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"The LEPLI" ARCHIVES-78/ 妄想的、「コムデギャルソンの37.2度」 晩夏版 。

文責/平川武治:
初稿/2012年8月11日:

「立秋過ぎた夏。
吐き出されるような残り陽に戯れとご注意を。
残暑お見舞いに代えて、ひらかわ。」

 「僕が一番好奇心を持ってご挨拶をしていたAnna Piaggiが亡くなられた。
その彼女の存在そのものが”モード”だったanna。
 幾度か、アントワープアカデミィーの審査でご一緒しその後、
お話を交わす様になった、
僕には最も興味あるそして、信頼出来る
ファッションジャーナリストの彼女でした。
着る事、即ちファッションする事そのものがお好きで、
いつも周りを楽しませてくださっていた。
そんなおこゝろを使っていらっしゃた
フランスに居ないタイプのジャーナリストでした。
こゝろより、お悔やみを申し上げます。
どうか、御成仏なさってください。」

 インデックス/*或る友人とのメール交信+α/
1)『“FAKE"によって人間のリピドーの一つである
”欲望”をいかにコントロール出来るか?』/
2)『妄想としての『コムデギャルソンの37.2度』/
 
3)『“五感の再バランス化”』/
4)『CdGの"Dover Street Market-GINZA"は、』/
5)『シナリオが描ける妄想力、豊かな人材がいませんね。』/

 *或る友人とのメール交信+α/
1)『“FAKE"によって人間のリピドーの一つである
”欲望”をいかにコントロール出来るか?』/

 「そうですね、
哲学=根幹を学習して来なかった戦後の僕たちや
後進国と言われている国々では、
未だに、”表層的な物作りと物売り/distribution”が
“広告産業=情報産業”というプロセスの上に立った消費国家経済の
主軸というシステムから脱皮されていないのが現実でしょう。

 という事は、根幹を学んで来なかった”豊かなる難民たち”と
彼等たちによって教育され、甘やかされたガキどもたちそして、
ゆとり教育世代たちが主役であるこの奇天烈なポジティフ社会の根幹は
案外、焼け跡時代の“戦後システム”から何も変わっていないのでしょう。
それを利用しターゲットに活性肥大化する為の“広告産業=情報産業”という構造が時代の新しさとして参画参入しただけ。
 以後、この類の産業は資本主義に於ける分かり易い消費社会の
ヒーローたちになりましたね。

 この産業の根幹は“FAKE"によって人間のリピドーの一つである
”欲望”をいかにコントロール出来るか?の世界でしょう。
(“FAKE"=付加価値=イメージ=表層=いかさま=似非=虚業=虚飾=カッコ付け=“ゴッコ”=“やらせ”=不自然等など、="なりすまし”)
 
 “20世紀”のもう一つの本質とは、
“距離の短縮”の為の諸産業に加えて、
特に、戦後以降は新たな時代の人間が持ちえた
「”欲望”の民主化」によって、この“FAKE"産業が進化発展を遂げて
構築された時代であるとも言えるでしょう。
 そして、“20世紀”は“距離の短縮”産業を基盤として
これら、“広告産業=情報産業”からどのようにお金を儲けるか?
即ち、どのようにカッコ良く"FAKE"するか?が
現在の優先され、出来上がった世界と時代性ですね。
 ここには”距離の短縮”+”情報”+“広告”+”FAKE”+”サイバー世界へ”という新たなスタンダードによって進革した構造が読めますね。

 ファッション産業も“流行”という情報と広告と欲望をミックスされた
カテゴリーであって、
従って所謂、”芸術”の世界ではありません。

 2)『妄想としての『コムデギャルソンの37.2度』/ 
 この手の、遅れて来た”20世紀”手法では
”ファッションゲットー”でのゲームは闘い辛くなるばかりでしょう。
 もう魔力/魔術は使えません。
このレベルでゲームするとすぐにエネルギィーが無くなり、
エネルギィー補充が頻繁に必要になる。
一つは”資金”というエネルギィー、
もう一つは、”クリエート”というエネルギィー。
この2つのエネルギィーの循環装置が頻繁に必要ですね。
若しくは”新陳代謝”機能ですね。
 この為の“イメージング”という潤滑油が必要だった
時代性と効力は変化,減力し始めています。

 ここに“21世紀”のためのコンテキストが必要になるのです。
所詮、今後も変わらぬ資本主義世界における消費社会、
”商い”と言う土俵の上ですからね。
 ですから、この二つにどれだけ嘗て、存在した時代を喚起する迄の
武器としての”特意性”や”差異化”によって、
新たな『世界』として創成出来るかに係ります。 
 ただの“特殊性”は現代では、時代の平常のバリエーションの
“one of them"でしか在りません。
そこで考えられる武器として、
この企業が未だ、今後もどれだけの”特意性ある世界”を創成出来るか?
 または、もう一つの発想としては、
かつての、CdGの”前衛的体験”のパーツを分解、特化し、
時代に迎合した“CdGの世界”を新たに構築してゆくかですね。 

