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2時間25分で37カットしかない映画「ヴェルクマイスター・ハーモニー」が描くマイルドな地獄

タル・ベーラ愛好家の皆さん、こんばんは。たびたび7時間18分の映画「サタンタンゴ」の話を擦らせていただいている者です。

そんなタル・ベーラ監督が「サタンタンゴ」の次に撮った映画「ヴェルクマイスター・ハーモニー」の4Kレストア版が、現在一部の劇場で上映されているということで観に行ってきました。

全体の長さだけでなく1カット1カットも異様に長いことが「サタンタンゴ」の特徴ですが、「ヴェルクマイスター・ハーモニー」も2時間25分で37カットしかなく、長回しシーンの連続で構成されています。タル・ベーラそればっかやな。だがそれがいい。

結論からいうと「サタンタンゴ」のような冗長さはなく、ストーリーもわかりやすくてとても見やすかったです(サタンタンゴ比)。相変わらず暗くて重くて哲学的で社会派な映画ですが、サタンタンゴ同様色々と感じるものがあっていい体験だったので備忘録程度に書き残しておこうと思います。


※※※以下、ネタバレありです※※※



ハンガリーの田舎町ではみんな目が死んでる

サタンタンゴもそうでしたが、今作もハンガリーの荒廃した田舎町が舞台です。主人公はしがない郵便配達員のヤーノシュ。「天文学っていろんな天体が秩序を持ってアレしててステキだなー」みたいなことを言いながら生きているなかなかのピュア野郎です。

ヤーノシュくん。顔がいい

町の人々は「石炭がねえ。生活が苦しい。この町はもうダメだ」みたいな感じで大体しんどそうに生きています。みんな目が死んでる。タル・ベーラ作品は他に「ニーチェの馬」も見ましたが、庶民の生活の閉塞感みたいなやつは彼の作品に通底するテーマなんかなと思いました。

群像劇だったサタンタンゴに対して、この映画はヤーノシュくんの視点を中心に展開していくのでそういう意味でもわかりやすいです。みんな目は死んでますが。

クソデカトラックに乗ってやってきた「クジラ」

そんなおしまいの町にサーカス的な見世物がやってくるところから悲劇が始まります。「偉大なクジラがやってくる!」みたいなビラのあと、クソデカトラックが何分もかけてのろのろ走ってくるシーンが流れたときは心の中で「きたー!」と思いました。この“無”の長回しの時間が見たくてタル・ベーラを見に来てるんだ、とニヤニヤしたあと、なんでそんなことになったんだ俺、と思いました。

小銭を払ってトラックに乗り込んでクジラを見物するヤーノシュくん。クジラといっても結構ボロボロ(ハリボテ?)でしょうもないやつなんですが、ピュアなヤーノシュくんは「クジラでっか!生命の神秘!神の奇跡!」みたいにすっかり感動してしまいます。みんなに「あのクジラ見たほうがいいよ!人生観変わるよ!」みたいに激推ししてちょっと引かれているのがよかったです。

パンフレットより

ハンガリーの田舎町における「クジラ」の一般的な認識がどんなもんなのかわかんないんですが、民衆のほとんどはクジラなんかどうでもよく、サーカスとともに現れて「こんな世の中ぶっ壊せ!」と呼びかける「プリンス」という扇動者のほうに夢中になります。

みんな毎日の生活が苦しくてしんどくてむかついててクジラどころじゃない。実際、作中で描かれる厳しい生活ぶりを見ているとクジラを見て喜んでるヤーノシュより、現状への不満を叫び、やがては破壊と暴動へ突き進んでいく民衆のほうが「普通」に見えてきます。

