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"The LEPLI" ARCHIVE 92/   『”五感をデザインする”という新たな発想。 「皮膚感覚と人間のこゝろ」から学ぶ。 』  

文責/平川武治:
初稿/2013年2月21日:
写真/The hand of Malick Sidibe at BAMACO MALI on 2009:

「表層のカッコ良さから目覚めた眼差し。」
とでも呼べるあやうい美しさなのでしょう。
が、その根幹は一瞬の眼差しの交差だった。

 1)”見た目”というイメージに委ねた世界の終焉?/
 ある時期、嘗ての’90年代後半からの、
もう既に、古くなってしまった感を感じてしまう
ご存知の、あの当時のアントワープ アカデミーでも
“表層のデザイン”としての、”形骸的なる驚き”を服化する事を
西洋人の美意識外への方向性へ委ねて、
そこに現在に生きる女性像を重ねあわせた自我の世界を、
”特殊性”あるいは、”特異性”として教えていた。
あの頃は未だ、“イメージ”が先行していた時代でした。

 結局は”自心のこゝろの有り様”を覚悟し、重ねあわせるのか?
”自心のこゝろの有り様”の差異を写し取るのか?
その時の眼差しの広がりと深さを何処までに?
ただ、表層を切り取る事は技術的にも容易な時代になってしまった。
 写真でも、言葉でも、モノでも、”表層文化”というのだろうか?

 2)これからの新しさとは何で時代の表層を切り取るべきなのか?/
 『 頭はすぐに忘れます。
こゝろは感じます。
躯は覚えています。』
 この三位一体が今後のクリエーションの一つの根拠性へ
繋がってゆくのだろうか?

 ここで僕は一昨年から“五感”を学び始めました。
身体における五感、
仏教における五感、
哲学における五感、
モノに現れた五感、
作品に使われる五感、
生活に必要な五感、
そして、自らにとっての”五感”とは、

視覚+聴覚+触覚+味覚+臭覚=五感。
結局は、このバランス在る”調和”とは?
時代を象徴出来るバランスとしての”調和”とは?
そのとき、服とはどのような佇まいと
ありようを姿として見せるのだろうか?

僕が感じ、発言して来た、現在という時代性は、
”視覚+聴覚”のみがより、先攻、先鋭化してしまった
時代性というほか在りません。
これでは人間”という哺乳動物が、
この生命体が益々、異型化して行く進化は拒めません。
新たな時代への、新たな”五感のバランス化”という問題を
定義しなければ、
四足歩行から二足歩行へ進化した人間が
一番進化した感覚は“視覚”だったのでしょう。
が、

 3)『皮膚感覚と人間のこゝろ』から学ぶ。/
 『皮膚感覚と人間のこゝろ』という本があり今、読んでいます。
学ぶところが多く、興味たくさんの内容の本です。
“皮膚感覚”で作るイメージ。
“皮膚感覚”でデザインする服。
“皮膚感覚”で読む評論。
“リアリティ”が先行してしまった時間軸には
“皮膚感覚”に因って、躯で覚えてもらう。

頭脳が先行するのみの時代は後退してしまった。
理屈でこね回す世界はカッコ悪くなる。
"日常”をどのように経験して”五感”で感じるか?
この様な時代性では“皮膚で感じる”事の
直感が一番的確でしょう。
その時の形容詞とは?
ぞっとする、ざらざらする、粘り着く、むずむずする、冷ややかな、
温もり、よだつ、痒い、くすぐったい、こそばゆい、ひだるい、気だるい、
寒い、熱い、暖かい、冷たい、ふんわり、じゅっくり、滑らかな、
つるつる、、、、、
ここから浮かび上がってくるイメージの世界を想像する。

日本の従来からの”美意識”を表現する言葉は
この皮膚感覚/触覚感覚の言葉がその大半でしょう。
http://www.sony.co.jp/Products/SC-HP/cxpal/vol82/pdf/angle82.pdf
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/31247/1/WasedaNihongoKenkyu_01_Hosokawa.pdf

参考/『皮膚感覚と人間のこゝろ』/伝田光洋著/新潮選書刊

”太陽を 追ってちかずく 灯る巴里"

文責/平川武治。
初稿/2013年2月21日。

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