「近所 Vol.3」一首選<3>
2024年3月14日。
文学フリマ東京37で発行した「近所 Vol.3」(近所3)の中で、自分以外の作者ごとに1首ずつ選んで語ろうという回。
その時に選ばれた歌と選んだメンバーのコメントを、作者別に2名ずつ紹介するのに加え、ゲストの回を設けて、計5回に分けて紹介します。
4回目は、散田帽子さん、小林礼歩さんの歌です。
(1回目はゲストの御糸さちさん、2回目からメンバーの一首選を紹介していますので、そちらも是非ご覧ください!)
散田帽子
親の都合で情報が伏せられる「あるある」、だけど、別日にわざわざ新潟会場に行っている優しさ(※)。(本条)
(※詞書に新潟会場へ行ったことが書かれています)
生まれたてのきらきらした感じ、アフタヌーンティー感が素敵。(阿部)
「川を渡る」ほどの禁忌ではない出来事を「道をまたぐ」とした表現が好き。(黒澤)
日常のふとした場面から引き出された下句が秀逸。一線を越えるほどではないが生きていると時々道をまたぐことがあるのだ、と何かあったときに思い出したい一首。(小林)
美味しいという言葉を使わずとも、「うっ、それを飲んでみたい(ゴクリ)」と人をそそる歌だと思った。ただ、この歌を読み間違えていたことを後で知り、お子ちゃまな自分を恥ずかしく感じた思い出の歌になった。(新原)
実際に紙を唇に挟むことはあまりないし、具体的な例というわけでもないのになんだか共感してしまうところがいい。(宮原)
八月の灼けつくような屋上で汗もかかずに佇む姿。そこだけ時間か止まったかのようなただならぬ気配の中、「セスナ機の夢」のイメージが一首を鮮烈に貫く。かっこいいです。(花江)
「ガタンゴトン」という擬音が、閉店した店と客の、もの悲しく淋しい気持ちを感じさせる絵が浮かぶ歌。(大住)
小林礼歩
「彗星」の表現でキラリ輝く5点のマークへ注がれる待望の気持ちが、ベルマーク作業をしていない自分にまで伝わってきた。(新原)
短歌って、どれもひとつの小さな「歌」なんですけど、この一首は「ラップ」だな、と。「デザインあ」に出てきましたよ、環ROY × 鎮座DOPENESSの歌の一節ですよ、って言われたら信じちゃう。(本条)
子供の年齢に合わせて行く場所が変わる。さようなら、大好きだった、という上の句が良い、いつか使いたい。(阿部)
アトピーから子供を守りたいという親の必死さが「時間を閉ざす」にまとめられていて素敵。(黒澤)
「仕組み」という言葉のチョイスが光る。子どもの成長をよろこぶ親の愛情と、わが子を一般名詞化してしまうことで生じる可笑しみとのバランスが見事。(花江)
自分の事を「金貨」と例える発想、「GAPよ」と店に呼びかける所が小林さんにしか作れない連作の一首。(大住)
西松屋からの流れがあるからこその歌。GAPというのがとても絶妙で共感します。「私が金貨」の表現がすごい。(宮原)
激しく共感する歌。探しているものが見つからない、心身ともに疲弊し過酷な様子がよく伝わってきます。(散田)
<4>へ続く