人類の進化は止まってしまうのか。
既知の事実ではありますが、私たち人間は様々なテクノロジーに囲まれて生活しています。
現代におけるテクノロジーの進化は圧倒的で、生活は便利になるばかりです。
このような現代社会において、テクノロジーを作る人や使いこなそうとする人たちには、常に思考を巡らせています。
反対に、テクノロジーを使えない人やテクノロジーに使われてしまう人たちには、思考をせずただ反射的に生きているだけの人も多いでしょう。
この二者の間には、思考格差が生まれてしまっており、今後は格差が大きくなっていくばかりだと推測します。
人類の知能は退化しているのか。
私たち人類の知能は退化しているのかどうかについて少し考えていきたいと思います。
前提ですが、この議論については、先に述べた「テクノロジーに使われるだけの人」に限定していきます。
というのも、テクノロジーを生み出す側の人間は、過去の知識や経験をもとに新しいもの生み出しているため、先人たちが蓄積している知恵をさらにレベルアップさせているという視点で、知能レベルは発展していると考えています。
では、テクノロジーに使われるだけの人たちはどうでしょうか?
その議論の前に、人体機能の拡張について少し話していきます。
テクノロジーの発展の影響で、私たち人間に備わっている機能を代替・拡張できるようになっています。
例えば、義足や義手は、その典型例です。
科学技術の発展によって、義足の性能は高まってきています。
話題になっていたのが、以下の記事です。
義足をつけた選手が健常者よりも良い記録を出したことによって、テクニカル・ドーピングという見方もあるという話がありました。
この件について、様々な議論が交わされています。
私自身、普段から脳性麻痺を始めとした障がい者サッカーに関わらせていただいていることもあり、こういった分野についてはいろいろ思うところがありますので、別の記事で言及していきたいと思います。
健常者の方からすれば、義足や義手はそんな身近な話ではありません。
ですが、このように身体機能を拡張するものは日常に溢れています。
例えば、メモを取るというのは身体機能の拡張です。
言い換えると、脳の記憶領域に入りきらない情報を、外部記憶装置(ノートやメモアプリなど)に保存していることになります。
そして、今話題のAIはその典型例です。
メモは記憶領域だけでしたが、AI(人工知能)は文字通り知能そのものの拡張です。
こういった状況で考えなければならないのが、知能の拡張によって、私たち人間が自分の脳を使って考える機会が失われていってしまいます。
先に述べた通り、テクノロジーに使われてしまう人(テクノロジーに対して受動的な人)については、頭を使う機会が失われていく一方です。
この事象が、私自身が懸念している人類の退化です。
テクノロジーによって生み出された時間を、さらなる高みへ行くために活用する。
子どもにAIを使わせない方が良いといった議論なども生まれている日本において、みなさんはテクノロジーが生み出す危険性に対してどのような意見を持っているでしょうか?
先に述べた「思考機会の損失」という目線で考えると、そういったテクノロジーを活用しない方が良いという意見を持っていると勘違いされそうですが、私の意見はその真逆です。
テクノロジーによってもたらされた恩恵は、思う存分受けた方が良い。
そこから生まれた時間を使って、新たな領域について思考を巡らせ、仮説・検証を経て、新たな技術や考え方などを発見することに寄与するべきだと考えています。
下記は、ChatGPTが作成した偽りの判例をそのまま使ってしまったという事例です。
このようなテクノロジーに対して受動的な人は、テクノロジーによって生み出された時間を、自分の欲望を満たすために使う傾向があるように思います。(私の肌感覚です)
テクノロジーがなかった時代は、すべて自分の頭で考えていたものが、今は自分の頭では考えなくなったことにより、相対的に思考する機会が減っています。当然、そこには思考力が育たないという弊害があります。
ともすれば、自ら思考する時間を確保しなければ、昔の人間と比べて、思考力が落ちているといっても過言ではありません。
これが、私自身が危惧している退化しつつある人間の母数が増加してしまうことを懸念しています。
テクノロジーによって、退化する人間にならないためにも、自分を成長させる意識は誰にとっても必要であると思います。
テクノロジーに使われて、思考する機会を失った現代こそ、自ら何かを考えてそれを取り組む必要があると思います。
アイザック・ニュートンが「巨人の肩の上に立つ」という言葉の通り、先人の知恵(を巨人と例えている)を踏まえて、新たな発見をしていく姿勢が、これからの時代も求められてきます。
自分の心に秘めている探究心や好奇心に火をつけて、知を追い求める毎日を過ごしていきましょう。