が、袖机をもう1台欲しいとおっしゃるのですが、総務課にお願いしても、規程以上に配置はできませんとの回答なのです。どうすれば良いでしょうか」
(俺に聞かれても、知らんがな)とは、口に出さず解決策を考える。
大沼たちが勤務する元宮市役所では、各部において主管課と称される組織の上位に位置づけられる課があり、主管課の係長や庶務担当者は、課の事務だけではなく、部内の取りまとめや、部長・次長の秘書的業務(雑務)を行う慣習があった。
大沼や塙が所属している文化部は、文化課、スポーツ課、都市交流課の3課体制で組織されており、塙は主管課である文化課の庶務を担当者していた。
「(文化課の)坂下係長は、何と言っていました」
「総務課が駄目と言う以上、どうしようもないと言われまして、そのことを部長に報告したら、大沼係長に相談するように言われましたので、来てしまいました」
申し訳なさそうに語る塙に、大沼は軽い調子で応えた。
「うまくいくかは解かりませんが動いてみますか。文化課に戻りましょう」
大沼の本音を言えば「迷惑な話」である。この程度の事は文化課で完結し、自分を巻き込まないで欲しい。しかし、川内部長の機嫌を損なうことで生じる悪影響を考えると、できる限りのことをする必要があるか、と考えながら文化課に向かう。
この4月、新たに文化部長に着任した川内は、部下に厳しいことで有名であり、文化部一同、着任前から戦々恐々としていたところである。しかし、大沼だけは不思議と気に入られていた。早朝、川内が出勤した時間に、文化部の役付き職員としては、大沼だけが出勤している状況で、川内からの指示に対応したことにより、信用を得ることに繋がり、主管課の係長でもないのに、川内からの話が持ち込まれるケースが増えつつあった。
文化課に来た大沼に目を留めると、坂下はあからさまに嫌そうな表情を浮かべた。大沼に声がかかるということは、坂下が川内に評価されていないとも言えるので、坂下にとっても「迷惑な話」ということになる。が、大沼は気にしない素振りで坂下に話しかける。
「塙さんから、袖机の件を聞きまして、相談に参りました」
「相談されても、総務課はゼロ回答だし、余分な袖机は無いし、どうしようも無い。大沼係長(ゴマ擦り野郎)からも、その旨を部長に話してください」
「話をするのは構いませんが、その前に御相談です。あそこにあるパソコンラックをいただくことはできますか。誰にも使われていないように見えるのですが」
室の片隅で、廃棄書類に埋れているパソコンラックに3人の視線が集まる。
「廃棄にする予定だから構わないけど、いくら大沼係長が部長と仲が良いとは言え、袖机の代わりにパソコンラックでは、叱られるのではないですか(お前が叱られるのは構わないけど、こっちに飛び火したら怒るよ)」
「そうですね、納得していただくのは無理でしょうね。一度スポーツ課に寄ってから、また来ます。一人で大丈夫なので、塙さんは自分の仕事に戻ってください」
憮然とした坂下係長を背に、大沼はスポーツ課に向かった。タイミング良く、スポーツ課長が在籍していた。課長とは以前一緒に仕事をしたことがあり、相談がしやすい間柄であった。
「課長、唐突なお願いで恐縮ですが、共用のノートパソコンを置いてある、あの袖机と中古のパソコンラックを交換していただけないですか。引き出しは無くなりますが、足元と上の棚が使えますし、奥行きがコンパクトになりますので、通路が通りやすくなると思います。実は、文化部長がもう1台、袖机を必要とおっしゃるのですが、総務課から貰えず、文化課が難儀していますので、あの袖机を活用できないかと考えたところです」
「まぁ、代わりのラックが来るなら大丈夫だと思うけど、ラックはいつ貰えるの」
「すぐにお持ちします」
課長が職員に声掛けをして確認したが、物々交換について異論が出なかったため、直ちに大沼は文化課のパソコンラックとスポーツ課の袖机を交換し、袖机を磨いてから、塙に託し、都市交流課に戻った。
自席に座る間もなく、係員の伊達が、子どもを咎めるように大沼に声をかける。
「係長、またフラフラと、どこに行っていたのですか。さっき富岡次長が係長を呼びにきましたよ。直ぐに次長のところに来て欲しいそうです」
大沼はマグカップを取り、冷えた珈琲を一口啜り気持ちを整えた。
(一難去って、また一難。長男去って、すぐ次男ですか。次長が呼びにくるということは、これもまたろくな話ではないな。けど、これも仕事、仕事、お給料のうち)
「次長のところに行ってきます。急ぎの決裁は、後で見ますので進めておいてください」
伊達に言い残し、次長席へ向かう大沼の足取りは、実に重いものであった(戻るまでに、新規事業の企画を、誰か進めておいてくれないかしら)
1 ライトスタッフ
大沼がスポーツ課で袖机を磨いている頃、文化部長室では、秋に行われるマラソン大会への協賛金を募るため、大手商社である五友物産を訪問した結果について、富岡次長が川内部長に報告していた。
「市長から向こうの役員に話が行っていたはずなのですが、担当者までは話が降りていない状況で「初めて聞く話」とのことでしたが、協賛について検討していただくことなりました。ただ、五友物産の担当者から、
『社会貢献事業として実施している復興支援活動のため、市職員に現状を聞きたい』
という話をされまして、近々、当市役所を訪問したいとのことです。いかがいたしますか」
川内は面倒そうに答えた。
「(俺に聞くまでもなく)受けるしかないだろう。次長が対応するのも何だから、誰かに指示して対応させてください」
「話の発端がマラソン大会ですから、窓口はスポーツ課にしますか」
「スポーツ課じゃ駄目だ。初めての「ハーフマラソン大会」に向けて余裕が無いだろう……。都市交流課の大沼君でどうだ。市の現状を聞きたいというなら、シティプロモーション活動を通じて、市全体に詳しい大沼君が適任だろう、大沼君を呼んでください」
という経過があり、大沼が五友物産との窓口となることが決定した。
富岡次長は、あらためて大沼に概要を説明し
「まっ、頼むわ。相馬都市交流課長には俺から話しをしておくし、五友物産にも大沼君を窓口にすることを電話しておく。市長指示を受けての協賛金交渉、500万円がかかるから、何としても頼むよ。大沼君は五友グループが好きだし、適任だよな」
「わかりました」
(いやいや日本語として、話の意味はわかりました。確かに五友グループは大好きです。
それにしても、日本三大商社の五友物産です。担当レベルとは言え、こんな田舎の役所に来るような方々じゃないでしょう。こちらからアポを取ろうとしても門前払いする相手です。その窓口を私のような木っ端係長にやらせて良いのですか。
相馬課長は、民間事業者との接触を嫌がりますから、打ち合わせに入れないほうが無難だと思います。相馬課長抜きで進めさせてください。
また、どんな話になるかはわかりませんが、最初から関係課を巻き込まないと、後になって「うちは聞いてない」「都市交流課でやればいい」とかの話になりますので、手順を正しくいかないとまずいです。私も新規事業を抱えていて、余裕は全く無いのですが、面白そうな話ですから、はい、喜んで、担当させていただきます)
ということを刹那のうちに考え、返事をした。
「関係課にも声を掛けて、万全の受け入れ体制で対応させていただきます。現場に近い係長、担当レベルで話を伺う形で良いでしょうか」
川内はこともなく
「そんな感じでいいだろう。細かいところは、次長、課長と相談して進めるように」
大沼は大きな不安と緊張を抱いたが、川内は五友物産について、あまり興味・関心を抱いていないように見えた。今年度で定年退職のせいだろうか。それとも、初動が市長指示で始まったせいだろうか(役所内の派閥で言えば、川内は前市長派である)
いや、そんなことは無い。一緒に仕事をするようになり、まだ3週間にしかならないが、自分のことを「正しい資質を持つ者(ライトスタッフ)」として、信頼しているに違いない。決して失敗しても良いなどと、軽く考えているはずがない。
大沼は自問自答しながら、部長室を辞した。
なお、市長が教育委員会も含めて組織を弄り回した結果、文化部は持て余された課の寄せ集めのような組織となった。とりわけ、都市交流課シティプロモーション係は、役所内でも
「何をしているか、わからない」
と称されることが多い組織である。似たような業務を行う「観光課」や「公聴広報課」が軸となる事業を抱えているのに対し、シティプロモーション係は、臨機応変、柔軟と言えば聞こえが良いが、他の課でもてあましたような「新規事業」や「流れ弾事業」に対応させられることが多い傾向にあった。
大沼は時折、古いロボットアニメのエンディング曲を替え歌にして、心の中で歌いながら仕事をしている。
「俺は役所の何でも屋 シティゼネラルカンパニー 俺は木っ端の係長
今日も取り組む むちゃ振り 流れ弾
わが社の未来を守るため、いや、地域の未来を守るため
(中略)
辛ぇなぁ、辛ぇよなぁ、木っ端は辛ぇよな」
2 ラフストーリーは突然に
富岡が五友物産に電話で確認したところ、
「市役所訪問と打ち合わせは、早急に、それこそ明日、明後日にも行いたい。
