【駄文】流るる川
1年8ケ月note街で過ごしてきましたが、多くの去り行く方を見てきました。
「自由」がnote街の最大の魅力なので、去る人を止めようとは考えず、その選択を応援したいと思いますが、寂しいと感じるのは、季節が本格的な冬を迎えたからでしょうか。
リアルの世界でも、親しく交流していたのに、次第に疎遠になる方もいますので、同じことのはずなのですが、何故か心情的にはnote街のダメージが多いような気もします。
そんなとき、自分の心に言い聞かせるのは、
「生きていてくれれば、それでいいよ」
という言葉です。これは、もともとは自分の娘たちに対して生まれた感情になります。
妻と離婚した時、
「夫は辞めるけど、父は辞めない」
と自分に誓い、子ども達との定期的な面会と経済的なサポートは継続していましたが、ある日、子どもたちの母親から
「県外に転居するので、もう、面会はさせられません」
とのメールが届きました。
「県外だろうと面会に行く」
ということを伝えましたが、応じてもらえず、転居先も教えてもらえず、一方的に繋がりを断ち切られました。その時に考えたのが
「子どもたちが、生きていてくれればそれで良い」
ということでした。それから数ケ月、養育費を銀行口座に振込むだけの日々が続き、子どもたちの写真さえメールで送られてはきませんでした。
その後、転居先を教えてもらうことができ、上の娘が好きだった「かいけつゾロリ」が掲載されている「コミックボンボン」に、お菓子と手紙を添えて送るようにしました。
もちろん、面会ができない間に部屋に溜まっていたコミックボンボンも纏めて送付しました。子どもたちの母親からは「余計なものを送るな」とのメールが何度か入りましたが。
その後、子どもたちが郡山に戻ることになり、面会は復活しましたが、月3回(うち1回は宿泊)という、離婚調停時の約束は反故にされ、面会は月1回程度になりました。子どもたちが希望すれば、それ以外にも時間を作るようにしていましたが、子どもたちが小学生の時に私が「東京勤務」を命ぜられ、単身東京生活をおくることになり、面会は月1回というのが、私にとっても都合がいい状況になりました。もちろん、毎月1回は東京から郡山に戻り、子どもたちとの面会を継続しました。
東京生活が満1年になろうとしている2011年3月11日に「東日本大震災」が発生し、その直後、ショートメールで子どもたちの安否を確認することができましたので、
「子どもたちが、生きていてくれた。後はもう何も望みません」
と、神様に感謝しました。
それから10年が経過し、子どもたちは郡山を離れて生活しています。
上の子が京都にいる頃は、年に数回京都を訪問し、下の子が大学に進学にした年は、毎月のように栃木を訪問したりしていましたが、昨年からのコロナ禍により、二人とも、会うことがかなり難しくなりました。
「生きていてくれれば、それでいいよ」
顔が見れなくても、もう会うことができなくても、私は子どもたちの父親でいますし、子どもたちを愛しているのですから、何ら問題は無いことになります。
と、言い聞かせるものの、何とかこの年末年始には顔を見たいものです。
note街を去る方、更新が極端に少なくなる方、寂しい気持ちはありますが、その選択を応援したいと思います。そして
「生きていてくれれば、それでいいよ」
と思うことにしています。できれば、仲良くしていただいた方が、note街に戻ってきた時に
「あの人、まだいるよ。相変わらず、くだらない話を投稿しているよ」
と、呆れてくれる日を楽しみに待ちたいと考えています。
川の水は流れていくのが自然で、流れるからこそ、清くあるのかもしれないけれど、私のように、行き場の無い水たまりのように一箇所にあり続けるのも、ちょっと面白いかな。と考えています。
清らかで無いことを受け入れつつ、干上がらないように気をつけます。
と、理屈では考えるのですが、本音を言えば、
「みんな、幸せになって欲しい」
と考えています。子どもたちも、noteを去った方も、今、この記事を読んでいる方も、それ以外の方も生きて幸せに暮らして欲しいと願っています。
西野さん、あの言葉をお借りします。
「幸せだったと思う」ですって。過去形にしないで、ちゃんと、もっと幸せになりましょう。私たちはまだ生きているんですから、ここからでも何かを生み出せると思いませんか。
そのために、自分は何ができるのか、何をしなければならないのか。ハードルは高いかもだけど、上手くいく保証はないけれど。
「大事なことは、これからどうしていくかですかね」
あ、西野さんというのは、こちらの本に収録している「題名のない物語」の登場人物です。去年の12月3日には、まだ、西野は存在していませんでした。私自身はnoteを去るかどうかを思案して、12月1日から4日まで投稿をお休みしていました。
結果、水たまりにいたことで「恋する旅人」と「黒田製作所物語」を生み出すことができました。上手くできたとは言えませんが、これからも、川の流れに置いていかれた、水たまりであり続けたいと考えています。
仲良くしてくださるようお願いします。