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【再掲・全文・創作】 題名のない物語
都内の企業に勤務する木元は同じ会社の新入社員 西野からアプローチらしき行動を受けるけれど、踏み込むことができず、恋まで届かない。
惹かれつつ、ブレーキを踏み、迷いながら歩みを進める、不器用な二人のお話です。
【完投の御礼として、一気読み用、印刷用に期間限定で掲載します】
第1話 海路
セイレーン。まさかこんな場末のスナックで、ギリシャ神話の怪物を想うとは考えてもいなかった。しかし、彼女の歌声は、あまりに魅惑的で、異世界へと誘う香りに包まれていた。
歌い終えて、数人の聴衆に頭を下げると、隣の席に戻ってくる。
「いかがでした」
いたずらっ子のような笑みで尋ねられた。薄い水割りを一口飲んでから応える。
「語彙力が少なくて申し訳ない。素敵だったという言葉しか出ないです」
「良かった、安心した」
そう言うと正面に向き直り、ビールを口元に寄せる。無意識に木元の視線が口元に向かう。慌てて視線をカラオケのリモコンに戻す。
「次の曲は何にしますか」
「1曲だけで十分、というか、いつも1曲だけ歌うことにしているのです」
(そういうものですか)彼女がそういう流儀なのであれば、それに従おう。親しい仲でも無いのに「もっと聞きたい」と求めることもできない。
「歌わないのですか」
「爺さんの遺言で、酒の席での歌は駄目なのです。『お前の歌は酒を不味くする』と」
西野は何も言わずに頷くと、またビールを口にした。木元の持ちネタ「遺言ジョーク」は全く響かなかった。
「西野さんの歌は、お金を取れるレベルでしたね」
「とても、とても」
謙遜はしているが、目元が優しくなる。
他愛も無い会話が続く、家族のことや、ドラマや最近読んだ本のこと。
同じ会社ではあるもの、これまでは交流が無く、一つ一つの話が新鮮だった。今日は、それぞれが残業をしていたところ、同じような時間に終了したので、流れで一緒に食事をとり、西野から「歌いたい」とのリクエストを受けて、スナックへと来た二人である。
「今日は、素敵な歌が聴けて良かったです。ありがとうございました」
木元は目で「店を出ましょう」と伝え、席を立つ。
「お会計は」
「済ませてあります。歌のお礼に、ここは出させてください」
外に出ると12月の寒気が頬を叩く。出口で西野の姿を確認し、駅に向かって足を踏み出す。お互いに無言のまま駅に着いたところで、西野が頭を下げる。
「今日は御馳走様でした、また、会社で」
木元は笑顔で、軽く右手を上げて、別れの挨拶とする。
そのまま踵を返す。連絡先は交換していない、次の約束もしていない。
生き延びた奴よりも、セイレーンの歌に溺れた船乗りの方が幸福だったのかも知れない。木元はそんなことを考えながら自宅に向かった。
第2話 交差路
ドラマや漫画では、女性が他の社員にお茶を入れる場面があるが、木元たちの会社では、お茶はセルフサービスであり、それぞれが好きなタイミングで煎れて飲む。いつからこのような習慣なのかは確認していないが、嫌いじゃないと考えている。
職場で飲むのは、安いインスタントコーヒー。蓋で粉の量を調整してからカップに入れ、お湯を注ぐ。チープな香りがこの職場によく似合う。
木元が振り返ると、西野が立っていた。軽く会釈して横を通り抜けようとしたところを遮られる。
「メモは見てくれましたか」
2~3日前に、朝一で机に置いてあった小袋のことを思い出す。中にはお菓子と西野からのお礼のコメントとline IDが記載されたメモが入っていた。
「もちろん見ました。お菓子、ありがとうございました」
「じゃぁ、どうして連絡してくれないのですか」
「lineアプリを入れてないのです」
特に必要性を感じないので、lineを使ったことがなかった。
「携帯番号の方がよいですか」
「いや、後でアプリを入れて、lineします」
西野の怒りを帯びた緊張感が和らいだことを感じつつ、その場を去る。こんなところを、他の社員に見られたら何を言われるかわからない。
