世界ってこんなにも優しいんだ #1

わたしが知っている世界は、こんなんじゃなかった。
なぜこんなにも、みんなわたしのことを認めてくれるのだろう。
優しくしてくれるのだろう。
責めないでいてくれるのだろう。
愛を向けてくれるのだろう。
誰かに優しくするのが好きなくせに、それが返ってくるのが怖くてたまらない。
幸せを感じるのが怖い。
眩しい。
苦しい。
感情なんて表に出すんじゃなかった。
こんな思いをするくらいなら、心を機微を感じ取るんじゃなかった。

だってわたしはなにも返せない。
だからもう、放っておいてほしい。
嫌われた方がマシだ。
虐げられた方がマシだ。
そっちの方が性に合っているから。
慣れているから。
こんなわたしを、完璧とはほど遠いわたしを、大切に扱ってくれるなんて嘘だ。
本当は嫌われているんだ。
だからお願い。
「嫌い」だと言ってください。

ちがう。
嘘だ。
「嫌い」だなんて言われたくない。
思われたくない。
わたしだってみんなのこと大切にしたい。
でもその方法がわからない。
返し方がわからない。
習っていない。
経験したことない。
素直に優しさを受け止める方法を知りたい。
もう、完璧でいることを、感情をおさえつけることを忘れてしまった。
戻れないんじゃない。戻りたくないんだ。
わたしはもう、完璧でいることに疲れ果て、重ねられた偶像を演じるのも限界だったんだ。
そんなときに、みんなに出会ってしまったから。
奇跡みたいなタイミングで、拾われたから。

本当のわたしの願いは、みんなから離れることじゃない。
わたしの居場所はここじゃないと、ふさわしくないと、つっぱねることじゃない。
みんなからもらった大切なものを抱えながら、返し方を覚えながら、生きていくことだ。

そう気づいてから、ずいぶんたったけど、まだ全然返せていないなと思いながら日々を過ごしている。
本当にちょっとしたことで「ありがとう」と言われ、自分では大したことがないと思っていることを褒められ、迷っているときは光を与えてくれたり、手を引いて横を歩いたりしてくれる。
そんな人たちに囲まれて、わたしは今も生きている。
こんな未来、想像してなかった。
わたしが抱えているものが、どうしようもなく重くて苦しかったことに気づかせてくれて、一緒に背負おうとしてくれる人がいるなんて。
「特別」に憧れ、「普通」から外れ、「普通」への強くて歪んだコンプレックスを抱え、やがてそれを丸ごと「いいね」って言ってくれる。
わたしより、わたしを受け入れて、認めてくれる人たちがいること。
全部全部、知らなかった。
世界ってこんなにも優しいんだ。

絶望だった。
ようやく「普通」に戻れたと思っていたのに。
なんで。なんでわたしはいつも。なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで。
わたしが何をしたって言うのだ。
わたしはろくに学校に行っていなかった分、人より劣っているから、人の何倍も努力して、寝る間も惜しんで、知識を詰め込み、知恵をつけ、それを武器に歩んできた。
そしたら学校一の才女になっていた。
こんなにも成績が良く、品行方正な学生は見たことがないと言われ、内定もいち早く獲得し、あとは卒業を待つだけだったのに。

なんで、わたしはいま倒れているの?
痛い。頭が痛い。おかしくなりそう。
母の必死な声が遠ざかる。
涙があふれる。
ごめんなさい。
わたし、やっぱり「普通」の娘じゃいられなかった。
こんな大事なときに倒れるなんて。
この先どうなってしまうのだろう。
怖いよ。死んでしまったらどうしよう。
死ぬよりも辛いことを乗り越えてきたと思ってたのに。やっぱり死ぬのは怖いや。
ああ、神様、助けて。