また、午前中は市職員との打ち合わせを行い、昼は地元の食材を使用した店で食事をしたい。午後は地元の農家さんを訪問して、農業関係者の話を聞きたい」
との要望があった。
「大沼君、明日か、明後日に対応できる」
「(また、他人事だと思って、簡単に言うよこの人)
はい、動いてみます。ただ、農家さんや関係課との調整がこれからになりますので、明日ではなく、明後日、25日(金)の打ち合わせでお願いします」
と、大沼は誰とも何の調整もしないまま、日程を了承することだけを回答した。
それからの大沼は自席に戻らず、政策企画課、観光課、商工振興課、農政課、農業振興課の各課を訪問し
「文書は後で送付するから、25日(金)午前、打ち合わせに誰か出席して欲しい」
と伝えた。当然「迷惑な話」と嫌がられたが、こちらには「錦の御旗」、「市長指示によるマラソン大会の協賛金」がある。
五友物産へ協賛金依頼を行う発案者は、五友物産に薄いコネがあった市長だった。市長案件の成果を上げるための業務について反旗は許されない。まして、ハーフマラソンの開催も市長の指示(思いつき)であることから、これも失敗が許されない事業だった。
農業振興課では、打ち合わせの参加に重ねて
「川俣農園さん、国見ファームさんを訪問したいので、連絡先を教えて欲しい。できれば、25日の打ち合わせの後、午後から一緒に農家さんに同行して欲しい」
とのお願いをした。あつかましいことこの上ないが、農業分野は大沼の業務とは畑違いのため、農家さんの顔も住所もぼんやりとしかわからないのである。
矢吹農業振興係長からは、
「面白そうだから協力はするけど、午前中は主催の会議があるから、俺は出席できない」
との回答を受けた。
大沼は(矢吹係長、あなたを一番頼りにしていたのに)との言葉を飲み込み
「わかりました。誰か一人だけでも参加していただければ助かります」
と応え、川俣農園、国見ファームの連絡先を手に職場に戻った。不在にしていた理由を聞かされていない係員たちの視線が少し痛い。
係員に事情を説明し、打ち合わせ会場、移動用の車両、関係資料の収集などを手分けして行う。貰い事故のような唐突な業務であるが、全員がよどみなく行動する。幸運なことに、農家さんのアポも含め、事前準備は順調に進んだ。
ただ1つ、相馬課長の理解を得ること以外は。
「大沼係長、何で君がマラソン大会協賛金の話に巻き込まれる必要がある。おかしくないか、スポーツ課で受けるべき話だろう。自分の新規事業の企画も進んでいないのに、民間企業の復興支援活動なんか関係している余裕があるのか。
しかも、昼飯の段取りまでして、午後からは農家訪問だと、農家の話だったら、農林水産部に任せてしまえよ。都市交流課の業務とは何の関係もないよな。
筋論としておかしくないか、疑問は感じないのか。どう思うよ」
「課長のおっしゃるとおりです。筋で言えば、とんでもなく変な話ですので、正直お断りしたいです。しかも、今日話を聞いて明後日の対応ですから、何とも無理な話です。
しかし、部長からの指示ですので、当面は対応せざるを得ないかと。なるべく早い段階で方向性を定め、協賛金についてはスポーツ課に、復興支援活動については、農林水産部とか商工観光部などに引継ぎをしたいと考えております。
当課であまり力を入れていないことを見せるために、最初の打ち合わせから他課を巻き込み、当日は相馬課長や課長補佐が出席することなく、私だけが対応するような段取りでいかがでしょうか。午後は農林水産部の職員も農家訪問に同行させます」
「まぁ、部長、次長からの特命ということなら、拒否する訳にも行かないか。なるべく早く、事業を引き継ぐことを考えていくように」
相馬の疑問に対し、賛意を示した大沼ではあるが、話を部長、次長に戻せるわけもなく、打ち合わせに向けた作業を再開する。
打ち合わせ用の通知文を作成しながら、矢吹の顔を思い浮かべた。
(他の課はどうでも良いけれど、矢吹係長には参加して欲しかった)
矢吹と同じ職場で仕事をしたことはないが、何度か観光イベントや飲み会で同席したことがあり、矢吹の役人らしからぬキャラクター、交渉力にシンパシーを感じ、民間企業と行う今回の打ち合わせにおける戦力として、大きく期待していたのであるが、矢吹の時間に合わせる余裕はなかった。
3 黒船来襲
打ち合わせ当日、五友物産からは中島と松川という二人のスタッフが来所した。
川内部長、富岡次長と挨拶を交わした後、6人の市職員が待つ会議室へと移動する。型どおりの自己紹介の後、市役所の各担当者から、それぞれの業務内容や現状の紹介があり、復興についての質疑等が淡々と行われるが、あまり盛り上がりは生まれない。お互いが腹の中を探り合う雰囲気で、話が噛み合わないような展開である。大沼が
『また、負け戦だったか』
という、黒澤映画の名台詞を頭に浮かべ、7人集めたのが失敗だったかしらと考えていた時、会議室のドアが開き、矢吹が入室してきた。
(これで、ちょっと風向きが変わる)
大沼は現状打破への期待から、体温が上昇していくのを感じていた。
打ち合わせの概況について説明を受けた矢吹は、笑顔を浮かべながら役人らしからぬ発言、「矢吹バズーカー」を五友物産に向けて放った。
「いろいろ、支援してくれるという話はいいのですが……。皆さんは、どれだけ本気で元宮市のことを考えてくれていますか。震災後、そういう支援の話は時々来ていますけど、結局のところ、商社の方々は、農産物を買い叩くことしか考えていないですよね」
この発言を受けて、中島の顔色がみるみる変わった。怒りと困惑の表情。厳しい意見が出ることも想定していたとは思うが、「矢吹バズーカー」は想定の範囲を超えていたのだろう。大沼は眩暈を感じていた。
少し顔を紅潮させた中島は、松川に資料を配るよう指示し、大きくうなずいてから、話を切り出した。
「今日は、皆さんのお話をお伺いするだけの予定でしたので、この話をするつもりはなかったのですが、本気か、という御質問をいただきましたので、説明します」
戦場に向かう漢(オトコ)のような顔であった。
『まだ、内部で意思決定はされてないが、これまで復興支援として行ってきた既存企業への支援とは異なり、五友物産として直接、福島県内において、復興に寄与する事業ができないかを検討したい。
事業内容は、全く白紙、地元の声を聞いて固めていく。
復興支援事業については、もともと震災後3ケ年で集中して展開するとの社命があり、今年度中に事業に着手しないと、計画は無くなる。このため大至急、事業を企画したい。まず、事業用地を確保したい。何をするかは決まっていないが、5ha程度の用地があればと考えている。
福島県に対する復興支援として考えているので、元宮市で事業を実施するかどうかは白紙。なお、この話は他言無用でお願いしたい。特に市長には伝えないで欲しい。
市長から五友物産の幹部に話が伝わると、こじれることが予想される』
大沼は目をしばたいた。
500万円なんて目じゃない、大規模な話。
今まで当市には縁がなかった五友物産が根を張るかもしれない。
今年度中に事業着手する必要がある。
どこで何をやるのかも、決まっていないのに。
作戦無し、武器無し、兵隊無し。予算はあるけど降りてくるかは企画次第。
そんなむちゃくちゃな話に、一口噛めということですか。
うん、まぁ、普通に考えればとんでもない話。
話の内容に、市職員全員が、毒気を抜かれたような感じになりながら、少しの質疑を重ねて打ち合わせは終了した。
この時、打ち合わせに参加していた市職員は、この話について事業化が実現できるとも、協力したいとも考えてはいなかった。そんな夢みたいな話が現実になるはずがない、バカも休み休みお話しくださいと。しかし、バカな大沼だけは別な思考をしていた。
(魔法は使えないけど、タネと仕掛けさえあれば、魔法みたいなことはできるはず。
夢は見るものじゃない、叶えるもの。
失敗したところで、もともと無かった話が消えるだけ。ゼロで始まりゼロで終わる。
どれだけのタネと仕掛けを準備できるか。汗をかく価値はある。恥を掻くのもいい。
チャンスの神様が現れたのだから逃がす手はない。前髪しかないというチャンスの神様。一人で捕まえることは難しいかも知れないけど、皆で囲んで逃がしはしない。
できる限りのこと、動いてみますか)
4 シン・打ち合わせ
市役所から近い地元食材のランチを出す店に、五友物産の二人と富岡、大沼が移動する。実はこの店、予約無しの「日替わりランチ」はリーズナブルな値段設定であるが、席を予約する場合、コース料理をオーダーする必要がある。2日前に伊達から
「係長、予約すると一人4千円になりますが、どうしますか」
と聞かれ、「4人分予約して」と応えたものの、財布へのダメージは大きかった。富岡にも大沼にも、交際費という公的な予算はなく自腹である。経費で落とすべく、レジにて領収書を入手する松川を尻目に、富岡と大沼は自分の分のお金を置き店外に出る。
この後、市役所のワゴン車に五友物産、大沼、矢吹が同乗して国見ファームに向かう。国見ファームは、野菜を中心に栽培する大規模農家であり、六次産業化などにも意欲的であった。
さて、役所あるあるの一つ、会議室を出てからが、真の打ち合わせである。