自席に戻った木元は、顔に熱を感じ、少し落ち着かない気分になる。今は仕事に集中しなくては。気持ちをリセットするためコーヒーを口に流しこむ、少し苦い。引き出しからお菓子を取り出し、一緒に置いてあったメモを財布に移す。今日は持ち帰ることにしよう。
自宅でネクタイを外しながら「返答しないのは、社会人として良くない対応だったか」と、反省する。しかし、line アプリを入れていないことを説明に行くことも、職場のイントラで個人的な連絡をすることにも抵抗を感じて、そのままにしてしまった。なんとなく、あの日の出来事を一夜のことにしておきたかった気持ちもある。
アプリを入れて、メッセージを送る。
「木元です。遅くなり申し訳ありません。アプリを入れました。お菓子ご馳走様でした」
すぐに返事が来る。
「木元さんlineの、最初の友達ですね」
続いて「嬉しい」と笑顔で語る兎のスタンプが届く。
そうかlineをすると友達になるのか。そういうことを知らないまま生活していたことが少し恥ずかしいけど、一つのミッションを終えたことに安堵する。
明日からは穏やかな日々に戻ることができると、この時は考えていた。
第3話 京橋
頻繁という感じではないものの、何度かlineでやりとりをした結果、京橋にある美術館を一緒に観覧することになった。ロビーで待ち合わせをして、ひととおり観覧した後、1階のカフェに入る。オーダーを済ませた直後に、木元は切り出した。
「直接話したいことがある、とのことでしたが、ここで聞いても大丈夫ですか」
西野が姿勢を正す動きに釣られて、木元も姿勢を整える。
「この前食事をした時は、すぐにお酒を飲んでしまったので、言えなくなりました。今更で申し訳ないのですが、4月に塚原課長に叱られていたときに、助けていただきありがとうございました」
静かに頭を下げる。
「(恋愛要素は無いと考えていましたが)そういうことですか。ご丁寧にありがとうございます。けど、頭は上げてください」
確かに、西野が理不尽な理由で塚原課長に叱責されていた時に、話を遮った覚えがあった。
「その時は、単純に「木元さん、急ぎの用事なのかしら」と考えて、その場を離れてしまいましたが、あれは、私を助けるためにしたのでは、と、後から気がついて、御礼を言わなくてはと、ずっと考えていました。ようやく言えて良かったです」
「西野さんのためというより、割と日常的なことです」
ケーキセットが運ばれてきて、少し話が中断する。木元が紅茶を口に運ぶ。
「木元さんにとっては普通のことかも知れませんが、入社したばかりで、毎日、緊張と不安だらけなのに、塚原課長に強く叱られて、「仕事を辞めます」と言う寸前でしたが、席に戻ったら他の方々から優しく声をかけていただき、思いとどまることができました。それで、時々、塚原課長と木元さんのことを見ていたら、私の時だけじゃなくて、木元さんがちょくちょく課長の邪魔をしているのが可笑しくて、真相を聞きたいと思ったのです。あれは、塚原課長を護るために邪魔をしているのですか」
漫画「ガラスの仮面」の月影先生の姿が浮かぶ『マヤ、恐ろしい子』
まぁ、古株の職員は知っている話なので、否定することもない。
「そのとおりです。塚原課長が暴走しないように、話に水を差すことがあります。課長も、なんとなく気づいていて、そのことを受け入れているようです。職場の様式美みたいなものなので、気にしないでください。ですが「ありがとう」と言われることは、正直嬉しいです。こちらこそ、ありがとうございます」
「あぁして課長と職場を護っているのですね。確かめることができて嬉しいです」
得意気な表情を浮かべる。名探偵風に決めの台詞を言ってもよさそうなところであるが、構わずにケーキに手をつけ始める。
(課長のギャーギャーという音を聞かされるのが嫌で邪魔をしている面もありますから、一番救われているのは、自分自身です)ということは黙っておいた。
第4話 石橋
木元がケーキを食べ終えようとしているタイミングで
「この後は、どうしますか」
