自分の声ってどんなだったっけ
風邪をひいてもう3週間たってしまった。
未だに治らず、洟は出るし、頭も痛くなるし、鼻声のまま。
謎に朝だけ乾咳も出るから、さすがにおかしいなと思い、病院にもう一度行くことにした。
喘息とかになってしまっていたら嫌だな〜と思いつつ、逆に原因不明ですとか言われるのもそれはそれで「またですか」という気持ちになるからなんとも言えぬ。
ここのところずっと鼻声だから、もはや自分の声がどんな感じだったか思い出せなくなってきた。
仕事柄、自分が喋った声をあとから聞くことが多いのだが、それを聞くと「声ひっく」と思う。
でも、それって別に鼻声だからというわけではない気がする。
もともと、自分が思っているよりも声低いし、こもった感じがするというか。
自分で聞いてる声と、他者が聞いている声って全然ちがくて、録音した声を聞くと気持ち悪くなる人ってたくさんいると思うし、わたしもそのなかのひとりだ。
だから、今日も今日とて「声ひっく」「もさっとしてて聞き取りづらい」と自分を蔑んでしまう。
声が低いこと自体は別に何も悪くないのに、昔から高い声の人に憧れがあるのだ。
声が高いってだけで、「かわいい」とか言われて得してるように見えてしまう。
あと、どうせ低いならこんな中途半端じゃなくてもっと中性的な、かっこいい感じになりたかった。そしたら「かっこいい」「いい声してるね」と褒められる気がする。
でも結局、どんな声だろうと「自分の声きもちわるっ」ってなる性格なんだと思う。
メタ認知が異様に苦手というか、なんというか。
自己の存在を感じる行為が、昔から本当に嫌いで、自分の声を聞くのも、写真を撮られるのも、動画を撮られるのも、嫌で仕方なかった。
いつからそうなってしまったのかはわからない。幼稚園の頃はむしろ、目立ちたがり屋だった気がする。
だけどいつしか、「お前は人前に立つような人間じゃない」という声が外から、そしてそれはやがて自分の中から聞こえてくるようになった。
だから未だに、自己について褒められると本当にどうしていいのかわからなくなる。
大体の場合は、極端に遠慮する・は?ととぼける・めっちゃふざけて茶化すの3パターン化してきた。
3パターンめは、最近ようやく習得できた技。
「かわいい〜」とか「頭いい〜」と言われたときに、「やだ〜、そんなに言われると照れちゃう!ありがとう〜」とか、「うん、知ってる〜」とか、あざといポーズをとってその場を切り抜けるのだ。
それは子ども相手にしかまだできない。
大人に対しては、基本遠慮しまくって「そんなことないです、やめてください、もったいない」と早口で捲したてるか、「え?なんのことですか?わたしはなにもしてませんけど?」みたいな感じでなにごともなかったかのように振る舞う。
あ〜。むりなんだよな〜。
褒められても、素直に受け取ることができない。
心の中のわたしが、「調子乗んな」と戒めてくる。
一瞬喜べるようにはなってきたけど、どうしてもそのあとを「調子乗んな」号が光の速度で追ってくる。
…書いてて思ったけど、「調子乗んな」ってなんなんだ???
誰がわたしに言い出したんだろう。
もはやわたししか、わたしを戒める存在がいない気がする。
だって、今の環境で、わたしを虐げる人がいないから。
だから、わたしは毎日「調子乗んな」精神で生きてしまうし、褒め言葉を素直に受け止めないで勝手に裏を妄想して、自分の首を絞めつけながら、「他人の言動なんて信用しない方が自分のためだ。傷つくだけだ。お前は調子に乗ってはいけない。常に努力しつづけ、人より劣った部分を少しでも挽回しろ。そうしないと居場所が無くなるぞ」と耳元で囁きつづけているのかもしれない。
本当の敵は、多分わたしだ。
そんなのわかってる。昔から。
でも向き合うのが怖い。
難しい。
だから今日も、「鼻声の自分キショいな」「風邪引いてるから仕事の効率いつもの倍以上悪くて約立たずだな」と戒めながら過ごすしかない。
自分で自分のことを悪く言ってる方が、どうやら楽みたいだ。
かなしいけど、でもそれも自分だから。受け入れるしかない。今はまだ、それに向き合う術も、時間も、なにもない。
自分を罰するのに疲れたら、寝るだけ。
それかYouTube見るだけ。
そして回復したら、また自分を痛めつけながら、仕事に勤しむ。
そうやって、とりあえず生きてみる。
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