この移動時間中に五友物産とコミュニケーションを重ねて、元宮市のPRを行うとともに、情報収集を行わなくてはならない。それがシティプロモーション課の係長としての務めというものでしょう。もし、今回の事業が立ち消えになったとしても、今後の元宮市のために、五友物産との絆を繋いでおきたい。と大沼は考えていた。
車中では、元宮市の現状や五友グループとのつながり(グループ会社が元宮市に複数立地していること、五友物産のOBに市の審議会委員を委嘱している話など)をアピールするとともに、五友物産の本気度や、他市への働きかけについて探りを重ねた。
大沼が気になっていたのは「福島県への復興支援」というスタンスである。元宮市以外にも声をかけているのか。県とは調整をしているのか。しかし、敵はさすがに一流商社の社員、ガードが固く手の内は見せてもらえないままである。
それでも、松川が良い質問を入れてくれた。
「こういう言い方は失礼かも知れませんが、一昨日の水曜日に、うちの中島と富岡次長が電話で話をしてから、大沼さんは今日の会議を企画し、職員を集めたのですよね。他の課の方々は嫌がりましたよね。普通の役所ではあり得ない気がするのですが」
「そうですね、普通はあり得ないです。しかし、そもそも五友物産さんから声をかけていただくことも、普通はあり得ないです。これは何としても形にしたい、少しでも皆さんのお役に立ちたいと考え、関係しそうな職場の職員を参集させました。
私は元宮市役所の職員ですが、心は五友グループの一員として、今回の事業成功に向けて取り組みたいと考えています」
続けて「五友グループが大好き」と公言している背景にある話を披露する。
「心は五友グループと申し上げましたが、実は心だけではなく、体も五友グループに参加したことがあるのです。御承知かと思いますが、五友グループでは、年に1回「全五友武道大会」を開催しています。私はその武道大会に何度か出場したことがあるのです。そういう意味では、既に五友グループの一員なのです」
「え、そんな大会があるのですか。知りませんでした」
「日本武道館を貸し切りにして開催されるのですが、全国にあるグループ企業の剣道、柔道、空手、合気道などの武道サークルが一同に会し、試合や演舞を行うのです。私は柔道を齧ったことがありますので、五友銀行にいる知人を通じて、柔道の試合に出場させていただいたことがあるのです。日本武道館を貸し切るとは、さすがに五友グループですよね」
大沼はこの話を日頃から公言しており、川内や富岡も承知していたため、今回の五友物産との窓口として白羽の矢が立ったという面もあると考えていた。今後の事業には全く役に立ちそうもない話ではあるが、中島と松川に漂っていた緊張感が、少し緩んだようであった。
5 縁は異なもの味なもの
国見ファームの社長に対し、大沼が訪問の趣旨を説明した後、中島が切り出した。
「震災後、風評被害も多く受けたと思いますが、一番困ったことは、どんなことだったでしょうか」
「原発事故の影響で、取引先から手を引かれたのが大きかった。
作っても売れない。作ったものを捨てざるを得ない。
野菜は生き物だから休業なんかできない、生産を止めるわけにはいかない。
生産を止めたら廃業しかない。
野菜が売れないから、従業員に給料を払うことができない。その時が一番辛かった。
誰も助けてくれない。本当に誰も助けてくれないんだよ。
正直、廃業して楽になろうと思った。全て投げ出そうと考えたよ。そしたら楽になる。
けどね、従業員がさ、パートのおばちゃん達がさ
『社長、今は給料が出なくて構いませんから、野菜を作りましょう』
と、俺やカァちゃんに言うのさ。それも一人じゃなくて全員がね。
皆、自分のことや家族のこと、不安で心配だろうに、物資の流通も止まり、生活必需品も揃わず、暮らしが大変な時に、仕事をしたいと言うのさ、野菜を作ろうと言うのよ。銭にもならないのに。
止めるわけにはいかない。作ったものを全部廃棄するとしても、生産を続けなくては、と気持ちを固めた。そんな時、取引先の一つで、ライブというスーパーの担当者だけが、
『消費者の反応はわかりませんが、うちは棚から降ろしません。取引を継続してください』
と、言ってくれた。実際、しばらくは全く売れないという話も聞いたけど、ライブはずっと買ってくれた。で、売れない野菜を廃棄したのかと聞いたら、そうではなく、従業員が店で調理して賄いにしたり、原価で引き取って自分達で食べたりして、無駄にしなかった。ちゃんと食にしてくれたんだよ。うちでは社員だけで捌けず、畑で潰した野菜もあるけど、ちゃんと食べてくれる人がいる。風評に負けない人がいる。
ライブからの話を聞いて、何とか、ほんと何とか、皮一枚、踏みとどまることができた。あの時、ライブが居てくれなかったら、廃業したと思うよ。
まぁ、あなた方にライブなんてスーパーの話をしても、知らないと思うけど」
大きな声を出すこともなく、身振り手振りを入れることなく、トツトツと話す社長の姿に、大沼の目から汗が流れ出ていた。
社長の奥さんも嗚咽する中、中島が想定以上の返しを見せた。
「ライブというスーパーは、私たち五友物産のグループ会社です」
大沼は心の中で叫んだ
「国見社長、グッジョブ! ライブ、グッジョブ!」
あなた方、よくぞそんなストーリーを仕込んでいてくれた。あざといテレビ番組の演出でも、できないような話を、国見社長はシナリオ無しで見せてくれた。
一通りの話を聞き、野菜畑も見学させていただいた後、国見社長は
「せっかくだから、お土産を持っていきなよ」
と、駐車場から近い、出荷用倉庫のシャッターを開けた。
勢い良く上げられたシャッターの向こうには、「ライブ」と焼印が押されたパレットに、出荷待ちをしている野菜が零れ落ちそうなくらいに積み上げられていた。大沼は再度、心の中で叫んだ。
「国見社長、グッジョブ!」
更に幸運だったのは、国見社長の2男と松川が、東京で開催されていた「農業を学ぶ朝活」を通じて、旧知の仲であったことも判明した。結果オーライの部分は大きいものの、五友物産との1回目の打ち合わせを好感触で終えることができた、と大沼は感じていた。
翌々日の日曜日、大沼は職場でパソコンの入力をしていた。車中での五友物産からの情報や農家さんとの話を元にした忘備録を作成していたのである。頭だけでなく、手を動かしながら、考えを整理してくのが大沼の癖である。文章になる前に、キーワードを踊らせながら、アイディアを集約していく。そこにエビデンスは少なく、経験と感性だけが武器であった。
『県内農家に対する支援を軸として、県内の潜在的な魅力を五友物産と一緒に引き出すプロジェクトにしたい。当市を拠点としていただけるのが一番良いが、他市町村でもできる限り御協力したい。市役所として事業が企画できなくても、個人としてもできる限りのことを協力させていただきたい』
という内容で、A4用紙2枚に想いを綴った。
月曜日の朝一番で五友物産に送る「御礼メール」に添付するために、日曜日に作成していたのである。
「こちらのやる気をみせて、少しでも当市のイメージを良くしたい。週明けに届いていることで、好印象を残せるのでは」
という打算はあるものの
「五友物産と一緒に仕事をしてみたい」
という心と「地元の復興に関りたい」という気持ちは本物であった。
6 探しものは何ですか、見つけにくいものですか
月曜日から、中島と大沼の間に情報交換のメールが飛び交うこととなった。情報交換とは言っても、基本的には中島からの質問について、大沼が回答する形である。そして、ゴールデンウィークが開ける頃には、漠然とではあるが
「農業を中心とした復興支援」
という共通認識が生まれつつあり、大沼が窓口となっているものの、必然的に矢吹に相談することが多くなっていた。打ち合わせ初日こそ斜に構えていた矢吹も、五友物産からのアプローチを受け、信頼感を高めていたが
「大沼君、国見さんを始め、何人かの農家さんは協力してくれると思うけど、実際のところ、当市を拠点に事業を展開してくれるのだろうか」
という懸念を抱くことも当然であった。
壁になるのは事業用地である。
五友物産と大沼たちの、もう一つの共通認識が「福島県の復興支援」である。
今のところは、元宮市に相談していただいているものの、県内で他に良い土地があれば、拠点がそこになる可能性が高い。市内の農家さんに協力していただくにあたり、事業の拠点が市内と市外ではモチベーションに違いが出るのは明らかである。
中島からは折に触れ、
「良い事業用地はありましたか」
との問いがあるが、
「鋭意、探しています」
との回答しかできず、忸怩たる思いが募っていた。
情報を拡散させたくはなかったが、通常の市有地、交流のある不動産業者からの情報だけでは候補地が全く出てこないことから、元宮市役所の出先機関となる支所の職員にも、事業用地について情報提供を呼びかけた。かつて10市町村の合併により誕生した元宮市では、旧町村の役所を「支所」として残しており、住民に対する窓口業務等を行っていた。
大沼は片っ端から支所の知り合いに電話し
「何に使うのか、誰が使うのかは教えられないですが、地主が協力してくれそうな5ha程度の土地はないでしょうか」
というむちゃな条件を付けながら、土地に関する情報提供を呼びかけた。
大きな期待はしないまま、電話を掛け続ける中、平田支所の職員から意外な回答を得た。