と聞かれて少し焦る。食べたら帰宅するつもりだったので、ノープランであった。
「直接、話をしたいことがある」とlineを受けたこと、休日の過ごし方の話題で、少し見栄もあり「美術館に行ったりしています」と答えた流れから、美術館で待ち合わせをして、一緒に時間を過ごしたけれど、木元の気持ちは、次のラーメン屋に向かっていた。今日、西野とラーメン屋に行く考えは全く無かった。
答えに窮する木元に、西野が提案する。
「カラオケでは駄目ですか。今日はお酒を飲んでないので、お爺さんの遺言は守られますよ」
正直に言えば、西野の歌は凄く聞きたい。あの日以降、ずっと聞きたいと考えていた。しかし、自分の下手な歌は聞かせたくない。それに、二人でカラオケとなると、他人から見たらデートしているようではないか。美術館であれば、偶々一緒になって、そのまま流れでお茶をした、と言い訳ができると考えていたが、カラオケでは難しい気がする。爺さんの遺言は正直、どうでも良い。
「カラオケはマズイでしょう。他の人に見られたら、説明しにくいです」
「友達同士でカラオケに行くことに、何か問題でも」
(デートと誤解される恐れがあります)
と、言いそうになり、言葉を飲み込む。誤解されたら解けばよいか。そのリスクよりも「デートみたいな気分」を楽しみたい自分、そして、何よりも「西野の歌を聞きたい自分」の気持ちが高揚してしまっている。言葉に詰まる。
「カラオケで、良いですね」
「いえ、今日はこのまま帰りましょう」
「嫌なのですか」
「とんでもない。正直、西野さんの歌を聞きたいです。ただ、今日は心の準備ができていないのです。石橋を叩かせてください」
西野が頸を傾げる。そんな姿を可愛いと思うし、もう少し一緒に居たいと思っていた。
「石橋を叩く、ですか。それは渡るつもりがある、と考えてよいですか」
穏やかな口調ではあるけれど、芯の強さを感じさせる。
「そういうことであれば、今日のところは、これで帰宅しても良いです。ただ、最初から「石橋」を理由に断るつもりで、この美術館に来たということについては、残念です」
アーティゾン美術館を石橋財団が運営していることを思い出した木元は、首と手を横に振りながら、声を絞りだした。
「とんでもない、そんなことは無いです」
なんで、石橋を叩くなんて言ってしまったのか。自分の至らなさを悔やんだ。
第5話 岐路
「ところで、この間、食事をした日のことですけど」
思わせぶりな表情で、西野が話を変える。
「偶然、帰りが同じようなタイミングになったと考えていませんか。まぁ、偶然、同じ日に残業になり、偶然、同じようなタイミングで仕事を終えて、偶然、食事をともにした、というのも運命的な感じで面白いですけど、そうなるように頑張った子がいた。というのもいじらしいと思いませんか」
言い終えて、屈託なく笑う。木元は白旗を上げることを決めた。
「偶然にしても、必然にしても、この御縁を大事にさせてください」
「そうですね。大事なことは、これからどうしていくかですかね。今日は帰るにしても」
回答が間違いではなかったことに安堵する。
「いいわけ、するみたいで何ですが、石橋にかけて断るつもりなんて全然なくて、単純にこの美術館が好きなのです。ここに来ると安心するので、一緒にいても緊張しないでいられるかな、ということでの選択です」
「モネの絵を見ていると、故郷の風景を思い出す。特に、水辺の風景や風を感じる絵が好きで、時々来ている。という話は、さっき聞きましたから大丈夫ですよ。石橋の話は、木元さんが、このまま帰ろうと、意地悪を言うことに対するお返しです。美術館の次を考えてくれていなかったことに、ガッカリしたので、少し意地悪してみました」
意地悪と言いつつも、怒っていない様子を見て「止まらなくては」という意識の壁が崩れていく。意地悪なんかしたくない、喜んで欲しい。
「今日の次をちゃんと考えて、後でlineします」
「わかりました。今日のところは、素直に帰ります」
納得した様子に、少し残念な気持ちが生まれる。
To be, or not to be, that is the question.
