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"THE LEPLI-ARCHIVES"/#149-アンデルセン 童話、「裸の王様」が比喩するファッションビジネスの根幹、 "The fashion is always in fake."という世界。

初稿 / 2016年9月30日:
文責 / 平川武治:
写真/ 絵 村上 豊,「はだかの王さま」三起商事発行 1987年刊:

 1)皆さんは童話「裸の王様」を読んだことはありますね。
 デンマークの童話作家、アンデルセンが1837年に発表。原題 "Kejserens nye klæder"で、
日本語に直訳すると「皇帝の新しい服」となるいわゆる、二人の王様お抱えの
”服飾ペテン師”の話です。
 が、アンデルセン自身もユダヤ人でしたからこの童話は多くの比喩がなされていますね。
この童話の幾つかの比喩が現在の”ファッション・ビジネスの世界”の祖型を構築している根幹の全てです。
 この童話が世に出たヨオロッパの1837年には、あのモールスが有線信号を実用化し、
「産業革命」という言葉が初めて使われ始めたのもこの年からであり、
ヨオロッパで新たな市民社会が躍動し始めた時期だったのです。
 「衣装品」の世界も手工芸の機織りから機械生産が始まった時代でした。
そして、アメリカの発明家ウォルター・ハントが、ロック・ステッチ(本縫い)ができる
ミシンを1837年には開発されいわゆる、量産が可能になり始めた時代でもあったのです。
 だから、僕が見てしまった40年間ほどのファッションの世界も
未だに、この童話「裸の王様」の世界から学んだものであり、
現実の社会環境というよりは”技術”の発達と進化によって齎された生活環境に便宜性と
時間のゆとりが変化しただけであって、物事の”善悪”と人間の”業欲”の根幹はほとんど、
この時代によって既に、構築されたもので以後、これらは”普遍的”でしかありません。

 2)僕の立ち居場所のファッションの世界とは、"The fashion is always in fake."
 僕はよくこの言葉を発言しますが、この発端は僕なりのこの「裸の王様」の読後感と
その後の経験からの学んだ言葉で、この”FAKE”で成り立っている世界そのものが
やはり、”ファッションの世界”なのでしょう。
 これは作り手であるデザイナーや売り手であるセールスマンそして、作られた作品としての服がこの”FAKE”で成り立っている世界そのものが”ファッションビジネス”だということです。
 そのファッションの世界が今では、”広告産業”と化してしまったということも
これで納得がいくでしょう。広告産業の根幹もこの”FAKE”ですからね。
 この”FAKE”を「イメージや付加価値或いは、なりすまし」と訳せば、事は簡単です。
そうすれば、「アート」の世界をこのファッションの”FAKE”側に立っている人たちが
低俗に渇望することも理解できますね。

 3)「現代美術」とはユダヤ人たちが作り上げた”芸術”という構造の上に、
 
”芸術”をビジネスとした20世紀最後で最大の一番、知的で教養ある
そして、巧妙な”FAKE・ビジネス”の世界でしょう。
 その世界を”美意識と虚飾”によって見習ったファッションの世界の作り手である
デザイナーたち自身の立ち居場所とその”来歴”には多くの”FAKE”が見つけられます。
 これは僕のパリモード30年の経験で言える事です。
当然ですが、日本人デザイナーたちの多くもこの部類の人たちです。
何かしら、自分の経歴や来歴それに、育ちや環境について、学んでいないのに学んだように
また、自分が作っていないのに自分の創造のように発言したりと平気で偽りの厚塗りを行ってその立ち居場所を虚構している人たちです。
 僕の立ち居場所であるこの”ファッション評論”の世界で、30年以上もこの世界の住民たち
多くの人たちとの関係性を見てきた経験と体験から、
僕は、「このファッションの世界の人たちで、”尊敬”できる人たちは案外、少ない。」と
言い切っている根幹はここにあります。

 4)その根拠性は、あまりにも彼らたちの多くが、
 
”小さな嘘”を当たり前のように吐く日常性が彼らたちのかっこよさを生み、
そして、彼らたちのセンスと教養をより、”上塗り”しなければならないために、喋りすぎる。
解ったふりして”持ち上げている教養浅き”人種たちの多くのファッション・ピープルと
その周辺の傍観者たちがファッション・ジャーナリストと呼ばれている殆ど、”パラサイト”な人種たちがこの世界の現実の住民たちです。
 彼らたちは、所謂、「持ちつ、持たれつ、」という世界観が既に、構築されているのです。
ですから、この虚構構造を企業構造として”カネと小さな嘘”でジグソウパズル・ゲーム
よろしく”上書き”を絶えずしながら「壁紙」を堂々と強かに且つ、楽しみ、カッコつけが、
厚顔に出来る現在の立ち居場所に君臨してしまっているファッションデザイナーたちが
”巨匠”的存在になるのもこの世界の特徴でしょう。
 ここにはかつての、「純金の輝き」から、「鍍金の輝き」になってしまったファッション・
ビジネス社会の表層と現実があります。
 この多くの事実の根幹は周りから、「自由な発想でカッコよく、出来れば少し、知的に
見られればいい。」のレベルの”FAKE”さでしょう、だから罪にもならないのでしょう。
 例えば、このFAKE構造のためのシナリオを書いたり、自分たちのデザイナーを
より、”鍍金の輝き”にするためにプロテクトする立場の人たちが”プレス”という職域の人たちと彼らたちに”パラサイト”している先述のファッション・ジャーナリストたちで
構成されているのがこの「裸の王様」をコンテンツとした世界であると
実体験してきたのが僕のパリ・モードとのあるいみでとてもかなしい、
関わりの30年でしょう。