「東のはずれになるけど、何も使ってない結構広い市有地があるよ。細かい状況や住所は知らないけれど、所管しているのは農政課のはず」
(えっ、農政課? 最初の打ち合わせにも参加していたし、土地探しの協力もお願いしたし、耕作放棄地についての情報をいただいたりしたけど、そんな土地の話、一言も聞いてないよ)
大沼は平田支所との電話を切ると、農政課に向かった。
農政課の担当者によれば、昭和の終わり頃に防衛省から押し付けられる形で、自衛隊の訓練用地を取得したものの、その後25年以上に渡り用途を見つけることができず、塩漬けになっている土地があるとのこと。
そして、地元からは早期活用の要望があるものの、一度企画した「市民菜園事業」が頓挫し、もてあましている状況とのことである。
約2.5haの「宅地」
用途地域で言えば無指定地域。市で使う計画も展望もない。
(これはいけるかも。法的な規制が少ない土地、どんな事業も展開できる)
大沼は資料の提供に抵抗する担当者から強引に資料を入手し、自席に戻ると直ちに中島にメールで送付した。
5haという希望には足りない面積ではあるが、手を上げなければそこで話が終わってしまう。0と1は大きく違うはず。まずは、候補地としてステージに上げて欲しいとの思いがあった(あきらめたらそこで試合終了です)
中島へのメールを送信後、1時間ほど間をおいてから、あらためて農政課に電話して、4月の打ち合わせに参加していた係長と話をする。
「先ほど、担当者から旧自衛隊用地の資料をお借りしたのですが、五友物産の候補地として、資料を送付しても良いですか。もちろん、私が送りますのでお手数はかけませんよ」
この土地について、農政課から情報提供が無かったことについて、文句の一つも言いたいところを我慢して、資料送付の承諾を得た。もっとも、駄目と言われても既に資料は送付しているので、後の祭りということになる。
後は、五友物産が興味を示してくれるかどうか。
大沼の心配は、中島からの電話で払拭された。
「資料の送付ありがとうございました。是非、現地を確認させてください。こちらの都合で恐縮ですが、私の上司も連れていきたいので5月16日に訪問します。大沼さんの御都合は大丈夫ですか。また、時間がありませんので、当日は市役所に立ち寄ることなく、駅から現地に直行したいと考えています」
「私はもちろん大丈夫です。中島さん達を駅にお迎えにあがります」
業務スケジュールを確認することなく応えた。
7 エリートとペテン師
郡山駅にて初対面となった五友物産の片平部長は、「エリート」という言葉が似合う、40歳過ぎのスマートな男性であった。穏やかそうな人柄に見えるが、人の嘘やごまかしを見透かす賢者のような雰囲気を醸しだしていた。大沼はため息が出そうになるのを堪えながら、車へと案内した(この方は、仕事もできて、人当たりもよくて出世していく人ですよ。人としてのステージが違い過ぎます。お相手をするのが私で良いのかしら。まぁ、私は運転手としての役割に専念します)
と考えながら車のエンジンをスタートさせる。
平田町に向かって車を走らせながら、不安は大きくなるばかりである。
(あの荒地を見てがっかりされてしまうのか。話が消えることになるか)
実は、五友物産に土地の資料を送付した日、大沼は業務終了後に一人で現地を訪問していた。「家庭菜園事業」を実施していたこともあると聞いたことから、ある程度、造成済みの土地をイメージしていたが、実際の現場は背丈以上もある草木が生い茂り、「宅地」どころか「雑種地」でもなく「原野」「秘境」というような状況であった。
どんな事業を行うにしても、造成等についての初期投資と期間を必要とすることが予想できた。しかし、持ち玉はこれしかない。また、無指定地域という強みがある。大沼は不安と大きな不安の間で心を揺らしながら、安全運転を心がけて現地へ向かう。
草木が生い茂るため、敷地の境界は見えないけれど、おそらくは広大な土地の隅に立ちながら、片平が大沼にいくつかの質問をしてきた。
土地の面積、これまでの利用経過、周辺地域の状況など。
事前に想定していた内容なので、よどみなく答える。
そして、最後に、一番重要と思われる質問を受けることになる。
「当社が、ここで事業を行う場合、土地を購入、又は貸借することは可能ですか」
間髪入れずに応えた。
「売却、賃貸、いずれも可能と考えています。正式に機関決定するまでには、少しお時間をいただくと思いますが、事業に全面的に協力いたします」
全く根拠がない手形を振り出した。
このような質問を想定はしていたものの、上司の承諾も、関係課との事前調整もしてないままでの回答である。担当課でもない。本来、役所の職員としては「言ってはいけない」レベルの話となる。
しかし、大沼としてみれば「できない」「わからない」「検討します」なんてつまらない回答で、このチャンスを逃すことはしたくなかった。「役人」としてではなく、「市民」として「チャンスの神様を逃がすな」という心の声が、大沼の背中を強く押した(あることないことの話を通じて、相手の気持ちを引き出すのがペテン師の常道。自分が巷で「ペテン師」と呼ばれる話術を、ここで使わずいつ使うのか)
「土地を動かすとなると、役所内の手続きは、大変ではないですか」
片平が「役所仕事」と言われるスピード感の無さを懸念していることが感じられた。
「予算を伴う場合、議会に諮るタイミングも影響しますが、役所の内部だけであれば、多少、異論が生じたとしても、最終判断は市長になりますので、GOサインが出るはずです。御社のスケジュールに合致するよう、全力で取り組みます」
市役所なんてところは、縦のものを横にするだけでも「何で横に」、「誰が横に」、「いつ決めた」、「誰が責任を」なんて声が、あちらこちらから沸いてくる変な組織。しかし、上が決めたことについては、迅速に対応する組織でもある。この企画が市長まで行けば、通らないはずはない。大沼の想いは確信に近かった。
駅で五友物産の方々と解散した後、一人で車を運転する大沼には、大きな達成感と満足感が残った。少なくとも片平からの問いかけに対し、全て回答はした。正解かどうかはともかく、情報提供はできたはず、結果は天に任せるという気分であった。
久しぶりに受験生のような気持ちを感じながら市役所へと戻った。
8 人事を尽くして
片平たちの視察後、中島からは土地や周辺環境についての追加データ、法的な規制、五友物産に売却・賃貸借する場合の課題や手続き、市内、県内の果樹生産量、気象データ、事業に利用できそうな優遇制度など、毎日のように資料を求められる日が続く。
責任感の強い、真面目な職員であれば
「担当じゃないので、わかりかねます。担当課に確認してください」
と、応えそうなところであるが、無責任で不真面目な大沼は、庁内をかけまわり、情報を収集し、迅速にざっくりと回答していた。役所的な対応で「文書で照会してください」「それは教えられません」「上司に確認して連絡します」という話をすることで、事業の遅延や印象が悪くなることを避けたい気持ちがあった。
大沼は企業誘致の業務を担当していたこともあるが、企業からの問い合わせに対する、担当職員の対応の悪さや回答の遅さを理由に、企業誘致の話が頓挫するということがあった。
「問い合わせがくるということは、候補地として検討していただいているはず」
と前向きに考えるものの、土地の可否について回答はこない。そして、富岡からは
「マラソン大会の協賛金は、どんな感じで進んでいる」
と、せかされるものの、こちらも良い回答はできない。
相手は日本どころか、世界有数の総合商社。社内手続き等も考えれば、そう簡単に結論が出ないことは、当然のことであった。
現地視察から2週間が過ぎた5月30日、中島からの電話は吉報であった。
「まだ、正式には決定していないので、情報の取り扱いには、御注意いただきたいのですが、あまりお待たせするのも申し訳ないので、正直なところをお伝えします。
担当役員には、平田町の土地で復興支援事業を行うことについて内諾をいただきました。
また、事業内容としては、果実酒の醸造、いわゆるワイナリーでいきます。
農業を中心とした復興支援ということで、農家レストランや加工食品などの可能性をいくつか探ってきましたが、一つには既存の事業者の方々との競合を避けること、また、将来性を鑑み、そして福島県全体の復興ということで、果樹王国福島をアピールできる果実酒で事業を展開したいとの考えです。
また、マラソン大会の協賛金も内諾を得ましたので、後ほど担当から資料を送付させます。ただ、何度か申し上げていますが、正式な社内手続きはこれからになりますので、当社の法務、建設部門などと話を詰めていく中で、異論が出て話が消える可能性があります。
そのため、市長には話を上げないでください。また、これから社内で検討していくにあたり、これまで以上に、大沼さんに様々な資料などの情報提供をお願いすることになります。引き続き御協力ください」
中島に対し、御礼を述べる大沼の声が上ずり、震えていることが周囲にも伝わり、怪訝な視線が集中した。
安堵と興奮と不安、言葉にできない様々な思いが錯綜したが、
体の芯を突き抜けるのは歓喜!
