
"THE LEPLI-ARCHIVES"#155 『 ”NOIR” 僕の好奇心を擽る二宮啓君の巴里でのミニ・コレクション。』
初稿 / 2016年10月19日:
文責/平川武治:
写真 / The shadow & brain.
「エレガンス」とは、立ち居振る舞いから生まれる”しぐさ”が
美しく調和感のある様のことである。
1)イントロダクションとして、
このメゾンの最後発のメゾン・ブランド”KEI NINOMIYA"のオリジンは
90年代初めに作った”CdG NOIR"であった。
ソワレや婚礼を意識して当時作られたブランドだったが、当然であるが、
そのほとんどがメディアへのイメージング・サーヴィスで終わり、在庫となり、
その多くは京都服飾財団へ寄贈された。
しかし、ここにも女性としての川久保玲の”夢”を僕は見てしまっていたし、
その後、ここで使われていた手法の”THINK BIG"やディーテールは
現在の川久保玲のコレクションへも引き継がれている。
2)僕が初めて彼、二宮の展示会で見た少数の作品は
当時は未だ、全て、”手仕事”でまとめられた見事な”職人根性”で作られていた。
その後、その名の通り”黒”を使っての新たなブランドも3年目を迎える。
このメゾン・ブランドでは出し得なかった何にか、”人間的な温かみ”を感じさせるまでの
作品を、その最初の技法としての装飾は”刺繍”によってこの恵まれた若きデザイナーは
必死で生み出していた。
幾シーズンかをこの技法を主としたのち、
彼も僕的には”WITHOUT SEWING"プロジェクトのカテゴリィーに入る作品を
レザー・カット手法を使って手がけるようになった。
3)僕はこの当時の彼の作品に、日本古来の”鎧”を感じ取っていた。
僕は日本人の歴史において、戦国時代の”戦国武将”たちが身につけた”鎧”とは、
その武将の”地位と権力と強さ”をそして、矢や刃からも身を守る”機能”も考えられた
”装身具”であり、見事に当時の”日本美意識”によってデザインされ作られた優れものであり、世界に類を見ないものとして色々な資料を漁っていた時期があった。
西洋でも勿論、”鎧/ARMER"はあったが、実践的であり、機能優先がそのほとんどで
装飾性における”美しさ”では、日本の”鎧”が見事に勝っていた。
その後の、”江戸時代”に目を向けると”商人文化”が芽生え始め、
室町に誕生した利休による茶文化の美意識を根幹にいわゆる、”商人旦那趣味”へと、
彼らたちは当時の金に糸目をつけず、茶道を軸に花道、香道から、日常の生活美に至るまで
日本美が何たるであるかを誇示するまでのこれ見よがしの”手工芸品”を別注し
その収集に勤しんだ、儒教を下敷きにしたいわゆる”商人文化”の開花があった。
しかし、僕はこの江戸文化の美意識の根幹にあの戦国武将たちの”鎧・兜”の
武士の偲びの美の世界があると感じている。
4)江戸の町民文化が現実に求めたものは
”兜・鎧”で使われていた素材と表面加工のバリエーションでしかなかった。
”鎧”は竹であり、革・毛皮であり、金・銀であり、銅板・真鍮・鉄板であり和紙であり布と
そして、漆加工や鞣し加工、象嵌から印伝加工や打ち出し加工、刺し子などの素材と手法を
”組紐”や”マクラメ”によって全体を組み合わせていた。
これらの素材と加工技術が江戸時代には当時の豪商たちの”生活工芸品”へと進化発展した。
この時代による”美意識”の進展化を考えると
今後のモードの世界にも「ミシンと糸と針」で縫うだけの世界ではない”衣装”の世界が
可能であること。
しかも、この世界は1点制作であり、これは日本版元祖”クチュール”の世界であり、
現代においては”コスチューム”の世界であるという視点が働き、
僕は、”WITHOUT SEWING"プロジェクトを思いついたのである。
5)当然この裏には、”ユダヤ人たち”がすでに制覇してしまっている、
世界のモード界そのものである"ファッション・ゲットー”から、
出来るだけ、遠く離れた距離感と新たな世界そのものを構築しないと
これからのモードを目指す才能多き、ユダヤ人以外の若者たちの”たち居場所”は
すでに限られてしまっているという僕の経験からの発想と思惑もあったからだ。
できれば、このアイディアを東京と上海でヴィエンナーレ方式で
世界中の「あたらしい自由」をモードの世界に求める、人種を超えた、
今後の”カラード・クリエーター”たちが大いに活躍出来るチャンスを提案したいとまで
考えていたプロジェクトである。
6)話は少し、飛んでしまった、二宮啓君のミニ・コレクションへ戻そう。
彼のコレクションをこうして”ショー”形式で見せていただくとそこには
「黒のバリエーション」という彼独特の世界が見えてくる。
”黒”が色々な色に見えてくるのだ。
この世界は、今では残念ながら見えなくなってしまった、かつてのCdGが挑戦した世界。
そこに彼の持ち得た”美意識”と”文化度”が、”手の器用さ”と”頑固さ”が
彼、二宮啓の「あたらしい自由」の世界を生み出している。
そして、僕が彼を信じるところは日本人デザイナーがこの若さで
すでに「エレガンス」をデザインしようともがいていることである。
それらはショーで垣間見ることもできるが、
展示会へ行き、バイヤーたちが実際のサンプルを試着している折に最もよく判ることであり、「軽み」と「重み」のバランスを生み出すために造形していると感じるまでの世界が
ここにはある。
パンチング、テーピング、モチーフ、ドット、メッシュ、工業用素材などを本当に自由に
