【創作】工場長 加藤 清彦
黒田製作所物語をお読みいただいた方へのアフターサービスです。
(以下、本文)
料亭というほど高級ではないが、居酒屋にはない落ち着きと格式がある「割烹 糸」の個室で、柳沼と加藤が向い合せに座っていた。加藤は生ビールを一気に半分近く飲み干すと、ジョッキをドン!とテーブルに置き、口火を切った。
「柳沼さん、最初に面白くない話を、1回だけさせていただけませんか。酔ってからする話じゃないので、少しだけ話をしたら終わりにしますから。よろしいですか、ありがとうございます」
加藤はもう一度ジョッキを呷り、空にした
「大恩ある先代社長の娘というのはわかります。大株主の一人というのも、わかります。けど、です、けれど、です。会社を支えてきたのは、支えているのは、俺たち社員じゃないですか。俺たちがを汗かき、泣き泣き仕事して稼いでいるんですよ。
取引先の無茶に堪え、頭を下げ、体を張って、自分たちの給料どころか、会社の設備資金や役員、事務員の給料を稼ぎ出してきたじゃないですか。なのに、会社のことを知りもしない、現場を偶に冷やかしに来ていただけの女が、常務取締役ですって。柳沼さんと同格ですって、俺には納得できないです。俺には信じられないです。
先代社長の一番弟子として、30年以上もの間、会社を支えてきたのは柳沼さんじゃないですか。こう言っちゃあ何ですが、もっと給料の良い職場への引き抜きもあったのに断って、会社に居てくれたじゃないですか。俺だって、柳沼さんが居ると思えばこそ、この会社を辞めずにいた部分がありますよ。それは、いつか、柳沼社長の下で一緒に仕事をしたいという気持ちからです。
「技術の黒田」という名は、虎一社長から柳沼さんにバトンを渡されたんです。美和社長でもなければ、美希常務でも無いんです。
そして、俺はそのバトンを、そのバトンを受け取るのは俺だと願い、腕を磨いてきました。それなのに、トンビに油揚げじゃないですけど、いきなり横入りした美希常務に社長の椅子を取られたんでは、腕を磨いた甲斐がないです。
あの方、何がしたいのかわからないですけど、今から社長気取りで、溶接技術の基礎研修だ、ポリテクセンターだかポカリスェットだか知らないですけど、外部講師による実技講習だなんて、余計なお世話です。俺らは黒田虎一の直系なんですよ。あげくに今日は、高校生のインターン受入だなんて。利益にもならないようなことばかり現場に押し付けて、俺らの話は、聞きもしないで、やりたいようにやりやがって。
ここまで我慢してきましたけど、今度、「提案」なんてふざけたことを言いやがったら、工場長として、職人の代表として、美希常務の解任を要求します。あっちが虎の一族なら、こちとら「虎退治の加藤清正」の末裔ですよ」
「俺を慕ってくれること、会社のために怒ってくれること、有難い。礼を言う。お前だけだな、そう言ってくれるのは。感謝している」
柳沼は、穏やかな表情で頭を下げた後、追加のビールを注文した。
「加藤、お前が会社を好きなこと、大事にしたいと考えていること、よくわかる。俺も一緒だ。そして、美希常務もな。だから、俺は美希さんにお願いして常務に就任してもらった。
これからの黒田には、加藤工場長と美希常務の二人が必要だと考えている。お前が、美希常務に意見を言うのも良い、無理に仲良くしろとも言わない。ただ、一つだけ、心に留めて欲しいことがある。
『顧客第一主義』
お前が、お客さんのため考えていてくれるのか、その意見がお客さんのためになるのか、その精神(こころ)を、真ん中に置いていてくれれば、それでいい、お前らしくいてくれればいい」
追加のビールが運ばれ、会話が途切れる。二人が2杯目のビールを口にしてから、加藤が尋ねた。
「美希常務は、顧客第一主義を理解していると思いますか」
酔っていないはずの加藤の目が、少し虚ろになる。
「理解も何も、お嬢は、それしか考えていないだろう。顧客のためと思えばこそ、社員に嫌われる覚悟をして、皆に提案しているんだろう。あの腹のくくり方は、昔の師匠とそっくりだよ」
笑顔で懐かしむ柳沼とは対照的に、加藤は苦い表情を浮かべた。
「ビールは体が冷えますね、次は日本酒を頼んでもいいですか」
「みりんでも、構いやしないぜ。それとも群馬の酒を頼もうか」
地酒を味わいながら、穏やかに夜を重ねた。
【駄文の蛇足】
ということで、黒田製作所物語の「外伝」と申しますか、「没ネタ」です。最初の構想では、「美希常務vs加藤工場長」の場面を描く予定でしたが、没としました。
しかしながら、「加藤工場長」の出番を作りたく、本稿を上げた次第です。
本来であれば、ことごとく対立する「二人」を描くべきなのですが、次の「没理由」により、対立しない加藤の愚痴ヴァージョンでした。
【没の理由】
1 モデル企業に在籍している工場長への配慮
「架空の話」、「フィクション」と説明しても、「あれは、あの人の話ですか」みたいなことを言われることがありますので、工場長が「意地悪」・「社長と対立」という場面を残したくなかったのです。
2 創業者に焦点を合わせたい
最初の構想では、三代目で「抵抗勢力」「東日本大震災」「新工場」「台風19号」などの場面を想定していたのですが、創業者に展開を集中したくて割愛しました。
3 疾走感・テンポを優先
「美希vs加藤」を入れると、全体のリズムが悪くなることを懸念しました。ただ、割愛したため、「日本一の工場」「日本一の報告」などの和解の象徴の場面で、エッジが効かなくなったことが、失敗ではありました。
ということで、作者の力不足を丸投げしてしまい恐縮ですが、幻となった「美希常務vs加藤工場長」のヴィジョンを補正して、「黒田」をお楽しみいただければと存じます。