1ケ月前には夢にもならない物語が、おぼろげではあるが、現実の世界に降りてきたのである。同時に、五友物産も元宮市も、本当に難しいのはこれからであるとも感じていた。
今後は、これまでの情報提供とは異なり、さらに具体的な課題を乗り越えていく必要がある。そして、中島はハッキリと言葉にはしなかったものの、このような事業において、候補地が一つということはあり得ない。今回の電話は、言わば一次試験を通過したということであり、他市町村の候補地との真の競争が始まることが予想できた。
しかし、この電話の後、中島たちと大沼たちとの距離感が、ぐっと近づいたと感じられた。矢吹からの提案もあり、中島たちが元宮市に出張する日に合わせ、大沼、矢吹、中島、松川で、「夜の打ち合わせ」を企画することとした。
地元の食材を出す居酒屋にて、地酒や食材、地場産業など、様々な話題に興じる中、大沼は勢いにまかせ、かねてからの疑問をぶつけてみた。
「当市に声をかけていただき、大変有難く思うのですが、本質的には「福島県の復興支援」ですよね。県庁に相談はしたのですか」
中島の目に、険しい色が走った。ため息を一つ入れ、グラスを置いてから、話し始めた。
「実は、今年の3月に県庁を訪問したのです。お会いした担当の方から『自分は4月に異動になるので、また、4月以降に話に来てください』という話をされまして、こう申し上げては何ですが、県の方には期待しないことにしました。なので、直接、自分たちで農家の方々にアプローチしようと考えていたのですが、偶々、富岡次長がいらっしゃるということで、市長とのご縁もありましたので、元宮市さんに相談させていただきました。
こう申し上げるのも何ですが、福島県はともかく、これまで復興支援で協力をお願いした他県の市町村でも、元宮市さんほど協力してくださる自治体はありませんでしたので、正直、最初の会議に関係課の皆さんが参加してくださったことから始まり、この1ケ月半の対応は驚かされてばかりです」
(さすがは福島県職員、素晴らしい。心から感謝を申し上げる)
心の中で喝采をあげずにはいられなかった。そんな前振りがあったおかげで、当市の株が上がったということですか。
初めての「夜の打ち合わせ」は非常に有意義な情報を得て終了したが、幹事役の大沼としては、飲み放題にしなかったことが痛恨のミスであった。言うまでもないことであるが、大沼も矢吹も自腹で割り勘だったので、その後の生活に支障をきたした。
9 二次予選
二次予選の開始を告げる中島からの電話は、実に事務的であった。
「平田町の土地について、社内で検討する上で、1点突破とは行かないです。
比較物件を付して稟議をあげる必要があります。
私個人としては、あの土地を活用して貴市と事業を行いたいと思うのですが……。
そこでお尋ねです。更地の適地は無いとのことですが、市内に活用できそうな廃校はありますか。あれば資料をいただきたいのです。
また、平田町の環境では公共交通が少なく、不便すぎて、集客が見込めないのではという声も社内で出ています。例えば、同じ元宮市内でも飯坂町の方が果樹と観光のイメージがあるのではないか、駅前の方が集客を期待できるのではないか。などの意見です」
「承知しました。いくつか、廃校がありますので、直ちに資料を送付します。また、平田町で事業を行う魅力について、地元民としての考えをまとめ、送付させていただきます」
大沼は教育委員会総務課に向かいながら考えた。
(実際のところは、当市以外のところで既に比較物件を準備しているのかもしれない。結果として他市に落ちても仕方ない。が、できればではあるが、当市で事業化して欲しい。そのためには、市内での比較物件を出さなければならない)
廃校の担当者は、以前、企業誘致を担当して時に何度か情報提供をお願いしていた職員だったので、大沼は面倒な話をとばしてお願いした。
「物件情報の依頼があったので、廃校の資料をデータで欲しい。選んでいただける可能性は低いので申し訳ない。依頼文は後で届けるから、データは今すぐメールして欲しい」
廃校のデータは既存のものがあるので、手間はかからないはずであるが、係長にも説明をして自席に戻る。次に、平田町を有利にする策を考える必要がある。元宮市内でも、辺境な地と言えることを逆手にとり「平田町で事業を行う7つの理由」と題したレポートを送付した。
1 福島県の農業支援を目的としていること
2 福島県全域を支援の対象としていること
3 発展可能性が高いこと
4 広域観光性が高いこと
5 市有地のため公共性があること
6 開拓者精神・未来への希望を表現できること
7 効果的な地域プロデュースが期待できること
要約すれば
「ある程度、市街地が形成されているよりも、何も無い僻地のような場所の方が、競合しないし、変な色もないし、面白いのではないですか。他市町村の農業者も参入しやすいと思いますよ。田舎の住人は地域活性化に能動的で、本気ですから面白いですよ」
という提案である。
詭弁と言われようがペテンと言われようが、他市町村ではなく元宮市で、元宮市であれば平田町で事業を実施して欲しい一心である。いつもどおり、内部の決裁は受けていない無責任な独断専行である。実のところ平田町で事業を行って欲しい「真の理由」は、大沼が平田町出身ということに尽きる。
しかし、いくら厚顔無恥の大沼とは言え、平田町の役に立ちたい、貢献したいという個人的な想いをレポートに記載することはできなかった。
10 手形の回収
「明日、平田町と廃校の現地視察をお願いしたい。
今回は五友物産の建設部門、広報部門の担当も同行するので、市役所の車の手配は不用です。なお、記録用の写真や映像を撮影したいのですが、大丈夫ですか」
この頃になると、中島からの依頼について「むちゃな」という感覚は全く麻痺しており、粛々と淡々と関係課へ連絡する。今回は、農政課、農業振興課、教育委員会総務課、公有資産課を参集させることとした(本格的なスタッフを連れてくるということは、かなり前向きな視察ということか)
と、期待を高めずにはいられなかった。
当日は、最悪とも言える土砂振りの天気であったが、視察は決行され、五友物産の広報班が撮影する記録用のカメラに、緊張を隠せないまま、公有資産課職員が土地の詳細説明を行った。
その後、昼食を取りながら、前回視察に来た片平部長の質問と同じような内容ではあるが、実務者レベルでの踏み込んだ質疑応答も行われた。
「開発許可が必要になると思いますが、どのくらいの審査期間が想定されますか」
建設部門の担当者からの質問に、市役所職員の表情が強張る。そこまでの話は想定してなく、担当者不在であったが、大沼が応える。
「一般的な事案であれば、開発許可については、半年程度の期間を要します。が、開発許可に係る審査は、市長の権限ですし、一定の基準に該当しているかどうかが、判断基準になりますので、基準を満たしていただければ短縮できると思います」
「大沼さんは、開発関係の事務も担当されたことがあるのですか」
「直接担当したことはありませんが、企業誘致や消防防災の担当時に開発許可の審査会に参加したことがあります」
回答が期待に応えられたかどうかはともかく、この日、大きな山を越えた印象が残った。
さて、日本の商慣習として「約束手形」という制度がある。
契約金の支払いをする際に、3ケ月、6ケ月、1年など一定の期日を指定した「手形」を振り出し、金融機関を介して相手には先に支払いをするが、手形を振り出した支払い側の清算を先延ばしする制度である。
このことにより、資金繰りが行いやすいという利点があるものの、期日に支払いができない場合「不渡り」となり、1回で信用を大きく失い、その後の営業が厳しくなり、2回目の「不渡り」を出すと、金融機関との取引が停止し、実質的な倒産につながるという、諸刃の剣である。
ちなみに、支払う意思や根拠がないのに、手形を発行することを「空手形」という。この「空手形」は、経営が末期の時や詐欺的な行為の時に行われることもあるらしい。
大規模な現地視察の翌週、中島から電話があり、大沼が振り出していた「約束手形」の清算を行う必要にせまられた。
「正式決定はもう少し先になりますが、社内では平田町の土地で事業を行うこと、常務まで内諾を得ることができました。事実上の決定です。土地については購入せず、借地とする方針です。
そこで、まずは平田町の土地の借用に向けた手続きを進めていきたいのです。9月議会に補正予算を計上くださるようお願いします。申し訳ないですが、現時点では、正式な文書等を発出することはできないことを御理解ください」
