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"The LEPLI" ARCHIVE 109/ファッションビジネスサイト“BOF"でCdG FRANCEの社長、エイドリアン氏のインタビューを深読みしてみよう。

文責/平川武治;
初稿/2014年1月17日;

その壱;
 昨年の秋、ファッションビジネスサイト“BOF"での"CdG FRANCE社”の社長Adrian-Joffe氏のインタビューを読みました。
 色々、この企業の諸事情によって、日本のプレス側からは発信されないこの企業内面が
少し、クリアーに垣間見られたインタヴューです。
 インタヴューそのものは、川久保玲が聞き、回答するいう、「川久保玲をインタヴューする」というメディア受けの形式を取っているのだが、その事実は、いつも必ず、エイドリアン氏が”自分流通訳”を行い英語で行っているので、かなり、彼の本音が発言されたインターヴューとなっているのです。そして、このときは川久保玲は横で頷く行為だけがほとんどですね。
 “BOF"/ Business of Fashion.com
http://www.businessoffashion.com/2013/09/adrian-joffe-rei-kawakubo-tending-the-garden-of-comme-des-garcons.html

 M.Imran Amedとは、;
 
新たなファッションメディアとしての"BUSINESS OF FASHION"サイトの編集長である、Imran Amed氏も所謂、ファッショングルービー上がりでロンドンに住むインド系ジュー。
僕も幾度か、彼とコレクションで話した事もある。2007年にこのサイトを立ち上げたらしい。
彼を調べるも“如何にも、ファッションピープル”である。が、今ではそれなりのファッションサイトになっているから凄い。今の時代観からすれば,若しかしたらもう、それなりの
”なりすましファッションデザイナー”に成るよりも彼の様に、ファッションサイトを立ち上げ新たな時代に即した”ファッションメディア”でファッションビジネスのイニシアティブを執るのも面白い時代性でもあろう。
 ここにも、ファッションユダヤ人たちのシンジケートが働いているから彼ほどの若さと経験の浅さの人物でも資金を集めれば、このような新たなメディアとしてイニシアティブが取れるのだから凄い。彼のように、一介のコレスポンダントからはじめて、”何処で記事を書いた、
誰のインタビューをし云々、”と言う”職歴と学歴”が多すぎるのがこのタイプレベルの人物の
特徴である。

 しかし彼らたちの頭の良さは一面,面白い構造を構築してこのBOFを始めている。
多分、多くの参加ライターたちはそれぞれの自国で自分たちのブログを持って同じような
ファッション大好き生活をし,この”BOF”に参加しているという構造である。
そして,彼らたちはそれぞれのコレクション時期に“PARIS"へ集まって、このサイト”BOF”の
名でインヴィテを取り、ショーを見てそして,”BOF”ミーティングを行ってコレクション終了後に帰国し、原稿等は自分の町で書きメールで後送しているのだろう。
 この構造もある種の”グローバリズム”が可能にした一端の構造であろう。
ここでは、”ユダヤ人+喋れる言語+厚かましさ+要領の良さ”等が揃っているがポイント。

 従って、日本人は入れない世界。英語が喋れて外国人デザイナーたちの世界を知っていると
いうだけで、日本でも海外留学帰国組のデザイナーたちがブロガーをもやっているのも多いが残念ながらこの”BOF”のクオリティレベルに達しない連中の勘違いでしかない。
この勘違いに乗っかって”虎の衣”を借りる輩も多いのが日本のファッションメディア社会の
現実の一面であろう。

 Adrian-Joffeは、;
 さて、この”BOF”のインタビューに答えたのが、株式会社CdGのもう一方側の、
”CdG フランス社”のトップであり、仲むつましいビジネス婚と海外では言われている
”CdG 株式会社”の社長である川久保玲の夫であるAdrian-Joffe氏だ。
 彼はパリのエッチエンヌマルセルのオムのショップを新たに出店した際の社員としてまず、川久保玲の前に登場した。その後、二人で”世界ビジネス”をより発展させるためには、
”ユダヤ人”の力が必然だという根幹で結ばれた関係性の”ビジネス婚”である。
(プレスでは、彼は”地中海クラブ社員”とされているが、これはこの世界の常習である、
”なりすまし戦略”として取られたもの。この”地中海クラブ”は有名な、ユダヤ人シンジケートで成り立っている世界企業である。)