古い戯曲の台詞がよぎる。
あの主人公の選択は悲劇を生んだけれど、僕は間違えないで進むことができるのだろうか。もしかしたら、既に間違えた選択をしてしまったのではないか。
「ありがとうございます。そろそろ出ましょうか」
美術館を出るとイルミネーションが街を輝かせていた。
「送らなくて大丈夫です」
西野の言葉を受けて、木元は軽く頭を下げた後、この前と同じように、右手を軽く上げる。西野は軽く頭を下げると、クルリと背中を向け雑踏へと進む。
木元は軽くため息をついた。少し気が重い。が、まずは腹を満たすことにしよう。気を取り直して、いつものラーメン屋に向かって足を進めた。
第6話 中央大橋
いつもどおり「激辛ラーメン」を注文したものの、何だか味気ない。替玉を1個食したところで、会計をお願いする。店員が心配そうな、何か言いたそうな顔をする。
「すいません、美味しかったのですが、お昼に食べ過ぎたみたいです」
聞かれてもいないのに説明する。確かに、普段は替玉を2個、多い時は3個注文する男に、1個で帰ると言われたら、店としては心配になるのかもしれない。お客さんの体調のこととか、味のこととか、接客のこととか。
体調は問題ないけれど「恋の病」とか言うものに罹患しつつあるのかもしれない。そんなことを考えながら、墨田川まで歩く。
漫画「3月のライオン」の主人公と同じ構図で、中央大橋を見上げる。自分が物語の主人公になったような気持ちで、この橋を見上げる日が来るとは考えてもいなかった。
潮を含んだ風を鼻腔に感じながら、川沿いを海に向かって歩く。この物語にタイトルをつけるとすれば、どうしようか。良い考えが浮かばない。そもそも物語になるのかもわからない。
船が走る音が聞こえ、足を止める。川向うのタワーマンションの灯りを見ながら、少し考える。遅くならないタイミングで、lineをしなければ。
「御縁を大事にさせてください」
咄嗟に出た言葉としては、上出来だったのではないか。好意を寄せられているかも、という期待値は0では無かったけれど、そんなことはあり得ないと打ち消しながら美術館に向かった。良くも悪くも、少ない確率の方が正解だったらしい。そして、それを受け止めたいと感じる自分がいた。同時に抵抗感を抱く自分もいる。学生時代から、人間関係を深めることを避けてきたので、どうしてよいかわからない。
「まずは、正直に話をしよう」
この先、彼女の気持ちを受け止められるのか、自分がどうしたいのか、今は考えがまとまらないけれど、彼女に対する好意が恋なのかわからないけれど、ハッキリしていることが一つだけある。
「西野さんと付き合う気持ちはない」
そのことをちゃんと伝えよう。この高鳴りが消えるのは残念だけど、自分が自分でいるためには、曲げられないものがある。誤魔化したり隠したりしないで、正面から向き合おう。
寒さから耳に痛みを感じたところで、川上に向かい歩き始める。付き合うつもりは無いけれど、彼女の歌をもう一度聞きたいというのはわがままだろうか。それは、考えても無駄なこと。答えは彼女しか知らないのだから。自分は誠実であることを考えよう。
冷たいけれど、優しい風が吹き抜けていった。
第7話 日本橋
仕事帰りに日本橋にある和食の店で待ち合わせをして、個室で食事とお酒を嗜む。デザートが来る前の時間を利用して、木元が自分の思いを西野に伝え、西野は少し表情を曇らせる。
「少し整理させてください。まとめると、
1 来年度で退職して故郷に帰るつもりだから、それまでは誰とも交際したくない。
2 私には好意を抱いているけど、恋愛には進みたくない。
3 遠距離恋愛の結果、相手の人生を変えてしまうことは望まない。
この3点という感じでよろしいですか」
大きくため息をついて、お猪口を口にする。頬がほんのり赤身を帯びている。怒ってはいないようであるが、目が座る。
「木元さんのおっしゃることはわかりました。我儘ですねぇ。
念のため、1点確認させてください。