五友物産の関連事業所が進出することによる設備投資や雇用、税収などの効果に加え、五友物産との人的交流が生まれることにより、有形無形の波及効果が期待できると考え、大沼は汗を流してきた。しかし、その想いが役所全体で共有できてはいない状況で、土地の賃貸借の可否、そして予算計上の事務をまとめることができるのか。
予算を計上するとなると、財政部へ事業企画書や予算積算書を提出することになるが提出期限までは、あと3日しかなかった。
「正式な文書が発出できないことは承知しました。9月議会の予算計上に向けて、直ちに動きます。ただ、予算については市長判断を仰ぐ必要がありますので、今回の動きについて、一度市長に報告させてください」
「市長報告の件、承知しました。ただ、くれぐれも市長が外で話をしないよう、最大機密で進めてください」
電話を切り、すぐさま川内部長、富岡次長に報告する。
「補正予算を計上する必要がありますが、農林水産部で計上することが、筋になろうかと思います(文化部はそろそろ手を引きましょう。農業支援ですから)
基金からの買い戻しになり、実質的なお金の動きは発生しませんので、財政部的に課題は少ないと考えますが、予算計上の是非について、あらためて、農林水産部と財政部に対する説明を行う必要があると考えます。また、市長査定が8月7日からになりますので、その前に一度、市長への説明が必要になるかと」
話を受け、富岡が提案した。
「じゃぁ、まず、農林水産部長のところに私が説明に行きます、その後、農林水産部と一緒に財政部に説明するような段取りでよろしいでしょうか」
補正予算を伴う事務になると、係長レベルでの協議など意味がない。事務が増えることを嫌がることは目に見えている。まして
「相手からの文書も無いのに予算を計上するなんてあり得ない」
という、手続き論で動きが止まってしまうことになる。
そんな瑣末なことにとらわれず、政策的な判断をするためには、部長クラスの力が必要になる。
なお、9月補正予算の資料提出締め切りが7月18日ということは、中島には伝えてあり、間に合うように二次予選の結果を求めていたところである。
しかし、ギリギリのせめぎあいというか、普通であればこのタイミングで、一から予算を組み立てるなんてことは、役所的にはありえない話であった。
11 御前会議
これまでの経過について、西郷農林水産部長、金山次長に説明したところ、反応は想定の範囲内だった。
「あの土地を五友物産に貸す?農家の復興支援?そんな話が進んでいたのか。俺は何も聞いてない。次長は聞いていたのかい」
「私は農業振興課長から、少し聞いていました」
黙する西郷に対して富岡は、立ち消えになるリスクは0では無いものの、これまでの経過から確証が高いことを説明する。突然の話に戸惑いながらも、西郷は理解を示してくれた。
「総論は問題無い、というか本当に嬉しい話だね。土地は活用してもらえるし、農業振興の視点からも、新規事業として目玉事業になる。金もかからない。
特定企業との連携という部分は、少し工夫が必要だけど、ここで予算計上をしないで、相手を逃すという話にはならないな。
ただ、何部で予算計上して、どこが担当するかは、財政部長と市長に確認しないとね(急に話を持ってきて、俺に押し付けることについて、はいと言えるか)」
富岡次長の反応も早い。
「私もそう思います。至急、財政部長との打ち合わせを調整します。これまでの経緯もありますので、財政部への説明は文化部で行います。時間が合えば、どなたか農林水産部からも、同席をお願いできないでしょうか(はいはい、前捌きは文化部でやりますから、負担はかけませんよ。資料も大沼君に作らせますから、誰か顔は出してください)」
歴史に「もしも」は無いけれど、もし、西郷が
「俺はそんな報告を受けてない。今日、話を持ってきて3日後に予算なんか上げられるか」と、蹴飛ばしてもおかしくはない話であったが、かつて同じ職場で勤務していた西郷と富岡の絶妙な呼吸により、事前調整は円滑に終了した。
文化部に戻り、農林水産部との交渉結果を川内と相馬に報告した後、大沼は静かに姿を消した。細かい話を矢吹と確認しておく必要があった。残された相馬は、大沼に説教をすることもできず、机をコツコツと叩くしかなかった。
財政部の反応は早く、翌日には財政部長、次長、公有資産課長、農林水産部長、農林水産部の各課長、文化部長など、錚々たるメンバーが財政部会議室に参集した。
文化部長が趣旨説明、大沼が詳細の説明を行い、財政部長の声を待つ。
「まぁ、予算は上げるしか無い、うちは認めるだけの話だね。ただし、市長が聞いてないとすれば、早く耳に入れるだけでしょ。まさか、いきなり市長査定で話をするわけにはいかないでしょうから。
で、予算を上げるのは、どちらの部ですか。今は文化部が説明しましたけど、まさか文化部でワイナリーはやらないですよね。お酒について文化という側面も無いとはと言えないけど、農業支援、ワイナリーの支援となるとねぇ。今後の展開も考えたら、農林水産部がベターじゃないでしょうか。で、何課が受けるのですか」
農林水産部の各課長が、顔を見合わせた後、スローモーションのように、ゆっくりと、全員の顔が、農業振興課長の方へと向いた。
「6次産業化という趣旨で、農業振興課で予算を計上したいと思います」
農業振興課長の回答に、全員がうなずくように視線を戻した。文化部長が続けた。
「市長への説明は、マラソン大会協賛金の報告もあるので、引き続き文化部で行いますよ。その時に、農林水産部からも誰か同席してくれればという感じで、どうですかね」
円滑な流れで、「予算計上」「所管課」「市長説明」と、大きな課題について方向性を出し、その後、実務上の課題を整理して会議は終了した(なお、西郷には説明していないことであったが、財政部、農業振興課長とは、一次予選を通過した段階で「予算計上を行うとすれば農業振興課」ということを事前調整していたのである)
誰もが嫌がる市長説明を文化部長が引き受けたことで、その後の意見交換はスムーズであった。ただ、大沼は会議の記録をとりながら考えていた(財政部長への説明もそうだけど、市長への説明も俺が行うことになるのか。農政課で所管している土地の話で、農業振興課で計上する予算の説明を、都市交流課が行うというのも、何とも不思議な話ですが、俺は役所の何でも屋ですから構いませんけどね)
後日行われた市長説明には、川内、大沼、そして矢吹の3人が入室した。
市長に対し、川内が趣旨説明をしただけで、市長が指示を出した。
「そうですか、どんどん進めてください」
資料は一瞥もされず、大沼が一言も発することなく、20分間を予定していた説明時間のうち18分を残し、市長説明は終了した。
五友物産という黒船が4月に訪れてから約3ケ月、雲を掴むような、夢のような企画が元宮市の正式な事業として動き出すことが、確定した瞬間であった。
そして、農業振興課が予算計上、今後の事業企画を行うこととなり、大沼は五友物産との担当窓口としての役割を終えることとなった。
しかし、事あるごとに矢吹から
「大沼君、人に予算や業務を投げておいて、逃げるってことはしないよね」
という言葉をかけられながら、後方支援的に事業と関係を続けることになる。なお、この後の矢吹の労苦は、言葉では言い尽くせないものだったようであるが、本稿では割愛させていただく。
12 幻の果樹園
矢吹、大沼、中島、松川の4人で、ワイン用の葡萄を生産してくれそうな農家に協力を依頼するため、農家巡りをしていた車内で、中島が矢吹に切り出した。
「「セイノ」と読むのか「キヨノ」と読むのかわからないのですが、市内の飯坂町にある清野果樹園というところに、電話をしてもつながらないのです。何か情報はないですか」
「そういう名前の果樹農家は、聞いたことないな」
「そうですか、また、穂積町に、橋本葡萄園があるはずなのですが、こちらも電話がつながらないのです」
「橋本葡萄園は、震災の影響を受けて廃業したから無理ですね」
「そうですか、どちらも葡萄を育成していた実績があるようなので、協力をお願いしたいと考えたのですが残念です」
その後、別な話題に移ったが、市役所に戻った大沼は、自席に戻る前に福祉課に立ち寄り、課長に尋ねた。
「課長の実家は、飯坂で果樹園を経営していますか。最近、電話をつながらなくしたとか」
「何であんた人の実家のことを知っているの。最近、怪しい営業からの電話が続いていたから、確かに電話番号を変更したよ。まさか、怪しい営業マンは大沼君だったのか」
大沼は事情を説明し、清野果樹園の電話番号を入手することに成功した。
福祉課長とは、フェイスブックで繋がっており、福祉課長が投稿した「実家の果樹園から送られてきた果物」という投稿が記憶の隅にあったこと、清野という珍しい苗字であることが幸いした。ちなみに読み方はキヨノである。