 そんな彼の大きな役割の一つである外国メディアへのインタビューの内容は昨年、彼が表層に出た多くの他のインタビュー内容と同じくその殆どの内容が、これ迄のエイドリアン氏が
為して来たCdGへのビジネスの功績を自らが語っているインタービューでしかないこの内容は日本のCdGからでは知ることの出来ない実情世界を発言されるから貴重な内容である。(彼の海外での発言は東京のCdGのプレスは翻訳しない。)
 当然、彼は「社長としての自分の役割」を自分たちのユダヤ人たちのファッション世界へ
その実績を認めてもらいたい為のインタビューが殆どであるということだ。
 
 Adrian-Joffeの功績ー其の一。; 
 在庫過多のブランドの”在庫処理”法としての『ゲリラショップ』プロジェクト。
今迄ファッションアイテムを売ったこともない,だけど、CdGのデザインクオリティと
そのレベルを共有したい職業の人たち、グラフィック関係者たちを新たな顧客にした
この在庫処理プロジェクトは決して,日本国内では出来ない戦術であった為に功を奏し,
日本のファッションメディアを巻き込み目的を果たした。
その後、このゲリラショップを始めてファッションビジネスに興味を持った若手経営者たちをCdG巴里企画ブランドを売る専門店へとスライドアップさせエイドリアン氏がその後、
巴里発で企画生産を始めた幾つかのブランド展開の顧客開発の拠り所としそして、
現在に至っている。
 彼はそれまでの”東京発のCdG”が生み出してきた「差異」を自分の「力」に変換させて、
自分が関わりたかった、「世界のファッションユダヤ人ビジネス」でその目的を果たす。
 
Adrian-Joffeの功績ー其の二。;
 彼の川久保玲へ差し出した功績のもう一つは“香水”プロジェクトである。
二人三脚で”巴里上陸作戦”を果たした元同棲相手であった”山本耀司”と惜別し、
その後、クリエーッションでは'89年にあの”M.M.マルジェラ”の登場によって大いに動揺し、
また、良き“BIG MOTHER"的存在であった先輩、”小指敦子”氏が死去為さった折と、
生産面においては、岐阜の”オリケン”を通じて発注していたオリジナル素材の”原反在庫過多”
等など、重なる苦悩にその後間もなく、夫となるAdrian-Joffe氏を強力な味方にした発端が
この“香水プロジェクト”であった。
 
 多分、このプロジェクトの最初の発端は未だ,耀司とのタッグチーム健在時に
お互いが、”最後に香水を出そうね”という迄の夢物語が健在であったのだろう。
その根拠の一つはこの時期,殆ど同じ時期に“YOHJI YAMAMOTO FRANCE社は
JEAN PATOH社とのライセンスでやはり,香水プロジェクトを遂行していたのだ。
結果は結局、巴里クチュールのビッグメゾンとのライセンスビジネスで組んだ
ヨウジ・フランス側の惨敗となり,この香水は発売後、1年も持たなかった。
 CdGはここでも,この"CdG・パルファン”は独自の発想と手法と人脈で見事なコンセプトとその為のプレス戦略とプレゼンテーションと販売手法によって現在ではCdG FRANCE社の
大きな財源になって成長し,継続され、将来への”金づる”の一端にもなっている。
ここで見られるのは、”香水ビジネス”=“WRAPPING BUSINESS"の手法の巧さであり、
ここにもユダヤビジネスの巧さが見られそれはその後、現在迄この香水プロジェクトの発想の根幹になって多くのバリエーションによって継続がなされている。

Adrian-Joffeの功績ー其の三。; 
  ”ゲリラショップ”以降,エイドリアン率いる”CdG・フランス社”は彼らたちが育成した
“CdGジュニア”たち社員の為に“CdG SHIRTS"を強化し,“COM COM"という巴里発の
セカンドラインを立ち上げ,“CdG"という既存のブランド力を最大限強行に利用し、
自分のビジネステリトリーである”CdG・フランス社”のビジネスを拡大して行く。
 これらの戦略は決して、日本人企業では決して出来ない,関係性が持てない異業種や他企業との”コラボレーション”と”ライセンスビジネス”等を“ユダヤ人コネクション”を利用し,着実に拡大発展させ、稼働させて現代に至っているのが現実である。
 そして,現在の「DSMプロジェクト」の登場はこれらの総集編と言うべき戦略であり、
エイドリアン氏の人脈によって、インド系ユダヤ人からの出資によって成されたものである。

