「相手の為」100%なんてことはありえねー!ってことをまず理解することが大事だ
若い頃にふと考えて悩んだ瞬間があります。
「俺がこんなに教材研究頑張ってるのって、生徒の為よりも正直自分の為の方が強いんじゃないか??え、俺って教師向いてない?」
長期間不登校の生徒の家に週一回欠かさず1時間家庭訪問していた時にその生徒から「先生はさ、担任だからこういうことしてくれてるだけなんでしょ?」と言い放たれた時もズシンときました。
「お、、、俺はただの偽善者なのか?他の先生方はもっと自分度外視でいられるものなのか?そんなの俺には無理だな・・・」
でも、今なら分かります!
「自分のため」はあっていいんだ!!
ちょっと勉強してみたんですが、人間は相手のためになることをする時に強い喜びを感じる仕組みを脳に持つ唯一無二の生物です。それは脳科学の分野で科学的にも証明されているので間違いありません。(詳細はまた今度ご紹介しますね)
マザーテレサだってガンジーだって金八先生だって、誰かを助けているときにドーパミンやらセロトニンやらドっパドパ出ていたはずなんです。
つまり、そもそも「相手のためが100%」なんてありえないことなんですよね。
でもそこを理解せず、「俺/私はこんなにやってやっているのに!」という気持ちを態度や言葉に出してしまうのはどうでしょう?
それは「下品」です。一番やってはいけないこと。
ボランティアに行った人がせっかく良いことをしているのに「偽善者」なんて揶揄されてしまうのも、原因の発端はそこにある気がしています。【受け手が相当に捻くれてる場合もありますけどね。笑】
「私被災地のボランティアに駆けつけました!こんなに沢山支援と募金をしてきました!」というSNSの投稿もそこに「ドヤ〜」感が垣間見えた瞬間に苛立ちを覚えるのも、そう。それそれ。それです。
でも、かといってですよ!?
どんなに頑張っても全く相手に感謝してもらえないのもシンドイ話ですよね。
例えば80パーセント「自分のために」やっているであろうとしても、20パーセントは「相手のために」という気持ちが内在しているとしたら、じゃあその20パーセントに対しては受け手は何もしなくて良いんだろうか?
それもまた「下品」な気がしませんか?
「別に大したことじゃないよ!全然気にしないで良いから!」という
する側の【粋】と
「いえいえお忙しい中ワザワザありがとうございます!」という
受け手側の【粋】
両方が揃って初めて成立すのもんなんじゃないかなーって、、、
昨年「思いやり」の道徳授業を作りながら思い至り、
それからコンビニの店員さんの「いらっしゃいませ!」とか「ありがとうございました!」にもにこやかに反応する様になったとさ( ´∀`)笑
・・・いやあれって反応すべきか迷うことありませんか?笑
でも80パーセントくらい「仕事だから」言ってるだけかもしれないとしても、
20パーセントくらいは「うちの店を気持ちよく使っていただきたい」という気持ちが内在してるなら。そこに対しては感謝の意を表しよう!と僕は決めました。
人が自分にしてくれたことに対して「ありがとう」を言葉や行動で伝えることへのハードルが下がり、
自分がしていることに相手からの見返りがないことに対しての負の感情も大分少なくなって、僕は生きるのが結構楽になりました。
授業のために「たった数分間」立ち止まって真剣に考えてみただけでです。
でもそれだけで、色んなことが上手くいき始めました。(あれ?負の連鎖の逆ってなんていうの?正の連鎖??あんまり聞かないですね!)
ただそのたった数分間が、大人になると取れないもんですよね。分かります。チコちゃんに叱られるわけです。
この記事がそのちょっとした気付きのキッカケになってあなたを助けられたなら、
僕自身もドっパドパです( ´∀`)笑
「自分の為」にやってることが「相手の為」にもなるなら、一石二鳥じゃないですか!迷わずやりましょう♪( ´θ`)(本当にちゃんと相手の為にもなりそうならですけどね!笑)
トモ先生のこの記事のおかげで、とってもお下品だった頃の自分を思い出しました!自戒!ありがとうございます😆💔w
子どもたちを「粋に」導けるようになりたいものです👨🏫👩🏫✨
そのために一歩一歩、、、精進精進、、、
長い記事になってしまいました!(本当はまだまだ書けるけど・・・笑)
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!