 5)もう一つの世界に、この「裸の王様」ではある種の”アンタッチャブルな”世界もある。
 
この世界とは、実際に「服」というモノ=消費財を生み出す、”生地屋さんと縫製工場”の
世界です。
 しかし、多くのジャーナリストと呼ばれる側の人たちもこの実世界には立ち入らないし
また、入れない掟もある。
 この世界は”作る”ことが勝負の世界ですからどれだけの”モノ”を作れるかという”実力世界”
なのです。だから、この世界へ立ち入るのは”業界メディア”とされている、より専門的な
視点とスキルと経験を持った殆ど、”職人的”なあるいは、より専門的な世界の職域なのです。
 現実には”素材”や”縫製技術”を語れる経験と教養とスキルを持ったジャーナリストという
立場の人たちが世界レベルでは少数でありより、少数になってしまったのも現在であり、
また、”メディアという広告産業+e-コマース”の発達で現在ではこのタイプのジャーナリストほとんど必要のない世界になってしまっていますね。
 したがって、この世界は大手資本企業が湯水のように広告産業への広告出稿料を出すことによって、自分たちのお抱えのデザイナーたちがどれだけの”金の卵”を生み続けられるか、
この構造の規模が違ってくるだけなのです。
 この世界は、”ピン”は世界のラグジュアリー・ブランドのデザイナーたちから、
”キリ”は東コレ構造にパラサイトしているデザイナーたちの現実状況でしょう。

 6)従って、プレス業務とはそのためにどのような役割なのだろうか、
 
メディアとお付き合いをするか?あるいは、どのようなジャーナリストたちと
お友達関係を築くか?が具体的なお仕事ですね。
 この現実も世界に出てみるとファッション産業の世界はほとんどがユダヤ人民族で
構成されているという事実に関係しているでしょう。
 彼らたちの秀でた特性の一つに”美意識”が高い事と”無いものを在るように見せること”が
上手くそして、白人世界では”手先も器用”です。
 この彼らの特性は「アート」の世界やファッションの世界に特出した特性なのです。
例えば、「付加価値」という言葉、確か’80年代のマーケティングの世界で言い尽くされた
言葉でしたが、彼らたちはこの広告業界の根幹コンテンツ、「付加価値」の創造が秀でて
上手いことでしょう、すなわち”頭が良い/スマートな”人種なのです。  
そして、「ユダヤ人世界」という普遍的なる”関係性”を堂々と使いこなせる、
もう一つの強みを持っているからでしょう。
 例えば、この歴史的現実を学ぶには、二十世紀の当時の新しい学問であった”精神分析”と
”心理学”から大衆と少衆たちをどのようにマインドコントロールしてきたか?
このプロセスとその結果、広告産業を生み、政治へ利用し、
中産消費社会構造を誕生させたプロセスと、
この二十世紀の資本主義社会に何が重要な課題であったか等の映像があります。
これらの世界をドキュメントフィルムにまとめられた素晴らしい力作映像です。
 原題は"The Century of the Self"、「自我の世紀」という訳されたもので、
G.フロイトから戦後の”消費資本主義世界”がどのように彼らたちによって、
コントロールされて二十世紀という時代が生み出されてきたのか?
約3時間以上に上る英国のBBC放送局が制作したこの世界のドキュメントフィルムの
素晴らしいものが現在でもユーチューブで見ることができます。
(興味深い英國BBC制作のドキュメントフィルム:参考/"The Century of the Self":
<a href="https://www.youtube.com/watch?v=eJ3RzGoQC4s">https://www.youtube.com/watch?v=eJ3RzGoQC4s</a>

 7)もう一度、アンデルセンの童話、「はだかの王さま」を読んでみてください。
 そして、"The fashion is always in fake."を皆さんなりに考えてみてください。
ここでみなさんは理解されたでしょう、「実際に、服が作れなくても、
作らなくても、さも自分が作ったような顔つきを上手に、したたかに素早く権力者に
あるいは、お金持ちたちに取り入れば、関係性を構築すれば、
自分たちは美味しいものと女たちにありつける環境が手に入る。」
 この実際の世界を比喩したのが、前出のアンデルセンの"Kejserens nye klæder"/
「裸の王様」という”童話”ですね。
そして、この1837年に書かれた童話の根幹は、"The fashion is always in fake."です。
 ここには、それなりの人たちがファッションの世界に憧れる根幹が
すでに、コンテンツ化され、学び、深読みできる童話になっていますね。

初稿 / 2016年9月30日。
文責 / 平川武治。


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