本当は分かり合えたはずのあの子
人生の中で出会ってきた人の中で、悔いが残ったまま疎遠になってしまった人がいる。
彼女とは大学1年生のときに出会った。
第一印象は、大人しくて常識的な人だと思った。
サブカルが好きで、あまり饒舌な方ではなかったが明るくてほんわかしているようなそんな雰囲気だった。
接していて分かってきたことは、彼女はとても不器用であったということだ。
音楽系のサークルだったので、技術的な器用さがそれなりに求められていたのだが、とにかく彼女は不器用だった。
私はどちらかというとある程度まではすぐに習得できてしまうたちだったので、その不器用さに共感することはできなかった。
物事には向き不向きがあるので、それで別に彼女をどう思うとかは全くなかった。
彼女とはよく同じ仕事をすることが多かった。
趣味はまるで違っていたが、だんだん彼女のことを知るにつれて、この子とはもっと仲良くなれるんじゃないかと思い始めていた。
そんな矢先、彼女がサークルを辞めてしまった。
挫折、と言っていたのだろうか?
近しい関係の人には心境を打ち明けていたみたいだが、結局そこまで仲を深めることができなかった私は、憶測で考えるしかなかった。
こうして、大学卒業に至るまで彼女と話すことはなく、疎遠になってしまった。
これだけだと私にとってはよくある話だ。
環境が変わる毎に人間関係が変わってきた、というかリセットしがちな人間なので、今まで疎遠になってしまった人は本当に多い。
それはそれで別によい。そこまでの関係だったのだと割り切れる。
でも彼女は少し違う。
彼女とは、分かり合える気がしたのだ。
そう思うのはいくつか理由がある。
まず、彼女自身も人間関係をリセットしがちであるということ。そして非常に繊細な感性の持ち主で、傷つきやすく折れやすい。でも、芯はしっかりしていて、大事にしているものがある。
実は彼女のそういった面はどことなく感じていた。
根底に流れる血は同じ匂いがした。
気づいていたはずなのに、すれ違ってしまった。
それは私が原因なのだろうか。
私が言ったことが、行動が、彼女の自尊心をいつの間にか傷つけていて、彼女と私の間に透明な壁を作らせてしまっていたのではないか。
透明で、分厚くて、屈折して、光が真っ直ぐに届かない、そんなようなものが、彼女と私の間に存在していたのだろうか。
不器用と器用の対比みたいなものが、静かに彼女の心を刺してしまっていたのではないか。
こういうとき、自分に向けられた刃は敏感に感じ取れるのに、私自身が放つ無意識の矢の前では盲目になってしまう。
本当は分かり合えたはずなのだ。
いや、そう思ってること自体私の自意識過剰なのかもしれないが、共鳴することはできたと思う。
その先に下手な仲良しごっこをしようとか、そういう気はない。
ただなにか、’分かるよ’と言い合える存在にはなれたのではないだろうか。
とても悔いが残っている。本当はもう一度会って、「分かるよ」と伝えたい。
私から連絡したら彼女はきっと嫌がるだろう。
たぶん、私みたいな人間はそんなに好きじゃないと思うから。
ただの一方通行の思いなのかも知れない。
そんな風に思いながら、私はまたLINEを閉じる。
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