世界ってこんなにも優しいんだ #2

撮影はほんの10分程度で終わり、すぐに帰宅して内定先のバイトへと出かける。
そこでは、倒れたことは一切口にせず黙々と働いた。
だけど、あのときほどではないにしても、頭痛が再度わたしを苦しめ、それに加えてめまいが頻繁に起こり、吐き気をもよおし、立っているのもやっとな状態になってしまった。立ちくらみもひどく、視界が真っ暗になってしまう。
それでもすました顔をして退勤し、帰宅した途端にぶっ倒れる。
あー、これダメなやつかもしれない。
母が慌てて駆け寄る。
事情を説明すると、やはり脳外科に行こうということになった。
そして、バイトもしばらく休ませてもらうことにした。
ただ、めまいや吐き気、立ちくらみは頭痛と関係あるのだろうかという疑問は残る。
そんな感じで、数日間は軽い〜中程度の頭痛と、めまい、吐き気、立ちくらみと共に生活し、いよいよ脳外科へ。

まずはCT…ではなく、それでは詳しいことはわからないから、MRIを撮ることになった。
うわー!これ映画とかドラマで見たことあるやつぅ〜!みたいな昂りをひそかに抱き、独特な爆音を聴きながらあの巨大で無機質な機械へと頭が吸い込まれていく。
口を動かさないでと言われたのが、地味に難しかった。多少は動いちゃうと思うんですけど、あれってわたしだけなのかな。
かなり長い時間、脳の断面をスキャンされ、続いて血液検査と血圧測定を即座に済まし、ついに医師とご対面となった。
とてもにこやかで丁寧な挨拶と自己紹介をされ、あら素敵、なんて思いながら、当時の状況や今の痛みについて聞かれる。
まず、バイト中に頭痛が発生し、どんどん痛みが強くなり救急車を呼んだことを説明した。
そのバイトって、どんなもの?何時くらいに頭痛が始まって、ピークが来たのは何時間後くらいだった?と細かな質問をされる。
内定先はいわゆる小売業者で、重いものを運んだり、立ったりしゃがんだりする動作が多かったこと。
バイトはその日が初出勤で、これまでそういった動作をあまりしてこなかったこと。
痛みが発生したのはおそらく夕方17時頃で、ピークは19時頃だったこと。
そのほかにも、気になる症状として痛みに加えてめまいや吐き気、立ちくらみがひどいことも話した。
すると、医師は納得したように頷きながらMRIの写真を見せてくれた。

診断名は「可逆性脳血管攣縮症候群」。

え?なんて???
まったく聞いたことのない病名に、戸惑いが隠せない。
医師はは、そんなわたしをみて安心させるように口を開いた。
「要はね、脳の血管が細くなって、頭痛を引き起こす病気なのね?結構珍しい病気で、それ専用の治療法も、薬もない。でも、『可逆性』だから大丈夫。大体3ヶ月前後で自然と治るものなんだ」

続けて、医師はMRI画像の一部分をわたしに示す。
「ほら、ここの線、途切れちゃってるでしょ?ほかにも、ほとんどみえないくらいの薄さの線もある。こういうところは、全部血管がほそーくなってしまってるところ」

なるほど。
たしかに線がところどころ途切れていたり、薄くなっている部分がある。
「さっきも言った通り、自然と治るものだけど、症例が少ないから専用の治療はないわけ。だから、基本的には偏頭痛の薬と、高血圧の薬を飲んでもらって、頭痛がひどいときは鎮痛剤で対応するかたちになります。あと、頭痛の記録は毎日とってね。可能性は低いけど、今の状態は脳出血とか起こしやすい状態だから、何かあったらすぐに救急車呼ぶこと」
「わかりました。日常生活は問題なく送れるってことですね」
「そうだね、ただあなたの場合は、おそらく重いものを持ったことが原因……といっても、何度も言うように原因すらよくわかってない病気だから、断定はできないんだけど。それでも、しばらくは重いものを持ったり、力んだりする動作は控えた方が身のためだね」

会話のラリーをつづけるうちに、だんだんと、医師の丁寧な説明を咀嚼でき、命に別状があるものではないことが理解できた。
頭痛を記録するシートを受け取り、そのほかに気になることはあるかと向こうから聞いてくれた。

「実は、頭痛もそうなんですけど、めまいとかふらつき、耳鳴りとか、そういうのにも最近悩まされていて…これって、頭痛となにか関係ありますかね?」
すると、医師は眉根を寄せ、こたえる。
「そうだね〜…脳の状態は、血管以外異常がないから、脳による症状ではないと思う。話聞いてるかぎり、ストレスなんじゃないかって思うけど……ちなみに、この胃腸科にずっと通ってるのってなんで?もしかして、自律神経が乱れてるって言われなかった?」
わーお。そのとおりです。

そう。頭痛で倒れるより数ヶ月前、あれは夏頃。
急に毎日胃が痛むようになり、おそらく胃痙攣を起こしたほど、強い痛みやそこからくる吐き気に襲われたことをきっかけに、胃腸科に通い続けていたのだ。
「そうですね、胃カメラとか血液検査したんですけど、なにも異常はなくて。自律神経が乱れてる、としか言いようがないそうです。実際、めちゃくちゃな生活して、ストレスは溜まってると思います」

わたしの返答は予想通りだったようで医師は深く頷いた。
「やっぱりね。だいぶ前からずーっと無理してきてて、限界迎えていたんだよ、きっと。偏頭痛も生理痛も年々ひどくなってるって言ってたし、ストレスからくる自律神経失調症の可能性は高いと思うよ。一気にいろいろきちゃったんだね」

めまいやら吐き気やら、気になる症状がたくさんあったから、耳鼻科にも行こうとは思っていた。
自律神経失調症、というやつなんじゃないかと、自分でも疑ってはいた。
それを医師に言われると、結構な重みを持ってリアルな不安感が再度襲ってきた。
「耳鼻科とか心療内科とか、行った方がいいかもしれないね」
そうか、やはりわたしは、得体の知れない「病」にもかかってしまったのかもしれない。
いや、すでに、かかっていたと言うべきか。
とにかく、まず頭痛については病名がわかり、発症の原因はたしかではないものの、ある程度予測はできるもので、「脳出血になるリスクはある」なんて恐ろしい言葉を聞かされているにもかかわらず、それに対する恐怖心はあまりなかった。

それ以上に、別の不安が膨らみ、心を蝕みはじめる。
わたしはこの先、どうやって生きていったらいいのだろう?
しばらく重いものを持てないってことは、内定先で働けなくなるっていうこと?
そうなったら、わたしは卒業後、どうするの?
いまから就職活動しなくちゃいけないの?
自律神経失調症って、いつ良くなるの?
そもそも、治るものなの?

ああ、なんて恐ろしい。
嫌な妄想が止まらない。
悪い方向にしか、物事が考えられない。
こうなってしまったら、あとはとことん沈みこんでいくだけ。
闇に飲まれる。
ああ、この感覚。
久しぶりだ。

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