 “BOF"/2013年9月号のインタヴューから幾つかの質問をさせて下さい。;
1)ここで語られている、「年収収益で2億2000万ドル」の根拠は?
これは世界ネットでという事ですか?
 「そうです。国内海外全体の売り上げのトータルを言っています。」
2)”CdG International”と言う会社が出来たのでしょうか?
そのヘッドがエイドリアン氏なのでしょうか?
 「いいえ、そうではありません。ただ、彼は海外の営業の責任者ですし、”DOVER STREET MARKET”の社長でもあります。また、東京でも”DSM”を展開していることもあり、社内で、コムデギャルソン全体の話をするときに便宜上使っているので、そのような言い方になっていると思います。」
3)香水ビジネスにおいて、バロセロナの”ピュイグ社”とのビジネス関係は2002年以来、
どのような規模で継続されているのでしょうか?また、”CdGパルファン社”という別事業体が構築されているのでしょうか?そして、もうこのようなコメントが為される迄の現実が
川久保さんと彼の間で委ねられているのでしょうか? (多分、”企業内コラボレーションビジネス”という発想であろう?)
 「プチ社とは数年に一回くらいの割合で新しい香水を出していますが、かなり特殊なコラボレーションの形なので、説明がむずかしいです。すみません。(香りもデザインも、コムデギャルソンのイニシアチブで作られています。当然でしょう?)」
 「コムデギャルソンの香水の法人はパリにあります。これはスタート当初からです。
フランス法人のコムデギャルソンのブランドです。」
 「SHIRTもフランス法人です。それらの責任者は、エイドリアンです。ただし、すべての
デザインに関わる決定やコムデギャルソンとしての重要な決定は最終的には川久保が負っています。川久保の決定なしに進むことはありません。」

 「下記のコメント、(4)と(5)は仮定で言っています。まったくどうなるか分からない状況をこのような言い方で言っていると思います。でも特殊なことではなく、一般的に考えても、川久保はとても不死身ではありませんので、だれもが想像することだと思います。(「具体的な回答は得られず。)」

4)The company now employs over 800 people. “Most people stay forever;
it’s like a family because of the strength of the belief system,” says Joffe.
But, in particular, designers Junya Watanabe, Tao Kurihara, Fumito Ganryu and
Kei Ninomiya have been instrumental in extending the company’s brand ecosystem
(Tao closed in 2011, but Kurihara continues to design the Tricot Comme des Garçons label.)
5)“It depends on who you get to take over. I think it’s got amazing potential. Comme des Garçons is organic.
But I think, without doubt, it’s going to change.
Because once she’s not there, for sure, it’s going to be different.”

後、もう一つ質問を、;
 「韓国人デザイナーBajowooとの“CdG Shirts"でのスタッズワークを施すコラボ及び、
N.Y.DSMビジネスでの起用とは?なぜ、彼だったのでしょうか?」

 スタッズワークそのものであれば、日本人のストリート系の連中の方が早くからこなして
いましたね。また、現在まで川久保玲による「韓国関係の諸プロジェクト」は率先して
関わってこなかった事実があり、僕にとっては予想外に、意外なことでした。
 なぜならば、川久保玲は”韓国”におけるビジネスプロジェクトには以上に神経を使って来たからです。僚友、山本耀司が取った韓国戦略とは大いなるズレが有り、その後のこの韓国とのビジネスコネクションは後に”サムソン財閥ファミリィー”とミラノのショップ”コルソコモ”との関係で初めて、この企業は展開をし始めたという経緯を知っているが故に、僕は驚いた。
 「この件も具体的な回答は得られず。」

”エピローグとして、:
 
日本における”デザイナーファッションビジネス”の世界では、僕が記憶する限りでは
どのデザイナーブランドも、自らのビジネスの「年間生産高、年商総額、年間在庫など、」に
ついての詳細は世間へ公表した例がない。また、「給与差別」にしても然りである。
 この根幹には、それなりのブランドであればやはり、「税金」が怖いのであり、それなりの弱小ブランドであれば、「売上」が少ないほど、世間に媚びない良いデザイナーだという
大いなる無知からの妄想によるものだろう。そして、「オーナー兼デザイナー」という組織構造がこの勝手さを当然のように、「会社のために、」と言う理由で許容させているのが実情だ。
 だが、売上があるから、ブランド継続が可能。その売上が増えれば、いい素材も使える、
良い工場での、品質の良いものが生産される。という資本主義における実業の掟が在る事も
忘れれはならない現実を地で行っているデザイナーブランド企業は極小である。
 例えば、今回の「コムデギャルソン株式会社」はこの「日本流」の最も代表的な
”世界企業”であることも認識してください。

文責/平川武治。
初稿/2014年1月17日。


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