自席に戻った大沼は、穂積支所の職員に電話をする。
「穂積町にあった、橋本葡萄園って廃業したらしいけど、社長はまだ町内に住んでいるよね。社長に連絡して俺が話をしたい旨を伝えてくれる。橋本社長にとっても悪い話じゃないと思うので、連絡をとりたいのよ」
その後、橋本社長に事業の概要を説明し、あらためて五友物産とともに訪問したい旨を伝える。
この清野、橋本の二人は、後にワイン用葡萄の栽培農家として、全面的に協力してくれる強い味方となってくれた。
13 所内調整
(1) 公有資産課
中島から土地の賃借料について打診を受けた際に、大沼は土地の取得金額である4000万円に行政財産使用料の基準3%を乗した120万円が、一つの目安になる旨を回答していた。
ところが、9月の補正予算成立後に土地賃貸借の窓口となる公有資産課が中島に示した額は400万円を超えていたとのことである。
「大沼さん、以前確認した金額が、非公式の試算ということは承知していますが、3倍以上になるというのは、あまりに違いすぎて、社内で説明できないです。事業が御破算になるかもしれません」
という、中島からクレームに近い問い合わせを受け、大沼は公有資産課に走った。
「俺も高くしたいわけじゃないけど、資産税課に評価額を照会したら、平田地区の宅地は平米単価6千円という回答だったのさ。そこから計算すると全体で1億五千万円の評価で、その3%をいただかないと、しょうがないのよ」
「ちょっと待ってください。5分後にもう1回来ます」
室を出て、まっすぐ資産税課に行き、土地評価の担当者に確認をする。
「固定資産税を評価する場合、登記地目が宅地でも荒地であれば価値が下がるよね。多分、その基準表みたいなのがあると思うのだけど、今すぐコピーを2枚ください。大丈夫、外部には出さないから」
そして、そのまま、公有資産課に戻る。
「私が申し上げるのも何ですが、平米単価6千円というのは、平田地区の造成済みの綺麗な宅地の評価です。この基準表のとおり、大規模造成が必要な場合は、その3割評価です。実際にあの秘境を見たでしょう。再計算してください」
「上司にも相手にも、この金額で説明しているから、今更、再計算なんてできないです」
「相手は安くなる分には問題にしないはずです。何でしたら、五友物産にも課長にも私から説明します。逆に「高すぎる」という疑問が出され、直接市長に評価額の確認が入ったら、それこそ答えに窮して、説明できなくなりますよ。
前の数字をA案、基準表に基づくB案のような併記でも良いですから、資料を修正して、再度上に説明した方が無難じゃないですか。
ただ、誤解しないで欲しいのですが、私は賃借料を安くして欲しいという話をしているのではないのです(ここからが、ペテン師大沼の真骨頂)
適正な価格を示さないことで、後でトラブルになることを心配しています。
公有資産課さんが間違えたわけではない、ということは十分に理解しています。
資産税課の土地評価が雑で、不適切な回答だった。一度はその金額を採用したものの、担当者さんは現場を見たことがあるので、価格に疑問を感じて詳細を確認したら、この基準表を入手することができ、価格を修正すべきと考えた、という展開でいかがですか」
担当者に責めが及ばず、むしろ手柄にしてしまう策を一瞬のうちに紡ぎだす。
その後、公有資産課からは話が無かったが、中島からは
「大沼さん、何をしたのですか。賃借料が年間110万円に下がりました」
との電話を受けた。
(2) 観光課
活用できそうな支援制度について検討する中で「ふくしま産業復興特区」について活用の可能性を確認するため、大沼は観光課に向かった。
この復興特区制度は「製造業」「農業」「観光」の分野で、復興に資する「事業分野と地域」を市町村が定めておくことにより、民間企業の事業が復興支援事業として認定された際に、固定資産税を5年間免除することができるという、税優遇制度である。
大沼は観光分野の復興特区の計画が策定中であること知っていたので、担当者の元に赴き、対象地域について確認した。これは、今後の元宮市における観光振興のために、シティプロモーション係長として知っておくべき情報とも言えた。
「平田地区の板橋温泉北側にある周辺地域も特区の対象として入っているようですね、それなら良いのです。いや、大した話ではないのですが、製造業の分野で計画を策定した際に、地域を限定しすぎたせいで、指定されてない地域の事業所の方々に対する説明で苦慮したらしいのです。特区の区域を考える時に、現状の点とか線で考えては駄目なのですよね。少なくとも5年、10年のスパンを踏まえて、面で網をかけておかないと。観光課さんはさすがですね」
平田町の市有地が、対象地域として指定されていることを確認するとともに、復興特区制度の課題について助言をしておいた。
14 開発許可
中島からは五友物産の事業スケジュールとして
「平成26年度中の事業着手が必須」
ということは最初に示されていたが、ワイナリーが具体化するにしたがい
「27年4月には施設建設に着工し、半年後の10月末に竣工、11月に製造を開始し、翌年の3月には初出荷」
という、更に具体的で、とんでもないスケジュールが示された。
しかし、平成26年12月、開発許可制度が大きな壁となり、行く手を塞いだ。五友物産が施設建設に向けて開発指導課に相談をしたところ
「正式な申請を受けて審査を行いますが、開発許可の審査として、最短でも半年は必要になります。書類や計画に不備があれば、さらに時間を要しますので、いつ許可できるかは申し上げられません」
という内容の回答しか出ないとのことである。
話が進展しない状況で矢吹が
「大沼君、五友物産と開発指導課の打ち合わせに同席して何としてくれる」
という話を振ってきた。
今から開発許可の申請をして、審査期間を半分に短縮できたとしても27年4月着工、10月竣工がギリギリである。普通に審査をしたら、完全に間に合わない。この時大沼は矢吹に対しての言葉を飲み込んだ(何とかしてくれるって言うけど、素人がなんともできるか)
開発行政の専門家と建設工事の専門家による打ち合わせに、何の資格も無いド素人が顔を出して何ができるというのか。しかし、大沼としても、奇跡的な積み上げを重ねて事業が進んでいるのに、御破算にはしたくない。打ち合わせに同席する前に、開発指導課を訪問し、事業の経緯を説明して、
「行き違いがあれば大問題になりますので、調整できる部分は無いですか」
と、確認したものの、
「部長に言われようが市長に言われようが、審査は法に基づき適正に行う。期間の短縮等は考えられない」
と、職務に忠実な回答を受けるだけであった。役人としては当然のことだが素晴らしい。また、五友物産の建設担当者にも状況を確認し、スケジュールや図面などの資料を入手し、いくつかの課題を整理してから、打ち合わせに向かう。
五友物産からは、6月、土砂振りの中での現地視察の際に、
「開発許可が必要になると思いますが、期間的にはどのくらいが想定されますか」
と、質問した担当者の姿も見えた。大沼は視線を合わせることができない。
打ち合わせ会場にて
「申請から許可まで最短でいきたい。できれば3ケ月で終わらせたい。どうすれば」
「無理、無理、無理、無理、話にならない」
双方とも譲れない戦いが繰り返される。緊張感で空気がピリピリとする中、大沼はちょっとした疑問を提示してみた。
「部外者の立場で恐縮ですが、2.5haの土地全体を造成しようとするから開発許可が必要になります。しかし、法や基準に拠れば1ha未満の土地造成で、盛土や切土の高さが1m未満という条件なら、開発行為に当たりませんから、そもそも申請も許可も要らないのではないですか。
現状の計画図面では、東側の半分以上が駐車場のようですけど、東側には駐車場を造らず現状のままとして、西側の1ha未満の敷地で建物、駐車場を設計することは、可能でしょうか」
五友物産の担当者の目が輝いた。
「うちは、1haあればワイナリーの機能は十分です。残りの敷地利用について、あらためて検討する必要がありますが、設計変更は問題ないです」
「確かに法令上、1ha未満であれば開発許可には該当しませんから、申請は不要です。ただ、任意にはなりますが、それなりに大きな造成になりますので、進捗状況については適宜、教えてください」
真面目な職員にはとても口に出すことはできない、しかし、大沼が得意とする「法は守るものではなく、利用するもの理論」により、課題が一瞬のうちに氷解したのである。
15 観光復興特区