今、付き合っている女性がいるとか、故郷に待たせている女性がいるとかではないですね」
木元がうなずき、西野もうなずく。
「思わせぶりな態度で、誤解をさせてしまいましたが、私が木元さんを好きとか、お付き合いしたいとかは考えていないです、ごめんなさい。失礼な言い方かも知れませんけど、今まで周囲にいなかったタイプの男性なので興味がある、心理学的な意味での学術的興味という感じです。
また、私も転職で悩んでいるので、木元さんの気持ちがわかるような気がします。今の職場が嫌とかではなく、もともと大学で児童福祉を学んでいましたので、その世界で働きたいという想いが消えないのです。両親が「福祉業界は厳しい」ことを懸念したことや、希望する就職先に合格しなかったので、今の会社に入りました。けれど、自分の人生を考えると「これでいいのかな」という迷いがあります。福祉業界で働く友達の話を聞いて悔しくなることもあります。今の会社は自分でなくても回る。自分を生かせるのは福祉の世界では、と思うことがあります。
なので、木元さんが自分の人生を歩みたい、家族や地域に対して力を尽くすため、故郷に帰りたいという話を応援する気持ちになります」
再び、お猪口を口にする。木元が継ぎ足す。
「ただですねぇ、もったいないと思いませんか。好みとか価値観とかは、人それぞれですから、絶対的ではないと思いますが、私、自分のことを「割とイケてる」と考えています。「痛い女」かもですけど。
その子が、あなたにほんのりとアプローチをしている。「だが、断る」ということですか。
もっと上手にあしらっても良いんじゃないですか。明日のことなんか、将来のことなんかは誰にもわからない世界です。だとしたら、今、この娘を恋人にして一緒に楽しく過ごす。そういう選択もありじゃないですか。邪魔になったら捨てればとか、そういう選択肢はないのですか。
告白を、してもされてもいないうちから、断るなんて惜しくはないですか。まぁ、そういうことができなそうだから、私も興味を抱いたとも言えますか。
すいません。話を戻します。
正直にお話ししていただき、ありがとうございました。
ということで、私と木元さんは、お互いに恋愛対象とか、恋人とかを求めているのではなく、お友達ということですね。これからも友達として仲良くしてください。縁は大事にしてくれるのですよね」
木元はよくわからないまま頷き、お猪口を口にする。ようやく日本酒の旨味が染みるような気がした。
第8話 帰路
冬から春、夏にかけて、二人は一緒に出かけたり、食事をしたり同じ時を重ねた。友達がどういう存在なのかは曖昧なままであったが、木元なりのルールとして「二人きりの空間は避ける」、「身体的な接触はしない」ことにしていた。
しかし、会う度に心が惹かれていくことを自覚していた。故郷に帰ることを諦め、このまま西野と生活していく選択肢もあるのではないか。そんな迷いを抱きながら、故郷での就職活動を行うとき、天職という言葉の意味を考えていた。去年と今年と就職活動をして、地元企業に採用されないということは、天がそれを否定しているのかもしれない。叶わぬ願いなのかも知れない。
自分勝手な話になるけれど、西野が受け入れてくれるのなら、東京で暮らしていくことを真剣に考えるべきなのかも知れない。
三日後に、故郷にあるワイナリーから12月1日付けの採用通知が来ることを知らないまま、木元は今日の待ち合わせ場所に向かった。
葛西臨海水族館から駅に歩きながら、西野が話し始める。
「唐突に感じるかも知れませんが、こうして一緒に過ごすのは、今日で終わりにしていただけますか。勝手な女と思うかもですが………好きな人ができました。その人のために、木元さんとは逢わないようにしたいのです」
僕に拒否権はない。
けれど何だろう、この全身から力が抜けるような感覚は。こうして突然に世界の終わりが訪れるものなのだろうか。いや、多分、兆しはあったのだろう、西野さんはサインを送っていたのだろう。僕が気づかないせいで、辛い思いをさせたのかもしれない。彼女の心を何よりも大切にしなければならない。彼女の恋の邪魔にならないようにしよう。