使い組み合わせられた世界は”パーツ オブ ボディ”の世界でもある。
蛇足ながら、当然だがこれらの素材による小物の世界もいい。
「クチュールの仕立てが素晴らしいこととは、仕立て上げる過程で着る女性の”肉つき”を
パターンへ落とし込む回数が多いことがその価値の根幹である。」
7)着る女性の”しぐさ”による「エレガンスな”様”」を生み出すには、
パターン・メイキングがうまくないと生まれ得ない。
パターンが出来ないデザイナーたちのものは平面的なデザインであり、
作るデザイナーと同じように、”薄っぺらい”服になってしまう。
いわゆる、外国人たちからは、”平面的な服”と言われてしまう世界でしかない。
ここが僕が言うところの「壁紙デザイナー」であり、
「東京デザイン」とカテゴリーライズしている所以の一つである。
このタイプのデザイナーに共通するところは”表層の装飾”が過剰になる。
あるいは、テキスタイルに凝り、デザインに凝る世界、手工芸的な熟しと、
「見立て」に拘ってしまうものであり、このような世界は、
着ると美しさがその着た人の立ち居振る舞いに現れない、服が歩いているような世界。
そして、最近のようにPCが発達してしまったこの世界ではその結果はより表層的になる。
デザインの主要なところがCADに委ねたり、インジェクション・プリントや異素材の
組み合わせに依って構成される傾向も要因でもあろう。
また、ショーがインターネットやSNSで見れることの功罰の一つとして、
ネットで他のデザイナーのショーを見て学ぶデザイナーたちは、
”正面”のデザインにのみ凝る。
しかし、やはり、いい服とは「着た女性がどれだけ、癒された”エレガンス”な女性へ
変身出来るか?」でしかなく、”どれだけ目立つ”かではない。
パターンを大事に思い,上手なパターンナーがいるブランドの服は動きを作り、
着た”女性のしぐさ”を美しくするのだ。
すなわち、「エレガンス」が生み出せる世界を構築できることである。
8)これが、「いい服」を仕立て作るというクチュールから派生した世界でした。
例えば、かつての”アパレル”ブランド、最近では”SPA"ブランドやフアスト・ファッションの
商品はこの”付加価値”が生み出せない。
そもそもこの街で誕生した”プレタ・ポルテ”の世界はこのクチュールと既製服の距離感からそのビジネスにおける”立ち居場所”を持ち得ることができたことがであった。
巴里において60年代も終わりに近い頃、この世界を初めて提案したデザイナーが、勿論、YSLであった。
ここに彼の、この世界における「あたらしい自由」と「新たなパラダイム」を生み出した
素晴らしさと功績が潜んでいたはずだ。
そして、未だにこの”クチュリエ・メゾン”が出す”プレタ・ライン”が、
”ラグジュアリィー・ブランド”と称してその商品価値を”金メッキ”に変換させた
ビジネスをしている状況もここに由来している。
現在の大半の”ラグジュアリィー・ブランド”の商品の生産工程も
既に、”SPA"と同じ環境と状況で生産しているのがファッションの”グローバリズム”と
言われる所以である。
ここでのデザイナーはディレクターと呼ばれ始めて、その役割とは、”広告宣伝”のための
イメージングとメディア対応の話題つくりでしかない。決して、「ファッションパラダイム」を
あらたに構築するまでの根幹は持っていない、「ファッションDJ」の進化系でしかない。
そう、ラフ君や最近では、ヴェットモンたちのように。
9)”NOIR”二宮啓は恵まれている否、川久保玲に守られているラッキーなデザイナーだ。
彼、”NOIR”二宮啓くんの”世界には確実に、このメゾンにおける「あたらしい自由」が
期待されそして、溢れているのが現実であろう。
このメゾンでは優遇される、”手が器用な”デザイナーであり、自分でコツコツ手仕事をするタイプのデザイナーであり、そのほとんどが当然であるが、
川久保玲に憧れてこのメゾンの戸を叩くであろう。
が、このレベルでこのメゾンへ入るともう、”負け”である。
良くも悪くも”使われる”だけである。これは企業の論理でもある。
自分にあって、その環境には無いものあるいは、少ないものの世界へ挑むことによって、
そこに初めて、自分の”たち居場所”が生まれる可能性があるはずだ。
ここには自分の持ちえた「差異」による「覚悟」と「勇気」が必要になる。
例えば、帰国子女達の多くが、”外資系”なる企業へ就職したがる。
それがステータスであると言わんばかりにしかし、この世界での語学はここで働く外国人達にとってのネイションランゲージである。
したがって、少しばかりの語学力も彼ら達に”便利に使われる”ためでしか無いレベルであり、その世界そのものが外国語が当たり前な世界でしかないからだ。
ならば、外国語が最も程遠い世界でその喋れる外国語を使うことの方が価値があるし、
次なる可能性が生まれる。この考え方が現代日本人には少ない。
10)さて、彼の”Golden Hand"は次なるは、
どのような世界を目指すのであろうか?
もう”刺繍の世界”へは近づかないのだろうか?
この”刺繍の世界”は世界共通言語であり、人に、感動を与えられる世界であるはずだが。
”鎧”の世界と”刺繍”の世界のコラボ?に
僕は彼の”Golden Hand"による「新たな自由とパラダイム」を夢見てしまっているのだが、
初稿 / 2016年10月19日。
文責/平川武治。Morocco、Tangerにて、