伊達がニヤニヤしながら「矢吹係長からです」と、大沼に電話をつなぐ。矢吹からの電話のほとんどは、大沼が困るような「迷惑な話」ばかりであり、伊達などの係員もそのことを察知するようになり、大沼の慌てる姿を楽しむようになってきていた。
「観光課が、ワイナリーは製造業だから復興特区の対象外と言うのよ。何とかしてくれる」
観光課の担当によると、課長補佐が頑なに反対しているらしい。状況打破に向けて、大沼が課長補佐に働きかけるも取り付く島がない。
「すぐには難しい状況です。が、何とかします」
矢吹に時間を要する旨を回答すると、広野商工観光部次長に相談した。
「ちょっと耳にしたのですが、五友物産と観光課の間で、復興特区制度について、意見の相違があるらしいですね。私の考えで恐縮ですが、観光課の判断は少し危険だと感じます」
ふくしま産業復興特区は「製造業」「農業」「観光」の三分野において、それぞれの計画が策定されているが、計画策定の時期が異なり、製造業に比較して、観光業は数年遅れて計画が策定されたことから、担当者とは言え実務の経験が乏しい状況であった。
そして、復興特区制度について、大沼はシティプロモーションの一環として、当初から情報収集していた経過があり、元宮市役所で、最も制度に詳しい職員の一人であると自負していた。
五友物産と観光課の見解が一致しないまま時間が経過する中、大沼は安達商工観光部長からの呼び出しを受けた。
「大沼君に聞くのは何だけど、五友物産にも特区にも詳しいと次長から聞いたので、教えて欲しい。五友物産のワイナリーは特区事業に該当するかい」
「現時点では、製造部門しかないようですが、将来的に販売所を作る計画があり、見学ツアーも受け入れる、観光バス用の駐車場も整備していますので、特区で言うところの観光施設に該当するものと考えられます。将来的な計画が実現する見込みであれば、その分野の特区に該当する事業として認定してきたという他の計画での実績があります。
また、民間事業者を通じて、復興支援に資するための制度ですので、国・県ともに、広く事業を認める方向で取り組んでいるようです。特区の事業として認定した場合に、批判を受けることは考えられませんが、このまま揉めれば国・県からも否定的な指導を受ける可能性があると考えます」
大沼は最終手段としては安達に特攻をかけるつもりであったが、空気の読める広野が、助言をしてくれていたのである。
16 財源確保
諸問題がほぼ解決したこともあり、ワイナリー事業を本格的に連携して展開していくため、五友物産と元宮市において、平成27年2月20日に「復興に係る包括連携協定」を締結することになった。
五友物産本社において協定締結式が行われていた頃、大沼は市役所2階の政策企画課に立ち寄り、係長に声をかけた。
「大丈夫?」
特に用事が無いときに、大沼の挨拶代わりに使う言葉である。面白いもので、このように声をかけると、多くの職員が堰を切ったように、困りごとや、悩みごとを話し始めるので、普段なら聞くことができない情報を収集することができるのである。
「大丈夫な訳ないでしょう。国の地方創生交付金、あれを預けられましたけど、今から新規事業を企画する所属なんか有りませんから、途方に暮れていますよ」
地方経済の活性化とか格差の是正とかのお題目をつけながら「実質的には選挙対策」のような意味合いで、唐突に国から地方自治体に予算が配分されることがある。それが今回は「地方創生交付金」という名称であり、相当な予算額になることは大沼も承知していた。
「国からは『地方創生』なので、既存事業の財源に充当しては駄目で、新規事業に限る、との条件を出されていますけど、億単位の事業をそんなポンポン企画できる課なんかあるはずないじゃないですか。大沼さん、シティプロモーションで何か事業を企画してください。助けてくださいよ」
「俺のところは無理だけど、農業振興課に相談すると良いと思うよ。今日は課長も係長も東京出張で不在だけど、五友物産と連携協定を結んで、ワイナリーを核とした6次産業化事業を新規で始めるから、ワイン用葡萄の産地形成とか、事業を企画できるかもしれない」
「五友物産って、大沼さんが春先に動いていた話ですか。あれ、実現するのですか」
「うん、今頃、市長と向こうの代表が東京の本社で、連携協定を締結しているはずです」
「それで、今日、市長も東京出張ですか。で、大沼さんは東京に行かなくて良いのですか」
「最初に話を受けましたが、農林水産部の事業ですから俺は関係ないです。ワイナリーは完全な新規事業だから、地方創生交付金との相性は良いと思いますよ」
「わかりました。明日、相談してみます。で、大沼さんは何の用事できたのですか」
「地方創生交付金で悩んでいると聞いたから、情報提供に来たのです」
「また、適当なことばかり言って。何か用事がある訳では無いのですね」
「うん、ちょっと通りかかっただけです。またきます」
矢吹から『また俺のところに仕事を押し付けて』と、叱られるかもしれないと考えながら大沼は職場に戻った。
復興支援に係る包括連携協定が締結された直後の元宮市議会では、議員からの質問に沸いた。
『平成27年3月 元宮市議会 市長答弁(抜粋)』
「五友物産は、東日本大震災以降、被災3県においてさまざまな復興活動を行っておられます。昨年4月25日に同社のプロジェクトリーダーが、本市においでになりまして、本市において協力をされたいという申し入れがございました。私が、お話をお受けいたしまして、早速、担当部の農林水産部に協議をするように指示いたしまして、その間、極めて身内のことで何でございますが、積極的に相談に乗って今日に至ったものと承知しております。
具体的になりましたのは、復興支援として、本県の農業復興をテーマとしているということでございますので、本市の生産者等の意見を直接伺う機会を設け、その中継ぎもいたしまして、6次産業化プロジェクトとしてワイナリーの建設を纏め上げた次第でございます。
そして、本年2月20日の包括連携協定締結に至った次第でございますが、この間のエピソードを若干申し上げますと、最初の申し入れに前後しまして、マラソン大会にも多大なご協力もいただきました」
この後、矢吹は官民連携・復興支援事業の旗手、元宮市役所を代表する「スーパー公務員」として、実務だけではなくメディア等においても活躍の場を広げていくことになる。
大沼は懲罰的な人事異動により係長職を解かれ僻地の支所勤務となった。
エピローグ
2020年秋、ワイナリーの竣工から5年を経過し、大沼、矢吹、中島そして松川も、元宮ワイナリーとは関係がない部署で業務に励んでいた。元宮市長も代わっていた。
ある日、大沼は地元新聞の記事で、国内のコンテストで、元宮ワイナリーが「最優秀賞」を獲得したとの記事を見つけ(これは、お祝いとして、買いにいくしかないな)と、笑みを浮かべながら、農家巡りをしていた頃に、中島から聞いた話を思い出した。
「林檎農家の泉崎さんから宿題を出されてしまいました。『うちのリンゴは日本一美味い。これでお酒を造るからには、日本一美味しいお酒を造って欲しい』とのことでした」
「日本一ですか、ハードルが高いですね」
「それで、買い言葉ということでは無いのですが、こう応えました。『日本一を獲るのは最低限のミッションです。僕らは世界一のお酒を目指します』と」
「ハードルが更に上がっているじゃないですか」
冗談のような話を聞いてから6年、中島たちから事業を引き継いだ方々が、泉崎さんとの約束を果たしたことになる。奇跡のような経過で誕生した小さなワイナリーが、新しい奇跡を積み上げたことは、嬉しすぎる話であった。
ワイナリーから帰宅した大沼は「日本ワインの夜明け ~葡萄酒造りを拓く~」という書籍を開きながら、明治初期の開拓者たちに想いを馳せた。約150年前に山梨県を中心に、ワインの醸造に心血を注ぎ、その黎明期を支え、艱難辛苦を乗り越えて「日本ワイン」というブランドを確立させた方々がいた。
そして150年前の元宮市では、大規模な開拓事業に挑戦し、市勢発展の礎を築いた方々がいた。そのような方々に敬意と感謝を抱きながら、シードルを口に含み、林檎の芳醇な香りと旨味が凝縮された官能的な味を愉しむ。
飲みながら大沼は考える、100年先、150年先にも「元宮ワイナリー」が存続していて欲しい。一消費者として、第1号ファンとして生涯、応援を続けよう。
ワイナリーが誕生する前の、ほんの僅かな期間ではあるけれど、事業に携わった人間として、生きている限り応援を続けよう。自分には小さなことしかできないけれど、魂は寄り添い続けよう。
まずは、ワイナリーの誕生前の話について、自分が知ることを記録しておこうか。
こうして「元宮ワイナリー黎明奇譚」が誕生した。