「わかりました。これからはlineもしない方が良いですよね」
「そういう素直なところを、私は思いやりと理解していますけど、普通の子ならガッカリするところですからね。これからは気をつけた方が良いと思いますよ」
また、彼女を傷つけたかも知れない。せめて、この後の時間は選択を間違えないようにしなくては、残り僅かな時間だとしても、少しでも楽しい時間を重ねておきたい。けれど彼女に好きな男性がいることを考えると、これ以上、一緒に居てはいけない気もする。
「夕食はどうします。予約はしてないので、食べずに解散しても大丈夫です」
西野から怒りのオーラが立ち上がる。
「ちゃんと話を聞いていますか、「今日で終わりに」と言いました。今日はまだ終わらないですよ。余裕で、晩御飯を食べる時間がありますよね」
「はい、申し訳ありません」
「罰として、夕食の場所は私が指定します。良いですね」
財布に現金は数万円しか無いけれど、僕に拒否権はない。
「もちろんです。どんな高い店でもエスコートさせていただきましょう」
西野が少し前に歩き、振り返りながら店を指定する。
「素直で何よりです。では、今夜はリストランテ・ウエストフィールドにします」
「行ったことがない店ですね。フレンチ、それともイタリアンですか」
「ジャンルはこれから決めます。材料とお客様次第になりますから」
「無国籍料理という感じですか、珍しいですね」
「うーん、国籍は日本ですから、和食ベースかも知れません。決めるのはお客様です」
「何とも、不思議な店ですね。場所はどこになりますか」
「八丁堀です。このまま京葉線で行けます」
「八丁堀にそんな店がありましたか。全く知りませんでした。最近出来た店ですか」
西野が噴き出す。
「最近も何も、リストランテ・ウエストフィールド。本日オープン、本日閉店です。一夜限りのレストラン、チーフシェフは私、スーシェフは木元さんになります」
西=ウエスト、野=フィールドということですか。八丁堀ということは、僕の家ということなのでしょうか。けど、それを確認したら怒られそうな気がする。
「では、チーフシェフ、仕入れに同行していただいてよろしいですか」
西野はお道化た、大きなリアクションで頷いた。
第9話 夢路
木元のスマホが、軽い音を告げる。
(夜中だというのに)
寝足りない感覚がある。こんな時間にlineを送ってくる友人の顔が、一人だけ浮かぶ。
(もしかしたら、好きな男性とのデートの後か)
スルーしようかと考えたが、スマホを手にとる。
「紫蘇が枯れてしまったの」
一行だけ表示されていた。
(屋内のポット栽培とはいえ、紫蘇を枯らした。あんなに強いのに)
青空の下、紫蘇が溢れるように葉を実らせていた福島の風景を思う。生きにくい都会では、紫蘇を育てることさえ難しいのか。
「ハチミツとクローバー」という古い漫画の一場面が心に浮かんだ。
『実らなかった恋に意味はあるのだろうか』
答えはわからないけれど、僕らが睦ぶ日々は戻らないけれど、彼女に伝えたい。
「紫蘇は、君と一緒に暮らせて幸せだったと思う」
マナーモードにして、スマホを置く。
これ以上のlineはしたくない。想いが止まらなくなる。逢いたくなる気持ちが溢れてしまう。
逢いたい、だから今はただ眠りたい。夢で君に逢えることに期待したい。
もう、夢でしか逢えないけれど、いつも、いつまでも君の幸せを祈っている。
第10話 セレーノ
音楽が止まり、木元のスマホが、軽い音を告げる。
(休日の昼間なのに)
故郷に戻り3ケ月。lineを送ってくる友人は、今も一人しかいない。
スルーしようかと考えたが、スマホを手にとる。
「この家で間違いないですか」
一行だけ表示されていた、そして写真が1枚、添付されているのは、我が家の写真。
?
?
?
‼
慌てて階段を飛び降り、玄関のドアを開ける。言葉にならず、空を見上げる
セレーノ!