 ここには”普遍的なる”コンテキストが在ります。
それはもう既に浸食し始めている、
”中庸の世界”のブランド化を実施実行することです。
 コンセプトは“手頃な洗練さ”/Going Out in Style.“の
”コムデギャルソンワールド”の中庸化です。
 そして、このコンテキストの根幹は、
『真の保守主義とは人間の本性にも社会慣習にも適応出来る概念である。」
 参考/Edward O. Wilson著/「知の挑戦』第十二章”行き先”
山下篤子訳より、(P.339 )

 3)『“五感の再バランス化”』/
 特効薬としての新薬はこの”CdGらしさ”と言われているものによる
“五感の再バランス化”でしょう。
"視覚”と”聴覚”に多くを委ねないところの
地球的発想とサイバー的発想をミックスしたハイセンスな好奇心を
喚起する“The 5th. Sense of Re-Balance"を空間化する事でしょう。
この新薬はブランドCdGらしさを新たに構築出来る
おおいなる可能性でしょう。
 
 企業の可能性の結論は、どれだけの”資金”と”モノ”と”人”、言う
3つのエネルギィー源が潜在しているか?
それを産み出す為の関係性と言うシステムが構築されているか?
これに尽きますね。
 あとは“ソフト”ですね、“妄想”と“人”です。
誰が奇天烈な妄想を出せる人材か?その役割の人材が居るのか?
このCdGでは勿論、それが複数であっても“川久保玲”の分身の育成に掛かりますね。 
 CdGも今ではきっと、持ち得た世界レベルでのこの”システムと
プロセス”が織りなす”傲慢”という名のテクスチュアーの渦中でしょう。
 かつて、ドロシーも巻き込まれてしまった“竜巻”の中、
抜け出したその彼方とは? 
向こうに見えるOZの魔塔???
 早く目覚めないと、早く目覚めないと、(映画、”OZの魔法使い”から、)

 4)『CdGの"Dover Street Market-GINZA"は、』/
 嘗て、この”銀座”にはそれぞれの時代に“銀座”を代表し、
日本人の為の時代を喚起したお店が在りました。
『丸善』が在りました。
その次に出て来たのが『和光』でした。
それから?もしかしたら、『サン-モトヤマ』であり、
『ザ-ギンザ』であったでしょう。
 そして、これらの“お店”に常に対峙した
『三越』が暖簾を張っていました。

 “銀座”という街並が、界隈が未だ、贅沢という名誉と躾を持って
“耀き煌めいていた”時代でした。
この後はご存知でしょう、散々たる界隈に成り下がってしまいました。
海外ブランドの出店に飼い馴らされ、
その後は、フアストファッションに翻弄されているのが
今の”銀座”の現実でしょう。
 そこへ進出した僕たちのCdGの"DSM-GINZA"は
本来の企業オーナーの嗜好性と
「大集体=業/カルマ」だったのでしょうか?
“腐っても鯛”という時代性を読み込んだ
社長好みの意外な本心、保守王道コンセプトの為なのでしょうか?
それとも、”ご近所さん勿論、UNIQULO”との
新たな関係性も見込んでの事でしょうか?

 果たして、僕たちのCdGの"DSM-GINZA"は
次なる『丸善』や『和光』や『ザ-ギンザ』になり得るのか?
日本に於ける『中庸』を代表し、
”時代”と”界隈”性という匂いをまき散らす
エゴな“暖簾”が掲げ続けられるのか? 
 今も、嘗ても“前衛”というレッテルで
そのファンたちを喚起して来たこのブランドCdGにとっても、
繰り返しですか?歴史は。

 5)『シナリオが描ける妄想力、豊かな人材がいませんね。』/
 21世紀は“根幹=アーキテクティズム”が必然を負います。
今の、CdGには日本発でこれが理解出来て、
今後のアーキテクトな展開図面と、
シナリオが描ける妄想力、豊かな人材がいませんね。
CdGに念うこゝろがあるならば、この妄想力が必要でしょう。
 この集団には今、イエロー特有の面白い”妄想”が出来る
根拠なき夢、豊かな人が不在ですね。
日本人特有の真面目で、お利口さんで良く働くイエスマンたちが
彼等が好きな“そろばん”の世界に漬かり切ってしまいましたね。
ですから、早く目覚めないと!

 この企業力を利用して妄想出来る役割とは、
これは大変に恵まれた立ち居場所になりますね。
 現在のCdGに備わってしまった、
”名声と信頼と関係性とお金の使い方”は
最強力なエネルギィーで上質なパワーでしょう。
利用する価値は充分にありますよ!
“21世紀”も健在なる国際企業としての可能性豊かなCdGグループです。
 
 今のままでは危うさを感じてしまいます、勿体無い。
“砂糖菓子”が崩れる時はいつも、音も無くいつの間にか、、、、、、

文責/平川武治。
初稿/2012年8月11日。

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