「ヴェルクマイスター音律」とアンチヴェルクマイスターの音楽家

もうひとつ、ヤーノシュが日頃から激推ししているのがエステルという音楽家のおじいさんです。このおじいさんもかなりの偏屈っぽい。

このへんかなり哲学的というか小難しい話をしてたので解釈合ってるかわかりませんが、ヴェルクマイスターという音楽家がいてその人が考えた「ヴェルクマイスター音律」という古典的なチューニングの方法があるそうです。1オクターブを12の半音に分ける方法で、実際バッハとかも採用した由緒あるやつらしい。ただ、このエステルというおじいさんはこの音律のガチアンチで「ヴェルクマイスターの音律は間違ってる。純粋じゃない」みたいなことを延々とレコーダーに吹き込んで暮らしています。自分で音楽作れよ、とちょっと思った。

そんなわけで、奥さんも追い出してひたすらヴェルクマイスターアンチ活動を続けるエステルさん。「純粋さ」みたいなものに傾倒しがちなヤーノシュくんはエステルさんの考えにもだいぶ影響を受けてるようで、身の回りのお世話をするなど献身的に尽くしています。おじいさんを寝かしつけて片付けをして帰っていくまでの一部始終を描いた長回しのシーンもよかった。

ヤーノシュくんはクジラも天体とかと同じで「神の作った自然、神秘」のいいものであり、ヴェルクマイスター音律なんかは自然にあるものを人間が勝手にいじった悪いもの、みたいに感じてるっぽい。無農薬の野菜とか好きそうなタイプ。「ハンガリー社会に充満する人々の不満=不協和音」みたいなことも「ヴェルクマイスター・ハーモニー」というタイトルにこめられているのかもしれません。

無言の長回しで鑑賞者自身も考える「思考のサウナ」体験

ヤーノシュくんがエステルさんに「クジラ見に行きませんか?」って言って「忙しい」って断られるシーンもよかったです。断られたあと会話がなくなって1分くらい無言で歩き続けるんですけど(タル・ベーラといえば「黙って歩く」シーン!)、その“間”で鑑賞者自身もいろんなことを考える。

サタンタンゴもそうでしたが、劇場でタル・ベーラ作品を観ることの意味はここにある気がしました。あの冗長にしか見えない何にも起こらない長回しの時間。家で見てたら絶対スマホ見たりトイレ行ったりしてると思います(そもそも見ないという説もある)。でも映画館だと画面見てるしかないので何も起こらない画面を見ながら普段考えないようなことを考える。登場人物の哲学的なセリフの意味とか。人間の本性とか。僕も死ぬまでに本物のクジラ見たいなあとか。

僕はこういうとりとめもないことを考えるのが好きで、一時期はよくサウナに行ってました。サウナは考え事をするのに向いてます(テレビが無いと特によい)。苦痛を伴う環境の中、自分と向き合わざるを得ずひたすら思考を続ける。そういう時間でしか得られない精神の状態がある。それに近い効果がタル・ベーラの何にも起こらない長回しのシーンにはあると思いました。

7時間18分のサタンタンゴはその究極系ですが、ヴェルクマイスター・ハーモニーはそのへんだいぶマイルドです。描かれているのはやっぱり地獄に近い現実なんですが、鑑賞後はサウナのあとと一緒でなんかちょっとととのった気分になる。世の中の「考えさせられる」とか言われる映画って大体めちゃくちゃわかりやすいメッセージがこめられてますが、タル・ベーラは答えのないものに答えを出さないまま映画にしてるので思考の余地が多いなと思います。そして多くの人が真剣に考えている「石炭がねえ」とか「税金がたけえ」とかの問題に比べると、抽象的でよくわからんことを考えさせられるので「うるせーな」とむかつくかもしれません。

万人にすすめるような映画ではないですし、それこそヤーノシュくんが「あのクジラ絶対見たほうがいいよ」と言うのと変わんないかもしれませんが、哲学とか好きなタイプの人はぜひ見てみてほしいです。

ただDVDはバカほど高騰してるみたいです

言いたいことがまとまってしまったので以下はおまけです。多分この映画の一番クライマックスである暴動シーンについて。

暴徒たちがおじいさんのアレを見てガン萎えしてしまう暴動シーン

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