透き通るような青空、本当の空がそこにあった。
そして夢に見た、夢でしか逢えないはずの西野がいる。
嬉しくて、言葉にできない。
嬉しくて、言葉にできない。
スマホからはSEKAINO OWARI「RPG」が流れている。
「4月から郡山児童相談所への採用が決まり、郡山市に越してきましたので、ご挨拶に参りました。突然ですいません。
児童福祉の分野で働きたくて転職先を探していたら、偶然、木元さんの故郷で採用された。偶然、退職するのが同じ年度になったというのも運命的な感じですけど、そうなるように頑張った子がいた。というのもいじらしいと思いませんか」
言い終えて微笑む。この問いに対しては、自然に言葉が出てきた。
「生涯、あなたを大事にします」
西野を抱きしめる。懐かしい香りが心に満ちる。
胸のあたりで声が聞こえる。
「そうですね。大事なことは、これからどうしていくかですかね」
聞いてよいのか、聞くべきじゃないのか、わからないけど、確認しなくては。
「西野さんが好きだったという人は」
震える声で西野が応える。
「好きな男性は、ずっと木元さんだけです。こんないい女を東京に置いていく悪い人ですけど」
とんでもない馬鹿野郎がいたものだ。
木元は、もう一度天を見上げた。涙が頬を伝う。
空は青く澄み渡り、天は二人に微笑むような柔らかな光を降り注ぐ。
西野との物語は、まだプロローグだったらしい。ここで、ここから、一緒に創ろう。
「幸せな家族の物語」
僕らはもう、一人じゃない。
最終話 カーテンコール
木元・西野 「お読みいただきありがとうございました」
西野 「楽しんでいただけたら嬉しいです。あらためまして、主役の西野です。今日は作者のあとがきに代えて、木元さんと二人で、作品の振り返りをしたいと思います」
木元 「一応、突っ込みを入れますけど、主役は僕ですよね。出ずっぱりですし、心理描写や独り語りの場面もありますし」
西野 「出番が多いのは確かです。けど、木元さんは「狂言回し」として、舞台の進行役です。中心で話を展開させていたのは西野です。木元さんが脇を固めてくれたから、主役として気持ちよく踊れたことは感謝しています」
木元 「そういう風に言われると、そのとおりです。西野さんの活躍で話が展開してハッピーエンドを迎えました。ありがとうございました」
西野 「そういうことです。勉強しなおして採用試験を受け、両親を口説いての一人暮らし、アパート探し、大変だったんですから。涙ぐましい努力のハッピーエンドです」
木元 「はい。ありがとうございました。西野さんの児童福祉の話は、最終話へのギミックだったのですね。僕も途中で「世界の終わり」を仕込んでいましたけど」
西野 「転職と天職はギミックですけど、「セカオワ」は偶然ですよ」
木元 「セカオワの「RPG」が最終話に入る前提で、話が展開していたのでは。作者の好きな「最後は歌で終わる」ということではなかったのですか」
西野 「作者は「RPG」をまともに聞いたことがないまま、木元さんの「世界の終わり」がある稿を先に創り、最終話の原案を創りました。その時に「セレーノ」を意識して「青空」の描写を重ねたところで、はじめて「空は青く澄み渡り」という歌詞で始まる歌があることに気づいて検索したらしいです」
木元 「じゃぁ物語のイメージと「RPG」の世界観のマッチングは、全く偶然ですか」
西野 「はい。その他に「Hello,my friend」「言葉にできない」「夢で逢えたら」とか、いくつかの歌は意識して稿を創っていますけど、セカオワは最後の最後で入ったと聞きました」
木元 「そういうこともあるんですね」
西野 「付け加えると、最終話の展開そのものも、急に思いついたらしいです。その直前まで、どういうエンディングにするか思いつかなかったようです」
木元 「じゃぁ、もしかしたら、ハッピーエンドにならない可能性も」
西野 「そうですよ。それどころか途中で投げ出す可能性もあったようです。セイレーンで難破とか言い訳していましたから。で、最終話の原案を「創る」ことができ、「夢路」と、その前日譚である今回の物語を「繋げる」ことができたので、一旦完結して、読者の皆さんに「届ける」ことができたということのようです」
木元 「ここで、「つくる、つなげる、とどける」を入れてきましたか。急転直下の完結でしたね」
西野 「この物語は、もともとnoteで1話ずつゆっくりと投稿するはずが、何人かの方にコメントをいただいて、舞い上がってしまい、二人を早く幸せにしたくなったようです。
さて、あらためまして、急な完結となり、もの足りない部分もあると思いますが「題名のない物語」は一旦完結です」
木元 「さっきから、一旦完結と表現しているのが、少し気になりますね」
西野 「はい、良く気づきました。どういう意味でしょうね(´∀`*)ウフフ」
西野・木元 「カーテンコールの最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございます。作者に代わり、心からの御礼を申し上げます。いつの日か、皆様と再会できることを楽しみにしています」
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