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葬送のフリーレン 魔族の悪意の概念と棲み分けの話。
といいつつ、実質、葬送のフリーレンのお話じゃないので、フリーレンのお話を期待している方は「戻る」ボタンを押してくださいね。
8月19日で、noteを始めてから1年が経ったんですって。
記事の数をかぞえてみたら70本をやや超える程度で、そんなに書いていたのか、と、ちょっと驚いています。
一部の過去記事を有料にしてみました。有料化したのは、ファッションに関するもののみで、いつも見てくれる人はだいたい見てくれたな、というものだけです。
何かしら、強い意図があるわけではありません。仮に売れてもその金額はたかが知れてる(たばこすら買えない。)し、お金をとってモノを書いてみたいとか、自分の記事にその価値があるかどうかを試してみたい、という気持ちになったわけでもありません。
ただ、「1部売れたら、自分にどんな感覚をもたらすのだろう?」という好奇心はあります。
もっと対価に見合うコンテンツを、と思うかもしれないし、そもそも、嬉しく感じるとか、こんなもんか、と感じるかとかすらも、想像がつかない。
もしかしたら、書くこととは全く関係のないところで、自分自身に何か変化が生じるかもしれません。
全く売れなくても、それはそれで、と思います。たぶん、がっかりはしませんが、何か感じることはあるでしょう。
だから、強いていうなら好奇心を大切にした、というところです。
だんだん、やりたいこともできなくなる年齢になっていきますからね。
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ちょっと体調を落としています。消化すべきものを消化できないせいで小忙しく、なかなかnoteを触る機会もないのですが、noteの更新が途絶えることに対して、なんだか後ろめたい感覚もなくはないので、近況報告がてら、つまんないことを書きます。
ちなみに、本当に面白くないです。
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福岡県の、どこかの自治体の副市長が、勤務時間外にパチンコをしていたということで、懲戒注意されたというニュースを見ました。
地方自治体における副知事は、地方自治法における一般職には当たらないので、彼らに勤務時間という概念はありませんが、クレーマー、じゃなかった、申立人からすれば、一般職員の勤務時間中に副市長たるものがパチンコをしていること自体がけしからん、ということなのでしょう。
なにひとつ理解できない行動原理で、端的に言って怖いですね。
結局、副市長は何も悪くないのに、なぜか懲戒処分を受けたわけですが、まあ、過剰潔癖社会とでもいうべきか、法にも規則にも触れていないが、誰かしら嫌悪感を覚えるようなことをした、またはしていた、ということがあれば、責任者が出てきて謝罪する、(何の根拠もないのに)処罰する、みたいなことは、間違いなく今まで以上に増えていくでしょう。
今までも勿論、この過剰潔癖という傾向はあって、例えば不適切広告だとかで理不尽に謝罪させられたりした企業も多々あったわけですが、現状私が危惧しているのは、これが「性」に向かっていくことです。
もう少し具体的にいうと、性搾取でもなんでもないことを性搾取と見做すようになって、正義の名のもとにぶん殴ってくること。
さらに踏み込んで話をすると、私が推してる会社と人は、むかし、18禁コンテンツに携わっていたのですね。
これ自体、法に触れるものでもないし、ルールの中でやっていたことだし、性搾取でもなんでもありません。なにより、プログラムの中の話だし。
ただ、どんどん成長していく潔癖という刃が、10年15年後に、20年前の出来事を許してくれるとは限らない。
書いてるだけでわけがわからなくて、頭がおかしくなりそうな文章だけど、社会の潔癖が究極の域に達するその日が現実のものなることもまた、おそらく間違いありません。
そして私は、そんな日の到来を懸念してやまないのです。
ご本人たちが売れれば売れるほど。成功すれば成功するほど。
マジで大丈夫やろか。
他方、大きな被害に遭われた人には申し訳ないけれど、一般的な意味でのコロナ禍は、「ソーシャルディスタンス」という名の財産を残してくれました。
私はちょっと神経質なので、スーパーのレジやレジ待ちとかで、後ろの人に買い物カートを背中にベタ付けされたりするとゾクゾクしちゃいます。
なので、レジ待ちディスタンスの出現はまさしく天佑と呼べるものでした。
それはそれとして、分かりあえないもの、興味のないもの、嫌いなもの、鼻につくもの。
なぜ、そういうものとディスタンスをとって「棲み分け」をしないのだろうか。できもしないのに、無理にわかり合おうとか、理解しようとかするのだろうか。最悪、人によっては排除しようとしたり攻撃しようとしたりするのだろうか。
もっと、「棲み分け」を進めていくことが、個人及び公共の幸福度を高めていくことは、みんなもう、薄々わかっているはずなのに。
先述のクレーマーの行動原理なんて、個人的には殺すと脅されても賛同できないし、仮に自分が副市長のようなクレームを入れられたらたぶん相手を〆てしまうと思うのだけれど、それでも私は私で、彼は彼で、各々の存在が許容されているのは、ひとまず物理的な意味で棲み分けがなされているからです。
「葬送のフリーレン」では、マハトも結局、悪意の概念を理解することはできませんでした。
そんな魔族と人類が共存する方法は、ディスタンスを隔てた「棲み分け」しかないでしょう。「ダイバーシティ・アンド・コンクルージョン」ナントカの概念からは大きく逸れますが、めいめいが確固として尊重されるものであるという点では根を同じにするものだから、決して悪いことではないはずです。
もっとも、フリーレンの世界の魔族は、人類を見たら殺すのが普通、みたいなところがあり、そんなことは当然、人類としては看過できないので、それすら叶うこともないのですが。
でも我々はそこまでバカじゃないよね、そして緊迫もしていないよね、という期待や自戒を込めて、私は「棲み分け」を推していきます。ソーシャルディスタンスを守り抜きます。
そんな感じです。