万博とタローパン。昭和45年、日本初の万博の裏で、タローパンも日本最先端をいくパン屋だった……のかもしれない話。
1970(昭和45)年3月15日から9月13日までの183日間、大阪吹田市で開催された日本万国博覧会。通称、大阪万博。アジア初、かつ日本で最初の国際博覧会が開かれていたそのとき、
「タロウパン」は、改装工事の真っ只中でした。
洋一店長が小学校3年生(8歳)の年の12月。(鮮明に覚えているらしい)
改装して新しく「タローパンビル」となった新生・タローパンは、周りを大きなリボンで結ばれ(クリスマスプレゼントみたい!)
オープンを迎えたそうです。
新生・タローパンではじめたことの一つが、当時はとても珍しかった、トレーに並べられたパンを客自身がトングで取ってレジまでもっていく形式。
なんと、阪急沿線で初めてだったそう。
それまでは、パンは透明な袋に詰められて陳列されていて、そのなかから選んで買う形式。
焼きたてパンだけにある、小麦やバターの、ふかふかでしあわせを感じるにおいとか、トングで挟んだときの「あっ」てなるふわふわの感触とか、店員さんが「焼きたてですよ~」と言ってるのをみて、買おうと思ってなかったのに余分に選んじゃうとか、そういうのなかったんだろうな。
洋一店長のお父さん(2代目)が、東京銀座のお店を見にいったときに知って、それを真似たといいます。
「これからの時代は、これや!」
な、なんという、先見の明の持ち主……!
お父さま、ありがとう。
店員さんの制服もリニューアル。
当時、これまた時代の先端をいっていた、赤のベレー帽とジャンパースカート(?)。
既製品ではなく、デザイナーさんにお願いしてできたタローパンオリジナルの制服で、周りのパン屋さんが次々と真似していったらしい。
そしてこの制服、
なんと当時の大阪万博のコンパニオンの制服を参考に作ったとか……
ほんまのことは、知らんけど。
たしかに、どことなく似ている。
な、なんたる先見の明の持ち主……!
制服だけではなく、買い物袋もデザイナーさんにお願いして一新するなど、そのこだわりといったら、当時8歳の洋一くんも、びっくりするほどだったそうです。
大人って、すごい。
しかも、借金をつくってやった、とか。
・・・すごいな、先見の明の持ち主や。
来年1月で創業95年を迎えるタローパン。商店街の小さなパン屋さんが、ここまで続いてきた理由が、何となく、ほんの少しだけ、わかった気がする。
ずっと変わってほしくない、このままあり続けてほしい。だってみんなのタローパンだから。石橋にはタローパンありきだから。傲慢にも、そんなことを思っていたけれど。
やっぱり続けていくためには、どこかを、何かをちょっとずつ、変えないといけない。誰かの、いつかの努力という変化の連続が、今目の前にある。
大阪・関西万博まで、あと200日とちょっと。来年の万博のときには、何が生まれるのやら。洋一店長、楽しみにしています!
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