担架に乗せられ、たまたまいた近所の人がどよめき、母に声をかけているのがわかった。
あ、こんなに大事になってるんだ。
さっきまで痛みと恐怖で胸がいっぱいだったくせに、心配してくれた彼女と不安そうな母のやりとりが耳に入り、急に冷静になる。
救急隊員が駆けつけてくれたときから薄々感じていたけど、痛みが少しずつ引いてきた気がする。
あれ?わたし、別に大丈夫なのでは?
でも救急車に乗っちゃったし、我慢できるような痛みではないから、今更「あ、もう大丈夫です〜。すみません、ご苦労かけまして。お母さん、お父さん、心配かけてごめんね〜」なんて言える元気も勇気もなかったから、大人しく目をつぶって揺さぶられる。
わりとすぐに病院につき、救急隊員が担当者にわたしを受け渡すと「ではこれで」と颯爽と姿を消した。
めっちゃかっこいいな、とか思いながら、本当に痛みが和らいできているのをひしひしと感じながら、医師と看護師に受け答えしていく。
ただ、救急隊員の頼もしさと、きっとわたしの命に別状はないという安心感で、また泣いてしまっていたようだった。
「泣かないで、もう大丈夫」と、優しく涙を抑えてくれる看護師の姿は、たしかに天使みたいに尊くて美しい、賞賛すべき存在だなと思った。

このときはまだ、新型コロナウイルスの影響でいろいろややこしいことがあって、頭痛だけではなくその検査もしたけど、鼻、めちゃくちゃ痛かったな。
あんなにグリグリされるのね。
なんならあのときばかりは頭痛よりもそっちの方が苦しかったな。

人間の不思議な生態のひとつだと思うけど、医療従事者の姿や、病院といった場所に行くことで、なぜか症状が和らいでいく、というのは本当だと思う。
実際わたしもそうだったから。
結局、その日は脳のCTをとっても異常がなかった。
とてつもなくぶっきらぼうな医師から点滴して、あとは薬出すからと言われた。
頭痛についてはよくわからん、原因不明だから、心配だったらあらためて脳外科とかに行ってもいいんじゃないの?別に行かなくてもいいと思うけどね、くらいのテンションで、病室から移動させられた。
これはのちのち母から聞いたことだけど、あの医師は脳の専門だったらしい。
なのになんだあの適当っぷりは。原因めっちゃはっきりあったわ。
まあ命に別条はないものだったから良いけども。
あと、普通に疲れてたのかもしれないしね。
お疲れ様です。そこは本当に、心底尊敬していますし、感謝しかないです。

点滴がきいて痛みがだいぶ和らぎ、歩けるようになったのを見て、もう帰って大丈夫と判断され、薬を処方してもらい父の車で帰宅した。

少し頭がぼんやりして、痛みも残ってはいるけれど大丈夫、帰ったらごはん食べて早く寝る、みたいな会話をしていた気がする。
実際、家に帰ったら疲れがどっと来て、ほんのちょっとだけ何かを胃に入れて眠りについた。

翌日、卒業展示のために写真撮影をしなければならず、軽めの頭痛が残ったまま大学へ急いだ。
ひとりにするのは心配だから、と母が送り迎えをしてくれた。
手のかかる子どもでごめんね、でも本当にありがたいです。
周りに心配をかけたくなくて、なぜ予定の日に撮影できなかったのかを説明するとき、ものすごく軽いテンションで「実は頭痛で倒れちゃって、人生初救急車でした〜!いやー、胃カメラもそうだけど、まさか今年はこんなにもたくさんの医療系人生初デビューを飾るとは!」といった感じに茶化してしまった。
本当は死ぬんじゃないかと思ってめちゃくちゃ怖かったし、なんなら原因不明というのが怖すぎるし、いつまたああなるかわからないという恐怖で胸はいっぱいだったけど。
でも、そんな弱み見せられないし、そんなことをしたらわたしの偶像が崩れてしまう。
いつでもわりとテンション一定・成績優秀・誰にでも優しい・お悩み相談所の「神」ポジションをこんなことでなくしてたまるか。
「神」なんておもしろい2つ名、この先二度と与えられないかもしれないんだから、大事にしないといけない。そのためにも、計算してあえて表に出す弱み以外は隠し通し、「完璧」だけど親しみやすい「神」を守り抜くんだ。
そんな使命感を抱えていたものだから、基本的に他者、とくに同年代に弱いところを見せるのは本当に嫌だったのだ。
ただ、さすがに救急車案件は結構なニュースだったようで、いろんな人から心配された。
そりゃあそうか、と今なら思えるけど、当時は結構キツかった。
心配されるのが苦しかったし、心の底から申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
こんなわたしという一個人のどうでもいい出来事で、みんなの頭のリソース使っちゃってごめんなさい、と思っていた。

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