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’たりない’自分語り。(明日のたりないふたり、感想)

明日のたりないふたり、観ました。

’解散’の文字に釣られ、これは歴史的瞬間になるかも知れないとミーハー心で視聴させていただきましたが、結果として私の人生の道標になったような、そんなライブでした。

私がたりないふたりを知ったのは、たりないふたり2020春夏秋冬です。終盤も終盤です。
2020年というのはステイホーム続きでなかなか外へ向かうことが少ない年でした。
新しい趣味を見つけようと私は深夜ラジオを漁るように聴き、そしてどっぷりハマりました。
その中で「たりないふたり」の存在を知りました。それが2020年の春のこと。

私はオードリーの若林さんが好きです。(山里さんスミマセン…!推し、というやつなので…!)
芸人として、というよりかは、『若林正恭』としての人間性がものすごく好きなんです。
そんな若林さんはなかなかゴールデンの番組ではその素は出ていないように見られますが、深夜帯の冠番組、特に「あちこちオードリー」では生き生きとしていて(若林さんって、こんなに感情とか色々抱えている人なんだ…!)と少し驚きました。ラジオは言わずもがなですが。

たりないふたりは、「潜在異色」で誕生した若林さんと山里さんのコンビ。

表舞台では疑問を持ちながら擬態している’たりない’二人が、この板の上では本音をぶつけ合い、ありのままの姿で漫才をしているような、そんな空気がこの「たりないふたり」には漂っているのです。

そして、このたりないふたりは、5/31のライブ「明日のたりないふたり」で解散しました。
(※以下、若干のネタバレ)

私はド新規にわかファンなので深くを語ることはできませんが、前半の内容はこれまでのライブネタのエッセンスを少しずつ詰め込んだ様なそんな感じに思いました。
(日向坂のくだりは、かなり事実に基づいて描かれていました笑。)

そして後半は、魂のぶつかり合いでした。

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自虐の竹槍、モデルガン。
若手の頃は、それらの「たりない」武器を振り回しているだけで良かった。
がむしゃらにもがいていれば、いつしか「人間力のマシンガン」を手にし、人望を集める器のでかい人間になれるんじゃないか。
いつか、’たりてる世界’にいけるんじゃないか。

あれから12年。たりないふたりは、ゴールデン番組のMCを担当し、レギュラー番組を何本も抱え、プライベートでは良き人生の伴侶を得、周りからは「もう十分たりてるじゃないですか!」と言われるように。

それでも、たりなかった。たりてると言われ、自分の中身を覗いたら、なにもたりてなかった。

一度棄てると言った自虐の竹槍。
この竹槍は、戦闘力も耐久力もない。
でもこの竹槍は自分自身であり、自虐の竹槍なしでは自分は自分ではいられない。

擬態しながら打ち続けるモデルガン。
その武器からは一向に本音は出てこない。
でも、このモデルガンは、自分の形を保つための特別な武器だ。

たりてる世界には何があるのだろうか。
きらびやかな世界なのだろうか。
そんな世界で自分は何を手にすることができるだろうか。

たりてない世界には、たりないふたりと、また明日のたりないふたり、そしてその次の明日のたりないふたり。
そこでは、たりないやつらが、「俺たち、たりてねえな」と言いながら、がむしゃらに己の武器を振り回している。
そして、たりないからこそ共鳴し合える。
新潟のDJ、大阪のラッパー。明日のたりないふたりは、今や世間を賑わす大スターだ。

たりてない世界、それって最高じゃないか。


『あ~たりなくてよかった~』

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私は、圧倒的に’たりてない’側の人間だ。
自分だってそれなりに環境には恵まれているはずなのに、そんな恵まれた環境をまるで生かせず、ただの野心もなく、そんな環境にあぐらをかきながら小さい妬み嫉みを口にしているような、人望の欠片もない奴だ。

そんな私は、さしずめ「嫉妬のひのき棒」といったような武器しか持っていない。

そのくせ、他人に嫉妬しそんな奴消えていなくなれば良いと思うくせに、そう思った数秒後には「ああ…なんて自分は器が小さいんだろう…」と自己嫌悪に陥る。

でも、

今回の明日のたりないふたり、そしてこれまでのたりないふたりの生き様に、

「たりてないままでいいじゃないか」
「たりてない君が、君なんだよ」

と、半ば諦めのように聞こえるけど、
「もうちょっと頑張れ!」「君ならもっといけるよ!」と言われるよりも、数百倍心が軽くなる言葉を教わった気がした。

そうだ、別にたりてる世界に、たりてる者にならなくなっていいんだ。
ダメなのは、心が弱いのは、たりてない。でも、たりてなくても、まあ仕方ないか。自分、たりない奴なんだもん。

自己肯定は、自分が立てた目標を達成したときしか感じちゃいけないなんて、誰に言われたんだよ。

たりてる奴しか自己肯定しちゃいけないなんて、誰に言われたんだよ。

私はたりてなくっても、それが自分だし、そんな自分を情けなくそして誇りに思えば良いんだ。

私はこれからも、些細なことで苛だち、嫉妬し、悪口を言うと思う。たぶん、絶対。
それでも、今までとこれからで明らかに違うのは、
この「たりないふたり」によって導き出された’自己肯定’ができるようになったこと。

本当に、「たりないふたり」にそして、若林さん、山里さんに、その生き様に触れることができて、本当に良かったです。
無観客だったけれど、画面越しだったけれど、私はこの日を一生忘れません。同じ時間を共有させてもらえて、本当に本当に救われました。


ありがとうございました。

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