過去を知ることの難しさ。
ブラジル 国立博物館がほぼ全焼 収蔵品の多くを焼失 - NHKニュース(2018/9/5閲覧)
ブラジルの国立博物館が焼失したという。言葉にすれば、どうしてもそれが意味することを十分に示せないかもしれないが、あまりに重大なことだ。
過去を教えてくれる、歴史ある数多くの品物が永遠に闇に消え去った。もう僕らはそれに触れることはできない。かつて存在したはずの過去に触れることはできない!
恐ろしいことだ。本当なら、身震いして動けなくなってもおかしくないくらいの。
僕らは、現在にしか生きることができない。過去は確かに存在する。けれど、過去は現在に比べればあまりに不確かで、調べることの難しいもの。
過去は、しぼりかすほどにしか知ることができない。
僕らはただ建物とか、石碑とか、書物などの遺産を介することでしか過去と面を向き合うことができないのだ。
しかし、これまでどれほどの過去の遺産を戦争や災害で失ってきたのだろう。おそろしいのは、今こう文章を書いている内にも過去の遺物がどんどん失われていき、記憶さえあやふやになっていくという事実。
知識は、簡単に消える。
まして博物館だ。たくさんの遺産をたくわえる巨大な施設が一日で灰と化してしまった。これほどの大事件は、残念ながら一度や二度ではなく起こっている。
始皇帝の焚書坑儒。アレクサンドリアでもバグダードでも、時の征服者によって当時の知識の粋を集めた図書館が破壊され、永遠に失われた膨大な書籍がある。人類の歴史に目をやれば、知識が失われた事件は数知れない。
未来でも同じことが繰り返されるのか? だとすればもう、知識を保存することは無駄ではないかと言う絶望を感じざるを得ない。
けど、知識を受け継ごうとする努力を捨てれば、知識はすべて泡へと散っていくんだ……。
――――
今回ほど強い台風は初めて経験しましたね。毎年が試される年ですよ、ほんと。知識を保存する手段……僕の場合は、メモ帳でしょうかね?
メモ帳に日常とか学んだこととか、なんでも書かなきゃ。
電子機器に保存するって、意外と弱いですから。僕はアナログな手段をより好むのです。