会いたい人
会いたい人が何人もいる。それは芸能人や著名人に、というわけではなく過去に関わりのあった人たちにだ。それは昔、通っていた塾の人たちや学校の友人を意味する。
だが、残念なことに大半の人間は僕のことを忘れてしまっていたり、会うのが久し振りすぎて気まずいと感じるだろう。
しかしどうやら僕は中学生あたりから気持ちの時間が止まっているらしい。今まで関わった人たちへの記憶は昨日のことのように覚えており、一対一であってもそれなりに昔と変わらず話せる自信がある。
だが向こうはそうはいかない。もし突然僕が会いたいと思っている人たちへ連絡を取り、「久しぶりに会いたい」と言うとする。そうすると向こうはマルチや宗教の勧誘をされると思うだろう、それか会っても先ほど言った通り気まずいと思われてしまうんじゃないだろうか。
その事実が悲しい。
僕はただ、会いたい人に会って話がしたい。会わない間にどんなことをしていたのか、どんな出会いがあったのか、今どんなことに興味があるのか。今まで話すことができなかった分、たくさん相手と話したい。だが、そんな理想は現実にどこにもないのだろう。
僕は人が怖い。自分と同じ気持ちでいる人なんてごくわずかで、久々にと声をかけたら相手にマイナスに受け止められてしまい、過去の思い出を壊すことになる。改めて繋がりたいと思っていた縁がそこで一生、絶対的に切れてしまったら。考えただけでも辛くなる。そんな考えでいると、人というものが嫌いにもなってくる。みんなが新しい友人や環境で過去を捨てていく中で僕は過去に未だ留まっている。人生とは、人の縁とはそういうものなのだろうに。
でも反対に、会いたいという気持ちがあるということはやっぱり僕は人が好きなんだろう。どうにかしてまた繋がって昔のように楽しく笑いあいたいと考えてしまう。しかしそれは一種の依存であり、僕の心の未発達な部分がそうさせているのだと思う。
そんな僕はやっぱり人が嫌いで人が好きだ。多分そのジレンマを僕は一生抱えて過ごすことになるのだろう。