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テレビなし生活を選んで良かった


テレビは必需品ではないと気づくまで

私は普段テレビを観ません。というか、ケーブルテレビを契約していないのでそもそも映りません。

長野に移住する際に長野県全域なのかは分からないけど、少なくとも私が住んでいる地域はケーブルテレビを契約しないとテレビが観られないと知り、月額費用はそんなに高くないけどそれならいいや!と、引っ越しをキッカケにテレビを処分しました。

それまではケーブルテレビを契約しなくてもテレビを観ることが出来ていたから、わざわざお金を払うのもなと思ったのと、せっかく超田舎(褒め言葉)に引っ越すのに、テレビによって物理的にその静けさを損なうのが嫌でした。

テレビってつけたらその空間自体がテレビの音で占領される感じがします。
自分は観たくないけど家族が観たい場合、音量を小さくしてもらっても、別の部屋に移動しても勝手に耳に入ってくるというか。
テレビの存在感て大きい。
もし何か観たければ、個別にスマホで動画を観ればいいと思う。

というような感じで、テレビなし生活を1年半送っているけど、全く生活に支障がありません。
なくても困らないのは分かっていたけど、当たり前のように自分たちの生活に入り込んでいたから、テレビなし生活をスムーズに受け入れられるのかなー?と思ったけど、意外と大丈夫でした。

観ないことが習慣になって感じるのが、テレビの中毒性
以前はとりあえず家に帰ってきたらテレビをつけていました。家の中が静かなのが落ち着かなかったからです。

音がないと寂しいといっても、音を消せば外の車や人の往来する音や声、生活音、雨の音、鳥の声、風の音など何かしらあるわけで、完全に無音じゃないのに。

目だけでなく耳でも刺激がないと落ち着かない心になっていたのだと気づきました。テレビって刺激そのものですもんね。

1日の中でポーズを集中して取ったり、瞑想の時間を取っていたり、食べ物に気をつけたり、出かける場所や付き合う人を考えていても、テレビを観る習慣を持っていると心が雑多になりやすい。

家族が観たいけど自分はそうでもない番組だとしても、なんだかんだ一緒に観ちゃうし、音がないと物足りないなーと作業用的にかけていても、音に注意がそれて結局見ちゃうとかで作業効率が悪くなったり、時間を無駄にしていたなとも思います。

自分のペースをテレビにもっていかれる感じ。
でも、厳密にはテレビのせいではなく自分の意志が弱いだけ。見なきゃいいわけだし。その選択が出来ないのだから。

刺激に疲れてる

テレビなしに慣れると、目から耳から膨大な情報が一方的に入って疲れることが減りました。自分から必要な情報を選んでいるように思えても、なんかそれ以外の情報も入れてしまっている。

例えば、その日観た番組の内容を思い出したり、CMソングが頭でループしていたり。
私にとっては世間で流行っているモノや人や話題は別に知る必要もないし、興味もないけど、知ってしまったらふと思い出されたりすることもある。

記憶の中に印象として蓄積していくと結構な量であり、あれこれ考え妄想が生まれるなど、余計な心の作用が生まれてエネルギーの消耗です。

また、何か大きな話題があると、テレビはその報道一色で、ずーっと誰かの「私はこう思う」「こうかもしれない」が発信されて、それを見るのも疲れてくる。

目と耳から入る刺激は特に心に強烈に印象を残しますが、テレビはいかに印象を残すか緻密に考えられて作られてて、心が食いつくように出来ている。好奇心や不安や欲を煽るように上手く出来ています。

テレビは情報の垂れ流しの箱。

だから、自分で触れる情報や量をコントロールしないと、自分が何がしたいのか?何が必要なのか?何のために生きていくべきか目的を見失ってしまう(大袈裟でなく)。

今はないけど、昔は番組またはCMで将来いくら貯金がないと生きていけないとか、こんな病気が流行っていると聞けば不安になっていました。
別に必要ないのにテレビでやっていたから欲しくなってしまったり。気になって検索していたり。

もし、観ている時は楽しさや満足を感じたとしても、結局、心は雑多になって疲れてしまう。退屈をしのぎたいから刺激を欲しても、その刺激に疲れてしまうなーと自分を振り返って感じます。

テレビをやめて良かったこと

テレビを観なくなったことで、心を雑多にするものをひとつ手放せて良かったです。子供の頃から当たり前にあったから、自分にとってはそう感じます。

世間で何が起きているか以前よりも疎くなったけど、別に知る必要もないし、黙ってても何かしらのルートで世間の情報は入ってきます(SNSや近所の人との会話や回覧板、広報とか)。

テレビなし生活は余計な情報に左右されず快適。言語化しにくいけど、明らかに刺激が減って快適です。

瞑想やヨーガをしていくとエネルギーがみなぎったり、繊細な感覚が磨かれていきますが、テレビを観ることで過度な刺激に触れて消耗したり、心が鈍感になっていた気がします。

今はテレビの音は自分にとって騒がしくて、心がざわつく不自然なものになっています。シーンとした中で過ごす方が快適になってきました。

誰かと話す際に共通の話題はなくなるけど、世の中の出来事やドラマや芸能人がどうのなどの話で間を繋がなくてもいいのではないかなとも思う。

ただ、私の場合はYouTubeを観たり、ネット検索をするので、それらの使い方に気をつけるようにしています。それも情報量すごいし、刺激に他ならない。

生活の中でこれがないと!というものって意外と少なくて、情報もそうだったりする。これがないと!を少しずつ減らして、特に心をシンプルに静かに暮らしていきたいです。

テレビ一つのことだけどそんなことを思いました。

頭が雑多な人、いつも忙しない人はテレビを観ない習慣を作るのも、ひとつ心を穏やかにする手助けになるのでオススメです。

Tara Yoga オンラインヨガクラス・飯田市



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