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魯迅 故郷を読んで

みなさん、こんにちは。今日は「故郷 阿Q正伝」の中に書かれている「故郷」についての感想を書いていきます。

あらすじです

 僕という主人公は、20年以来に二千里も遠い故郷に帰ることになりました。というのも、かつて僕の一族の集まって住んでいた家は他人に譲ることになっており、母と甥の宏児を連れて、僕が住んでいる家へ引っ越しをするために帰ってきました。母と引っ越しの話をした後「ルントウがやってきた」という話題になり、僕は子供時代を思い出します。ルントウは僕と年齢が近く、日焼けした丸顔で、頭に小さな毛織の帽子をかぶり、キラキラ光る銀の首輪をかけている男の子です。ルントウは鳥の捕まえ方、チャーという猪みたいな動物からスイカを守る方法など、僕が知らない世界を色々と教えてくれました。そんなルントウの姿を見て、僕は彼を英雄だと思うようになりました。ところが、ルントウは親の事情でどこか行ってしまい、それっきり会うことはなくなってしまいます。
 僕が久しぶりに故郷に帰ってきて、数日経ったある日のことです。ルントウが僕のもとへ訪ねてきました。僕はルントウを見て、嬉しさのあまり、何を言っていいのか、わからない状態になっていました。しかし、ルントウは僕を見て、恐縮した態度で縮こまっています。馴れ馴れしい言葉でなく、部下が上司に話すような言葉遣いと立ち振る舞いをするルントウ。それを見て僕は、僕とルントウに壁のようなものが隔てられていると感じました。かつての英雄のような存在であったルントウは、今では顔色がやや黄色く瘦せ気味で銀の首輪もしておらず、僕を見てオドオドしている様子でした。ルントウは子供の水生を育てており、安い賃金で生活していくのがやっとで、苦しかったため、僕の実家にあった不要品を彼にあげました。
 故郷出発の日。ルントウと挨拶を少し交わしたのみで、別れました。船出中に宏児が「いつ故郷に帰るの」と僕に尋ねてきました。「もう、故郷が恋しくなったのか」と僕が言うと、宏児は「水生が遊びに来いよと言ったから」と答えた。それを聞いた僕と母は再び、ルントウを思い出すとともに、ルントウの話題を話し始めました。出発前に、宏児と水生が故郷近くの場所で無邪気に走り回っていたのを、僕は思い出します。それは、僕とルントウが壁の隔たりもなく、無邪気に遊んでいた少年時代の記憶です。年を取るのにつれ、心や身体、知識、経験が身につき、大人になっていきますが、幼い過去は徐々に忘れていきます。しかし、宏児と水生には、その幼い記憶を忘れず、壁がない関りをいつまで続けてほしい。そして、今生きている子どもたち全員も、僕とルントウのようになってほしくない。子どもたちは今まで味わったことのない日常と希望に満ち溢れた人生を歩んでほしい。徐々に離れていく故郷を見て、僕はそう思いました。

感想です

誰しもが自分のなかに故郷があります。故郷で過ごした思い出や風景、人など、ふと思い出し、懐かしさを覚えます。しかし、時間の流れは過ぎていくもので、久しぶりに旧友と会うも、皆それぞれ変わっています。結婚して、子供ができると、会う機会や話す機会も限られていきます。学生時代、気軽に会って時間を忘れるぐらい話をした時間は、今は少なくなってきたと思います。「今は、時間あるかな」や「久しぶりに会わない?」などといった言葉をかけたり、もしくはその言葉をどう受け止めたらよいか。といったものが、無意識にお互いが気遣っている風になっています。それが積もり積もって、なかなか連絡することが少なくなり、壁ができていく可能性があると思います。仕事のこと、家事のこと、子供のこと、お金のこと、人間関係のこと、大人になれば悩みが増えていきます。しかし、かつて子供だった記憶のことはいつまでも忘れず、旧友と気軽に連絡・相談できるような関係を持つことが大切だと「故郷」を読んで思いました。

最後に「故郷」で印象に残った文を載せておきます。

ぼんやりとしている僕の目の前では、一面に海辺の深縁の砂地が広がり、頭上の深い藍色の大空には金色の満月がかかっている。僕は考えたー希望とは本来あるとも言えないし、ないとも言えない。これはちょうど地上の道のようなもの、実は地上に本来道はないが、歩く人が多くなると、道ができるのだ。

引用 「故郷 阿Q正伝」 魯迅 訳 藤井省三 光文社古典新訳文庫

いつまでも純粋な心を忘れず、壁を作らないような人間関係でいたい。そう思う人が増えれば、いつの日か、お互いがよりよい関係を築き、誰かを思いやる心を持っ人が増えていく。道しるべのようなものとして。という私の主観です。

読んで頂きありがとうございます。


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