映画『どうすればよかったか?』で描かれた統合失調症のリアル
映画『どうすればよかったか?』を観てきました。藤野知明監督が統合失調症になった姉とそれを世間から隠すように家に閉じ込め続けた家族の様子を記録したドキュメンタリー映画。
※以下ネタバレを含みます(ネタバレとかそういう映画でもない気はしますが)
医学部に進学した優秀な姉がある日支離滅裂なことを叫び出した。精神科に連れて行くも両親は「姉は健康だと言われた」と言って、明らかに様子のおかしい姉を病院から遠ざける。玄関には南京錠がかけられ、突然叫び出す姉を家に閉じ込めたまま奇妙な日常生活が何十年も続けられる……っていう様子を、ただ1人このままではいけないと思っている弟(監督)が「ホームビデオ」と称して記録し続けた映像。壮絶です。
統合失調症という病気は原因がまだよくわかっていないらしい。だけどなんか1人でブツブツ言いながら(あるいは叫びながら)町をウロウロしている人というのはどこにでもいて、子どものころから異様な迫力を放つ「変な人」として認知していた。そしてそういう病気があると知る前も知った後も、自分の対処としては基本的に「距離を取る」ということでしかありませんでした。それはあんまり深く考えずにそうしていた。
僕がこの映画を観に行こうと思ったのは、自分が入院した際のせん妄体験がきっかけです。
死にかけの状態で色々な薬もぶち込まれていた数週間、僕はまともな記憶がありません。なんにも記憶がないならまだよくて、明らかに奇妙な記憶がわんさかあるのです。
病院が巨大なホテルになっていたこと、自分のベッドに知らない人や化け猫が寝ていたこと、治療をしてくれる医師や看護師を殺人鬼だと信じ込んで逃げ出そうとしたこと。そういう今思えば夢や幻覚の類だとわかることが、当時は間違いなく現実だと確信していました。その感情が怖い。
入院初期、初めてZoomで家族と面会をしたとき、僕は嬉しくて元気にたくさんしゃべり、家族も喜んで話をしてくれたという記憶があります。後に妻に聞いたら「泥酔しているみたいにろれつが回ってなくて5分くらいで息切れしていて心配だった」というようなことを言われ、自分の認識とのあまりの違いに愕然としました。
自分が認知しているもの、自分が表現しているつもりのものが現実と食い違う。こんなに恐ろしいことはないし、その状態で自分は正常に理解して振る舞えていると自己認識してしまったら自分で自分のズレに気付くことなんて無理だ、と思いました。
町で見かける「変な人」もこうなっていたのかなあ、と思ったら複雑な気持ちになりました。
この映画で両親は姉のことをひたすら「普通の人」として扱おうとします。食事中にイカリングをビールの中にぶちこまれた母は、「お姉ちゃんがそうしたいんだからしょうがない」と言う。「家族で解決できる問題じゃない」と明らかに正論しか言っていない弟に対して、両親は「お姉ちゃんは大丈夫だ」と言い続ける。
これでいて両親とも医者で研究者だというのもすごい。弟が医師に見せようとした際、父親がその医師の論文を探して読み「あの医者はダメだ」と突っぱねるエピソードに問題の根深さを感じました。知識、プライド、世間体、色んなものが絡み合ってこの歪んだ家庭ができている。
そういうことが何十年も続くんですが、母の認知症をきっかけにして家庭が立ち行かなくなると、急に姉が精神病院に入院することになります。ここが一番びっくりしたんですが、「合う薬が見つかった」と数カ月後に退院してきたお姉さんは、それまでが嘘みたいにまともに会話できるようになってました。
よくなるんかい、と思ったし、よかったなあ、と思ったし、じゃあ今までなんだったんだよ、と思ったし、なんかすごいやるせない気持ちになった。その後も家族はもう取り戻せなくなった時間を引きずったまま淡々と日々を過ごしていく。それまで弟がいくら話しかけてもまともな返事もしなかった姉が、カメラに向かって何度もピースを見せてくれるようになる。そんなに明るいのに全然ハッピーな映像に見えてこないあたりが、まさしく真実のドキュメンタリーという感じで作りものではない凄みがありました。
母も姉も亡くなったあと、お父さんは「姉の人生はある意味充実していた」「失敗ではない」という言葉を残します。ウルトラマンでジャミラの死後にイデ隊員が言った「犠牲者はいつもこうだ。文句だけは美しいけれど」という言葉を思い出しました。
姉に見えていた世界はなんだったのか。姉が考えていたこと、感じていたことはなんだったのか。お父さんにも、弟である監督にも、観客である僕らにも誰にもわかんないんだなあと思い、僕は「どうすればよかったのかなあ」と思いました。
「どうすればよかったか?」という問いへの答えは簡単ではありません。ここで問われているのは「早く医者に見せればよかった」とかそういう絶対的な正解ではなく、家族というわかりあうことのできない“他人”とどのように相対的な関係を結んでいくか、ということです。
この映画に出てくる人たちも全員が「どうすればいいんだろう」と考えながら行動をしていました。結果としてこうなりました。じゃあ僕たちはこれからどうすればいいんでしょうね。
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